幕間


 人類側の国家と、魔族の国は地続きになっている。

 人類同盟を結んでいるのは、実のところ国だけではない。小国にすら満たない辺境、そこを守護する諸侯の領地など、自治を認められた地域も点在している。その理由は、先に述べた魔族の国の地理的な位置関係にある。

 巨大な山脈を挟んだ遥か北の大地。それが魔族の支配する国家だった。


「…………」

笠牧かさまき先生、そろそろ交代ですよー。いつまでそうしてるんですか?」


 雲がまばらに浮かぶ晴天、気持ちの良い陽光が降り注ぐ午後。

 ミコラ辺境伯へんきょうはくりょう監視塔かんしとう

 前述の山脈を一望でき、魔族の侵攻を察知する為に建てられた。侵攻を阻む為の戦術的な要塞の機能など一切ない石造りの塔。

 その最上階で見張りをしている人物。白髪混じりの髪に、深いほうれい線と額の皺の影響で六十代(実年齢四十五歳)と思われてしまう容姿をしている。

 それなりに年代を感じさせるものの手入れが行き届いた黒のスーツ、専用のクリームを用いて丁寧に磨いているお陰でくすみ一つない革製の靴を履きこなす男性教師、笠牧かさまき康二こうじが、背後からの声に振り向く。


「ああ、お気遣いどうも、小野おの先生」


 視線の先にいたのは、学校指定の群青色の運動用ジャージを着た二十三歳の女性、教育実習生の小野おの佳澄かすみだった。黒い長髪を一房に纏めており、ピンク色のシュシュを付けているのは現状における精一杯のお洒落のつもりらしい。


「小野先生……、ここ最近ずっとジャージですね」

「いやだって、動きやすい格好の方が絶対いいでしょ。先生こそ異世界こっち来てからずっとスーツじゃないですか」


 長年愛用しているフルフレームの眼鏡に指をかける。別にズレていた訳ではなく、考え事や言葉に詰まったりする時にする癖みたいなものだった。


「私はほら、これしか着る物を持ってませんでしたし。それに魔術のおかげで汚れとか着替えとかしなくて済んでますから」

「ホント、普通にズルですよね? 浄化を司る魔術の応用で、服どころか身体も常に清潔にできるとか。やっぱこういう野営とか野宿前提となると生活水準爆上げできる魔法とか魔術が一番活躍するんだよなぁ……」

「なんの話をしてるんですか……」


 呆れた物言いをする笠牧だが、自身も監視という国境警備の任務に赴いて、初めて自分の力の有用性を実感している。とはいえ、その事に一切の喜びなどないのだが。

 塔の下で、のだ。この現実に、自身の教師としての存在意義が否応なく崩壊していく。

 杖などの魔導具。王国からかき集めた刀剣。監視塔近辺に設置する対侵攻用の罠。

 全て、魔族侵攻に備えてのものだ。


「今のところ問題なしって感じですか?」

「そうですね。も特に変化なしです」


 返答し、監視していた山脈へと視線を向ける。

 白銀の雪と氷に覆われた峰、その手前側の中空に薄らと螺鈿色の光が走っている。オーロラの壁とも形容できるそれが、山脈の麓と監視塔の丁度中間地点にて、大陸を横断する形で存在していた。


「初代勇者様が考案した『境戒壁きょうかいへき』、でしたっけ。何度見ても圧巻と言いますか……。てっぺんとか高すぎて見えませんもん」

「案外、成層圏とかそのくらいにまで達してるのかもしれませんね」


 高さに関しては誰も計測した事がないので知る由もないが、これが魔族侵攻をさまたげる防衛の要となっているのは確かで、飛行系の魔術を使用しても、それこそ飛行能力を有する魔族でさえも、飛び越えて侵攻できた試しがない。

 初代勇者が召喚されるまでは、人間側の軍事力や、精霊種エルフの古代魔術などを駆使してどうにか防衛していたものの、いつ滅ぼされてもおかしくない状況だったという。そのような状況下での『異世界いせかい召喚しょうかんの儀』は、まさしく最後の希望だったのだろう。

