第8節


 漠然と、膨大ぼうだいで、莫大ばくだいと形容するしかない数字。それがミシェラ達が抱いた精一杯の感想だった。


「貴様らは何故、異世界の勇者などという存在を至高神しこうしんが欲したと思う?」


 唐突にそう聞かれ、即答できる筈だというのに声を詰まらせてしまう。

 神が欲した――その言葉の中に、わずかだが憤りのような感情を垣間見かいまみた気がしたのだ。今まで無表情で、無感情で、無関心で、その狭間はざまに僅かな心情の起伏を感じる程度のものだったというのに。

 自分達に向けられたものではない。しかしだからこそ、その矛先ほこさきはどこへ、何故向けているのかという理由を知りたい、知らねばならないと意識を逸らしてしまう。


「そ、それは、世界を救うためです。私たちが、そう願って……その願いをアスレア様が聞き入れてくださった……。他でもない、私たちが欲したのです……!!」


 目の前の青年は、異世界召喚した少年少女達を『奪われた』と言っていた。彼らの立場からすれば確かにその通りだろう。当人達や、その親類縁者しんるいえんじゃ承諾しょうだくも無しに、こちらの都合で連れてきたのは事実なのだから。

 しかし、それがもし、至高神たる女神アスレアの仕業しわざであり責任である、と考えているのならば、改めてもらわねばならない。

 それを望んだのは人類であり、他でもない、目の前にいる王族、金髪の令嬢である自分自身の仕業であり責任である、と。


「その世界を救うという使命を、他でもない貴様らに課さないのは何故だ?」

「い、いえ……!! 私たちも世界を救う使命を背負っています!! 情けない話ですが、私たちの力だけでは不足しているのは事実ですが、その重荷を、責務を、勇者の皆様だけに背負わせているつもりはっ!!」

「ならばその不足した力を『妙技継承の儀』とやらで存分に補えばよかろう」

「え……」

「『妙技継承の儀』のように、絶大な力の付与を、使

「それは……」

「それができれば苦労はしない!!」


 何故だ? 思わず声を荒げてしまうメイに対して、凪のような平静さで赤い有角の青年は何度も疑問を口にした。


「学業に専念すべき学生という身分を持つだけの一般市民で、かつ未成年で、戦闘や戦争の経験もない、人殺しどころか狩猟のすべすら体得していない年端もいかぬわらべどもが、貴様らの眼前で、世界救済を成し遂げられる力を会得えとくしてみせたのだろう? それで、何故貴様らでは……だと断ずるのだ?」

「…………っ」

「召喚された者達と交流したというのならば知っている筈だ。あの者達は闘争とは無縁の生活を謳歌おうかしていた。ならばそのようなわらべ達に力を与えずとも、この世界の、剣客けんかくでも魔導を極めた者でも良い。そういった傑物けつぶつ達へ新たに力を与えれば手取り早い筈。?」


 その疑問を、ミシェラは抱いた事がない訳ではなかった。

 この世界にも、彼の言う実力者がいない訳ではない。それこそ直属の護衛であるメイは最高位の剣士と名高く、初代勇者の血を受け継ぐカノンランス家当主だ。剣術だけで言えば、魔族とも互角以上に渡り合う事も可能だろう。

 魔術に関しても、王国騎士団の魔導部隊に精鋭と呼ぶに相応しい者も少なからず在籍している。そもそも騎士団の練度も他国に引けを取らない程で、確かに彼らにも継承の儀式が使用できるのであれば、勇者には届かずとも近しい実力者になれるかもしれない。


「ガイラ殿の疑問も尤もだ。しかし、『妙技継承の儀』は、召喚に応じた者にしか、反応すらしないのだ。既に試したという記録もある。だから、私たちでは、勇者殿達のような力は……」


 過去に執り行われた儀式でも、勇者の実力に異を唱え、儀式の最中に乱入した事があるという記録があった。その際、その不届き者には何も起こらず、召喚された勇者にのみ、恩寵ギフトなどの恩恵が与えられたという。

 以降、神聖な儀式に何人なんぴとたりとも乱入する事は許さず、これを脅かす者は全力で阻止、排除せよという王命が下された。

 神が望む救済を担う者は、異世界からの召喚者のみ。そう仰っているのだと、誰もが疑いすらしなくなった。

 その事実を聞かされて、尚もは問い続ける。


「根本の話だ。神が貴様らの救済の願いを聞き入れたと言うのならば、貴様らのみで成就可能な方法を与えれば良い。だというのに、何故、わざわざ、『異世界転移転生』という限定した手段を与えた?」

「そ、れは…………」


 その答えを、赤肌の青年は既に口にしていた。


が足りないのだ。この世界で生まれる魂では、その絶大と評する力や権能を付与できる情報の領域が狭すぎる。仮に体得できる者がいたとしてもほんの一握りか、神が敵と定めた魔族とやらを討滅とうめつできる水準まで達する事ができないのだろう」

