第7節


「ね、寝た、のか……?」


 戦闘の終了は、この上なく呆気ないものとなった。

 眼前に伏せる黒鬼オーガを凝視し、今起きた光景に理解が追いつかないでいる。凶暴性きょうぼうせいを具現化したと言われても納得できる、暴力と脅威を撒き散らしていた存在が、無防備に身体を投げ出して眠ってしまっていた。


「ガ、ガイラ様が、眠らせたのですか?」

「ああ。無力化するだけならば、この方が都合が良かろう」

「それはそうですが……」


 歯切れの悪い物言いをしたミシェラに、「何か不都合でもあるのか」、と言いたげな視線を向ける蓋羅がいらへ理由を口にした。


「魔物は、周囲の生物を見境なく襲う危険な存在です。眠らせるだけでは、起きた途端にまた暴れ出してしまいます。確実にほうむらねば」

「そうか……」


 そう口にすると、表情こそ変わらないものの困ったように頬を掻き、抜き身の刀剣を怪物達へ向けていた黒髪の女傑へ向き直る。


「済まぬが、彼奴あやつらの介錯かいしゃくを頼めるか?」

「なっ……。何故私に? いや、別に構わぬのだが。ガイラ殿程の実力者ならば倒せそうなものを……」


 ミシェラも同様の考えだったので、彼の発言に当惑していた。彼の実力は今し方の攻防もさることながら、騎士団の襲撃を退けた事も考慮すれば決して低くないだろう。故に、昏睡こんすい状態じょうたいの魔物相手に止めを刺す事を躊躇うのが、二人には理解できないでいた。

 そうこう考えていると、その理由を当人がすんなり答えてくれた。


「俺は、異世界の住人の殺生せっしょうを禁じられている。たとえそれが羽虫であろうと、畜生であろうと、命あるものであれば差別区別なくだ」

「命あるもの……。だが、あれは魔物だぞ」


 メイのこの反応は、この世界では常識であった。

 魔物とは、魔力の元である魔素と呼ばれる物質で構成されており、何処どこからともなく現れては周囲の生物を見境なく襲撃する存在だ。心臓などの、生物ならば当然持っている筈の臓器を持たず、首を切る、身体の大部分を消し飛ばす等をすれば、一応討伐はできる。しかしその身体も、生物とは違い死体を残すことなく霧散して消えてしまうのだ。

 だからこそ有角の青年の言葉に同意できずにいると、二人の思考を踏まえながらもあえて無視する物言いで返してきた。


「貴様らの認識がどうであれ、宿可能性がある以上、俺の手で葬ることはできぬ」


 矜持か、信念か。禁じられているという先の言葉以上に語気の強い口調だった。嫌悪や忌避という感情は一切なく、自身に課した責務とでも言うように、強固な理念を感じ取る。

 メイにも伝わったのかそれ以上何も言わず、大樹のような黒鬼オーガの首へ刀剣を振り下ろしていく。


閃撃せんげき!!】


 彼女の持つ称号――『剣聖』のよって体得した基本にして基礎の剣技。先の戦闘で披露した剣技に比べれば、見た目も難易度も下位に位置付く代物だ。

 高速に振り抜くことで対象を両断する技だが、彼女程の使い手であれば対象の強度に拘わらず、完全に切り裂く事ができる絶対の一撃となる。魔力を纏わせれば、それこそ大木のような魔物の首だろうと斬るのは容易い。

 刃渡りを考えれば全く足りないにも拘わらず、見事な一閃を繰り出し全ての首を落としてみせた。


「かたじけない」

「何を言う。ガイラ殿の尽力がなければ倒せなかっただろう。感謝するのはこちらの方だ」


 霧のように消滅していく怪物達を背に、纏わりつく黒い霧を払う為に振り下ろし、納刀する。周囲から不穏な気配もなくなり、ミシェラもようやく安堵の息を漏らした。


「本当にありがとうございます。先程もそうでしたが、素晴らしい御力をお持ちなのですね」

「……これはだ。メイ・マツカサ・カノンランスの剣技や、貴様の『鑑定』とは違う」

「そうなのですか?」


 眉間の皺に変化はなく、戦闘時も含め終始無表情のまま。その言葉も、空虚で特に意味もなく発したように思えた。


「『五色ごしき蓋眼がいがん』と呼称している。俺達鬼のしき五蓋ごがいの概念を組み合わせ、俺の魂へ神が新たに権能けんのうだ」

「魂へ、書き加えた、ですか?」

「ああ。流石に何の力もなく異世界へ赴くのは無謀極まりないのでな。『十人の審王しんおう』……、我々獄卒ごくそつ統括とうかつする存在へ頼み、神へと打診してくれた結果、此度こたびの異世界への出向に合わせて与えてくださったのだ」


 はぁ、といまいち理解しているか曖昧あいまいな返答をしてしまう。神から与えられたと言っていたので、さぞ素晴らしい力なのだろうと思っていたのだが、先の発言と照らし合わせると、その権能に対して良い印象を抱いていないようにミシェラは感じていた。