 ただ、魔族以上の魔術の才覚を持つ初代勇者と言えど、当時の魔王を倒す事はできたが、魔王軍や魔族の殲滅は多勢に無勢という事もあり、早々に諦めたそうだ。

 代わりに考案、構築したのが巨大な壁。物理的な通過は勿論、物理的、魔術的な攻撃も一切通さない。加えて一部の衝撃を反射させる機能まである為、下手に攻撃しようものならば、文字通り手痛いしっぺ返しを喰らう事になる。

 この結界のおかげで、勇者なき時代も平穏を保ち、魔王が復活しようとも容易に人類側へ侵攻できずにいた。

 ただあくまで強度が物凄ものすごく高いだけで、絶対無敵ぜったいむてきの防壁という訳ではない。過去魔王復活の折、戦力等を十全にした魔王軍の猛攻を受けて破壊され、侵攻を許した事もある。

 一応破壊されても自己修復じこしゅうふくが可能で、定期的な魔力供給で常時展開を維持できる。その為の装置も、生産も量産も容易という優れ物である。

 何を隠そう、この監視塔にその魔力供給兼貯蔵用装置があるのだ。塔内の一階部分、大人二、三人が肩車しても天辺に触れない程の紫色の結晶が、細かく文字や図形が彫られた魔法陣の中央に安置されている。笠牧達異世界いせかい転移者てんいしゃが駆り出されているのも、そういった事情も絡んでの事だった。


「小野先生、交代は不要ですよ。私はこのまま監視を続けますので、下の子たちと一緒に、適度に休憩しててください」

「…………、」

「戦いに使える力を持とうとしなかった私には、これくらいしかできませんから」


 彼らがこの世界に召喚されて、もう一年以上経過している。クレイテスラの王女、ミシェラの計らいで、修行も兼ねた国内外の魔物討伐に明け暮れる日々を送っていた頃を懐かしいと思えてしまう。

 召喚された当初は、生徒達よりむしろ教師達の方が狼狽うろたえていた。

 非現実的な、非日常的な現象。常識が破綻するのがこれ程衝撃的なものだったと初めて自覚して、それで大人として、人生の年長として当然の振る舞いが全くできない事をこの上なく恥じた。

 笠牧かさまきを含めた教師陣は当初、子ども達を危険な目に遭わせるなど断固として反対していたのだが、状況的に彼らの要求を飲まねば、右も左も分からない異世界生活などままならない。現状の最適解を懸命に考え続け、生徒達が乗り気なのも相俟あいまって結局押し切られてしまった。

 仕方なく魔物討伐や村落の復興などに精力的に参加し、生徒達を守る事に徹した。

 防御や回復の術式から、浄水の生成から空間の浄化、果ては冷凍や真空を用いた食料の保存を目的としたもの、生活基盤を確保できる魔術ばかりを習得し、極めていった。全ては、生徒や若い教師達を守る為にと思って。

 そうこうしている内に、今では魔術という非現実的な概念が常識と思ってしまう程、この世界での生活に慣れてしまったが、果たして自分が役に立てているのか自信も確信もない。

 堂々巡りの思考をしながら、手に持った双眼鏡を覗き込んで監視を続ける。これも『錬成』の魔術で組み上げた自作で、他の辺境領や国境付近へ派遣されている生徒や教師達へ支給している。

 唯一自慢できる形ある貢献。それを肌で触れ、使用している間だけは、僅かにだが役に立てているような錯覚に陥れる。


笠牧かさまき先生……」

「…………、」

「双眼鏡、前後逆です」

「え、あっ……!!」


 自身でも驚く程の声量を発してしまった。山脈が見えないのには気づいていたが、てっきり倍率の設定を誤ってしまったのかと懸命に中央のつまみを弄っていたのがこの上なく恥ずかしい。

 自覚のない焦燥と不安で集中できていない事が露見したところで、自分よりも一回り以上年下の教師の卵からくすくすと笑われてしまう。


「最後に交代してから三時間くらいぶっ通しなんだからそりゃ疲れますって。休まなきゃいけないのは先生の方ですよ。ほら、下行った行った」

「し、しかしねぇ……」

「先生はすごいですよ」


 安直ななぐさめではない。事実であり、真実であると、心の底からの思いと共に綴った言葉だった。


「生活面で少しでも、元の世界とのギャップを埋めようとして。ホームシックになった子や魔物に恐怖を抱いた子のカウンセリングとか。私とか他の先生の体調管理とか、メンタルケアまでやろうとしてくれて。ホント、助かってるんですよ」