「……確かに、人類ではこの世界を救えないと、女神アスレア様はお考えになったのでしょう。その所為せいでヤツハラ様達が犠牲ぎせいになってしまうのは許されないことで、私たちの手で、どうにかしなければならなかったというのに……」


 ミシェラもわざわざ彼から言われなくとも、そうなのではと察してはいたのだ。魔族という敵対者を討てという使命を神から与えられ、しかし実現できないからと助力を求めたのは他でもない人類側だ。

 その結果、もたらされたのが、ここではない何処どこかの世界の住人を召喚する秘術。

 つまりは、この世界の住人では人類の敵対者を打倒できないと神が判断したという事だ。

 だが、それに不平不満ふへいふまんはない。

 むしろ神に感謝するべきだろう。神の使命を全うできず、あまつさえ魔族からの襲撃に怯える日々を送る人々に、救いのすべを与えてくださったのだから。


「違う。どうにかせねばならぬのは神の方だ」


 困惑の色を隠せなかった。そして、この世界の至高神である女神アスレアに対して、不敬ふけいな物言いを平然と口にした事に驚いてしまう。

 俯いていた顔を思わず蓋羅へと向けると、初めて彼の表情の変化を視認する。

 眉間の皺は変わらず、しかし頬や目尻の筋肉が僅かに震え、口を一文字に結ぶ顔は、まさしく、怒っていたのだ。

 そして、ミシェラも全く予想だにしていなかった事実を耳にする。


「そもそも我らの世界の神々は、

「えっ…………!?」

「この世界の神が無遠慮に、無作法に、我らの世界の魂を簒奪さんだつしたのだ。貴様らに責任の有無を問うなど御門違おかどちがい。この世界の神に対し、此度こたびの責任を負わせ、その罪業ざいごうを罰せねばならぬ」

「お、お待ちください!! ですから、望んだのも、儀式を執行したのも私たちで」

「その儀式とやらが執行できるのは、


 ミシェラの言葉を遮り、尚も彼女らにとっての異界の赤鬼は豪語ごうごする。


「メイ・マツカサ・カノンランスの使用した剣技も、あの魔物とかいう存在も、それらを実現、現出できるに足る法則、ことわりを、この世界の神が定めたからに他ならない」

「そ、それはどういう……」


 言葉通りの意味だ、と続け、地面に落ちる一振りの枝を拾う。

 先の戦闘で、投擲に使われた大樹の枝。ミシェラの腕よりも太く長い、いくつかの青々とした葉を付けている何の変哲もない枝を目線まで持ち上げ、そして手を離し、落とす。


「こうして物が地面に落ちるのも、この世界を管理運営する立場にある至高神とやらがからだ。そのありとあらゆることわりに晒され、生命として存続するのに最適な形へと進化、存命した結果が貴様らのその姿であり能力だ。そしてその獲得を許しているのも、至高神の差配に他ならぬ」

「……っ」

「我らの世界の魂を召喚したのは確かに貴様らだろう。しかしそれを許したのはこの世界の至高神。世界救済を掲げ、一つの種を滅ぼす手段として別の世界の住人の拉致らちを容認させるなど笑止千万。到底、看過も容赦もできぬ」


 蓋羅がいらの言動の端々に、この世界の神々への不信感が表れていた。恐らく隠す気もないのだろう。理不尽に自分達の世界の住人を連れ去っていった事への怒りが感じられ、一層に心を痛めてしまう。

 自分達の身勝手な願いを至高神が聞き入れてくださった事で、異世界の神の怒りを買ってしまったのではないか。ならば至高神のかぶった濡れ衣は、他ならぬ自身らの責任、


「あ、あの!」

「なんだ?」

「女神様が我々に『異世界召喚の儀』をお教えくださったのは、私達がそう懇願こんがんしたからです。人類の敵対者を討てという天啓を受け、しかし実現できないまま神への救済を望んだ、王族の責務であり責任なのです。決して、決して女神様の責任などではありません!」

「ガイラ殿の言い分は理解した。だがこちらも切羽詰まった状況で、異世界の勇者に助力を仰ぐしかなかったのだ。我々も、そして他でもない女神様も、決して悪意をもって彼らを連れ去ったのではないことだけは、どうか理解してほしい」

「……、」

「納得できないことは承知しています。ですが、どうか……この通りです……!!」


 そう言って、頭を下げようとする。国の、人類の存亡を賭けて戦い、守らねばならない立場の者が、年端もいかない異世界の子どもの力を借りなければ使命を全うする事すらできない現状に、歯痒さを覚えないわけがない。その事情も、情念も、眼前の異形の青年にとって預かり知らない事であると理解し、せめて謝罪の意思を示そうとする。