 何気なく目線を蓋羅へ移すと、続きを所望していると思われたようで、青年の口から淡々と説明口調で出力される。


「俺のてのひらに描かれた刺青いれずみ、そこから存在の感情を増幅させる力を持つ。力を使用する際に赤、青、黄、緑、黒の五色に光り、それぞれ司る煩悩を噴出させるのだ」

「煩悩……。では、さっき魔物達が怯えて逃げ出したり、同士討ちをしたのは……」

「ああ。黄の眼、掉挙じょうこによって動揺、主に恐怖心を誘発させて小物達を逃走させた。先の鬼共に見せたのは黒の眼である。疑心暗鬼の心を増幅させることで、たとえ味方であろうとも敵ではないかと強く勘繰かんぐってしまうようにする。そして緑の眼の惛沈こんじん倦怠けんたい、生物ならば当然持っている筈の睡眠の欲を溢れさせ、抗えぬ睡魔に溺れさせたのだ」


 そう語り、自身の両手に刻まれた瞳の刺青を見せる。掌の中央に描かれた目と、それを囲う二重の円。円同士の間には、絵にも図形にも見える不可思議な文字が刻まれており、一つの巨大な文字にも、てのひら全体がひとみそのものにも見えた。

 そんな彼へ、自身の事についてようやく語ってくれた嬉しさからもっと知りたいと思い、色々と質問してみる。


「とても素晴らしく立派な力だと思います。他にはどのような御力を?」

「特にない。あとは、権能とは違うが、袖の陰に特殊な空間をもらっている。ここにのようなを格納していてな、いざという時に取り出せるようにしてるくらいだ」


 そう言って、地面に落としていた金棒を拾い、広く開いた袖の中へ差し込む。腕よりも長い筈のそれを最後まで入れ込むが、鋼鉄の棒どころか何も入っていないかのようにひらひらと靡いている。鋼索も輪っかになるよう巻き取り袖の中へ入れるが、それこそ魔法のように陰の中へ消えてしまった。

 その光景に物珍しさを覚え、好奇心旺盛に質問を続ける。


「そうなのですね。手ぶらに見えていましたが、なるほど。勇者様にも、異空間に物を収納できる不思議な魔術を会得した方もいましたので、納得です」

「……よく喋る」

「あ、すみません。不躾ぶしつけに色々と……」

「構わん。連れと似ていると、ふと思っただけだ」


 依然、表情一つ動かさない。眉間の皺一つも変化がないのだが、それが逆に面白く思えてしまう金髪の令嬢。そんな彼女への対応に苛立ってしまうメイを苦笑いで制止させる。


「一緒に来たというお仲間様も、同様の権能けんのう? というものをお持ちなのですか?」

「いや、彼奴あやつは彼奴で独自の力や性質を持っている」

「そうなのですね。是非ともお会いしてみたいです。」

「……」


 会話が止まってしまうのを気にしてしまうのは初めての経験であった。

 公務であろうと私的であろうと、自身と対話する者は一様に自身への興味関心を持つ者ばかりで、それこそ自分から話しかけなくとも相手が勝手に話を盛り上げる事も多々あった。

 それ故の困惑ではあったが、不思議と嫌悪感は覚えなかった。初体験への好奇心の方が勝り、話題を変えて話を続けようとする。


「その、先程、魂へ書き加えた、と仰いましたが、『妙義継承の儀』と似たものでしょうか?」

「……どうだろうな。直接見たわけではない故、比較のしようがない」


 ただ、と一拍区切る。


への付与、という点においては、恐らく同義であろう」


 魔物達の襲撃の直前、彼の口から聞いた名称に、再びミシェラは疑問を口にする。


「その、先程聞きそびれたのですが、魂の余剰領域よじょうりょういき、というのはなんなのですか?」

「読んで字の如くだ」

「?」

「魂は、謂うなれば、その生命の辿たどことごとくを記録する手記のようなものだ。その魂が生物として生まれ、育ち、老い、死ぬまでに体得した機能や能力、主観によって会得した情報を記憶し、次の転生した肉体へ反映させる事で、生物として必要な情報を継承させる事ができる」


 つらつらと話しながら、今度は向かい合うミシェラを指差して説明を続けた。


「貴様が呼吸し、食糧を口にし、地に足をつけて歩く機能を持つのは、その身に宿す魂に、何世代も渡って刻み込まれたせいの情報を肉体が読み取っているからだ。肉体を存命させる為に、どのような機能を肉体に体得させるのかも、魂が自動的に判断している」

「そ、そうなのですか?」

「貴様らの場合は、そこに魔術や、先程話していた称号や、ぎふと、なども含まれるが」


 意外、そう思ってしまった。

 ミシェラは八津原やつはら達との交流で、自分達が召喚した異世界人の故郷について、ある程度認知していた。魔術も、精霊種エルフなどの多種の人類、神や天使などの超常的存在を認めない、信じない、実在しない。そういった、ある種の空虚な世界なのかと勝手に想像していた。

 だというのに、目の前にいる赤肌の鬼の青年は、その異世界人達と同郷どうきょうで、しかし生物の理屈から逸脱いつだつした存在だ。その彼の口から、およそ八津原やつはら達が信じない概念を、あたかも実在するものとして語っている。それが当然であるかのように、それが真実であるかのように。


「では、先程お話しした余剰領域というのは、生命に関する事柄を、まだなにも記載いない余白のページ、ということでしょうか?」

「その認識で相違そういない」


 ただし、とミシェラに向けていた右手の指を、今度はメイへと向け直して続けた。


「我らの世界の魂は、貴様らの世界の魂よりも数万……いや、もの余剰領域を有している」

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