「い、いやほら……。メンタルケアとかは養護教諭の古見ふるみ先生がメインで頑張ってくれてますし。私はお手伝い程度で……」

「そのお手伝い程度すらできてない私たちより、ずっとずっとすごいって言ってるんです」


 念を押すように、優しく説き伏せるように言ってくる人生の後輩。真っ直ぐ、心からの言葉だと伝わってほしいという思いが、その双眸から嫌という程伝わってきた。


「他の監視塔にいる先生たちも、生徒たちも、もちろん私も、笠牧先生には感謝してます。正直、あの時の戦闘でも、先生がいなかったら私もみんなも、ケガだけじゃ済まなかったかも」


 数ヶ月前に起きた、突然の魔族側の侵攻に、生徒も教師も狼狽と焦燥感でいっぱいだった。明らかに怪物かいぶつぜんとした魔物を相手取るのとは違い、初めて目にした魔族という敵との戦いは、ただの人間同士の殺し合いにしか思えなかった。

 その中で、とにかく防戦に徹し、怪我人のその場での応急処置や搬送の指揮、戦意喪失した子ども達や同僚、後輩の避難指示とその経路確保。

 その殆どを、笠牧かさまき康二こうじは一手に引き受けたのだ。


「私は、そんな先生のことを、心の底から尊敬してるんです。何もできない私たちを、一生懸命引っ張ってくれる先生のこと……」

「そんなことは……」


 そこまで話して、小野は皺の目立つ手から双眼鏡を奪い取り、無理矢理塔内部の階段まで押して移動させる。


「で・す・か・ら!! いい加減休んでください!! 昨日も夜遅くまで監視やら武器類の整備やらやってたじゃないですかていうかいつ寝てるんだってくらい働いてるんですからいい加減休んでください仮眠してください泥のように眠ってください!!」

「わか、わかったわかりましたから!! というか泥のように眠ったら仮眠にならないんじゃ……」

「いいから!! 早よ!! 休めください!!」


 どうにかしてこの場から退出させないと際限さいげんなく居座り続けるな、という判断で眼鏡教師を追っ払う。ポニーテールの教師未満実習生が、階段を降りていく先輩をしっかり見送った後、手にした双眼鏡を無意識に握り込む。


「ホント……自分のこと蔑ろにしすぎなんですよ」


 最初の印象はこうではなかった。

 ただの冴えない中年……見た目の所為でお爺ちゃんと思ってしまった事を今では申し訳なく思っている。

 そんな笠牧が、現実を受け入れず狼狽える後輩や同僚教師を気遣い、生徒達の面倒も率先して行っていた。

 異世界召喚された皆の精神的支柱になっている。小野も含めた誰もがそう思っている。

 しかし、彼自身は自己肯定感というものがどうやら低いようだった。自分は誰よりも役に立たなくては、と必要以上に考えている節がある。異世界に来る前の普段の言動からそうだったので間違いない。


「さ、て、と!! 笠牧先生が一日中爆睡できるくらい、バリバリ働かないとっ!!」


 大きく背伸びをして気合を入れ直す小野。下では万が一の戦闘準備をとっくに終わらせていた生徒達が、笠牧先生を全力で休ませる為の準備を万端に済ませて待ち構えている。

 この塔は結界から一番近い位置にある。笠牧が監視任務の話を聞いて、真っ先にここの配置を希望したのも、いざという時は自分が率先して盾になろうと考えたからだ。そしてその事を即座に察知して同行を願い出たのが、現在笠牧を全力で寝かしつけてやがる生徒達と小野である。

 他の監視塔とも、通信系の魔術を使用できる生徒で情報連携は万全にしてある。次侵攻が開始されても、立ち向かう準備も覚悟もある。

 勿論、教師として生徒を守る意地も覚悟も。


「ん?」


 そんな感じで気合と根性を昂らせていた教師未満の実習生小野おのは、双眼鏡で山脈側を隈なく観察していると、螺鈿らでん色に光り輝く結界の真下で何かを見た。

 正確には真下に広がる巨大な森と草原の境目。監視塔からはキロ単位で遠方なので、それこそ双眼鏡がなければ視認できない。だからこそ見逃すまいと目を凝らして監視していて、ゆっくりと近づくそれを見つけた。


「なにあれ……………………???」


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