 しかし、その下げようとした頭は、隆起した力強く赤い腕で肩を掴まれた所為で止められてしまった。


「やめろ。貴様らに頭を下げられる筋合すじあいはない」


 語気の強さにミシェラも思わず驚いてしまう。顔から先程の怒りは消え、今までの通りの無機質な表情に戻ってしまっていた。

 未だに掴めない赤い肌の青年の心境を測ろうしていると、乳白色の犬歯が目立つ口腔が開かれる。


「先を急ぐぞ。話を聞く限り、その儀式とやらで付与された力を。あまり時間をかけたくはない」

「……削ぎ、落とす?」


 あまり耳障りの良いとは言えない言葉を聞き返すと、蓋羅は当然であると言いたげに答えた。


くだんの儀式で付与されたという力の類いは、この世界でのみ適用されるものだ。それをそのまま、我らの世界へ持ち込めば、どのような弊害が発生するか分からん」

「弊害……。その、いまいち想像が追いつかないのだが、ヤツハラ殿達が神から与えられた力を持ったままなのが、問題ということなのか?」

「……、」


 護衛の女傑の指摘に、右手をあごへ添えて考え込む素振りを見せる。何か変な事でも口走ってしまったのだろうか、とメイは少し心配してしまうが、杞憂だったと思える返答、というより質問が返ってきた。


「……この世界に盤上遊戯ばんじょうゆうぎは存在するか? 複数種類あれば説明しやすいのだが」

「は? ああ、あるぞ。シャットラウンジやカロウム…………、ルールは知らないが、東の国にはチェンツィーというものも」

「いや、存在するという事だけ分かれば良い」


 名前だけ知っている物も含めていくつか思い浮かべたのだが、名称というよりも言葉通り存在し、かつ認知しているかを確かめたかったらしい。以前質問の意図が読めずにいると、地面を見渡し、手近な小石を三個手に取って二人に見せてきた。


「何でも良い、これを貴様らの知る盤上遊戯の駒だと想像してみろ。形も、色も、規定の移動法も扱い方も全く違う駒。加えて、俺の掌をそれぞれ、イの盤上、ロの盤上と見做せ」


 わざわざ説明しやすいように選んだのか、それぞれ大きさも形も一目で違うと分かる。それらを全て左手に乗せていたが、言い終わったところで前述ぜんじゅつした三つを右手へ移動させた。


「これをもし、ロに置かれた全ての駒を移動させ、イの盤上でも使用できるようにできるとしたら、どう思う ?」

「どう……、……? それは、普通にルール違反ではないのか?」

「そう、ですね。形も、なにもかも違うというのであれば、遊戯ごとのルールも違うはずですし、どの駒として扱うかだけでも決めないとゲーム自体成り立たなくなります……」


 そうだ、と二人へ見せつけるように右手を眼前に差し出した。


「その規定違反きていいはんを無視して、無理矢理遊戯として成立させているのが、貴様らが先程はなした『異世界召喚の儀』だ」

「「っ!!」」

「別の遊戯から駒を持ち込んでも、規定する動きも使用法も違うのであれば使い物にならぬ上に、貴様らの言う通り違反として試合不成立と見做されるだけだ。しかし、もしそのの存在が、『この駒はこのように動く』、『この駒は取られた場合こうする』などを定め、通常の試合でも使用できるように改変、乃至ないし改竄かいざんできるとしたら? そんな、子供騙こどもだましのような、屁理屈をねるような行為をして、かの少年少女はこちらの世界へ召喚されたのだ」


 例えば、肺呼吸しかできない生物に水中でも呼吸できるような機能を付与したり。

 例えば、羽を持たない生物に空中を自在に飛翔または浮遊する能力を付与したり。

 例えば、数十年の研鑽を経てようやく体得できる筈の剣技を容易く極められたり。

 例えば、膨大な魔力や魔術の才覚を持って生まれなければ到達すらできない魔導の真髄しんずいへ、いとも容易くいたってみたり。

 魂の余剰領域よじょうりょういきさえあれば、後追いで、後付けで、容易く人智を超えた力と才能を会得できる。

 ただし勿論、このルール変更という例えにならうならば、別の盤上で運用された駒を元の盤上で使用できるようにする為には、同様に元の使用方法へと変更し直さなければならない。


「仮に、変更した規定を戻さず、元の盤上へと形だけ戻したとしても、本来の方法で使用できぬ。そればかりか、変更した使用法の理論が、盤上遊戯そのものの規則を歪める危険性がある」


 とあるゲームでは、取った相手の駒はそのままゲームから除外し、その試合中は使用不可となるルールがある。このゲームに、『奪取した相手の駒はそのまま自身の駒として使用できる』というルールからやってきた駒を、そのルール通りに使用できるとしたら?

 ゲームの不成立を、現実の、世界規模の現象として当てはめた場合、一体どのような弊害へいがいが世界へもたらされるか。


「では、どうすればいいのだ? ヤツハラ殿達に与えられた力……、それを元に戻す方法など……」

「故に削ぎ落とすのだ。


 もう必要ないと思ったのだろう。右の掌をおもむろに力を込めて握り、先程まで丁寧に扱っていた三つの小石を砂同然にまで砕き潰してしまった。


「神の定めた理論は、同様に神によって定め直せば良いだけだ」

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