第6節


 思わず敵の存在を忘れて注視してしまう。

 血のように赤い肌と、筋肉や血管が隆起する上腕。その両手に握られた、光沢の失った墨のように黒い金属の武具。いや、武器と見做して良いのか判断がつかない、異質、異様さを放つ代物だった。


余所見よそみをしている場合か」

「っ!!」


 蓋羅がいら一喝いっかつで我に帰り、大木を蹴り飛ばしてきた黒鬼オーガへ視線を向ける。今の攻撃が有効だと考えたのか、5体の怪物が一斉に木々を蹴り飛ばしたり、あるいは引っこ抜いて投擲したりと、周囲の同胞など気にせず巻き込みながら攻撃してきた。


「おのれ、けだものどもが!!」


月影げつえい穹斬きゅうざん!!】


 中空で身を翻し、全身で回転しながら刃が銀色に光る。円状の軌跡がそのまま刃となって巨大化し、吹き飛んできた大木の悉くを両断していった。


「ガイラ殿!!」

「問題ないと言っている」


 被弾しなかった木々やその破片は後方の二人へと飛来するが、メイの懸念は杞憂きゆうに終わる。

 身の丈以上の樹木が飛来した瞬間、金棒が唸った。

 消える程の速度で振り回し、叩き壊し、砕き尽くす。飛来する全てを、空気ごと破砕して、周囲へと粉微塵こなみじんとなったそれら諸共もろとも吹き飛ばし、金棒で対処できなかったものは鋼索を波打たせて振り回し、一片も残さず弾き飛ばしていく。

 赤肌の青年が振り回す鋼索は、細い鋼鉄の線を何十本も撚り合わせて束ねており、恐らくは右手に持つ金棒以上の重量を持っていた。しかし彼はその重さなど微塵も感じさせない、圧倒的速度で空気を叩き、大樹やその破片、果ては他の魔物達が放つ魔法さえも砕き弾いている。

 そのさまは、黒い鋼鉄の結界が二人を包むようだった。


梃子摺てこずっておるようだな」

「そう、ですね……! でも妙です……。限り、あの黒鬼オーガも含めて、どれもメイには及ばないステータスです。数が多いからといって、彼女が苦戦するはずないのに……!」


 豪雨やそれによって増水した河川の氾濫でも起きているのか、と思える程の轟音に晒されて、金髪の令嬢は身体を強張らせてしまう。なるべく赤肌の青年の邪魔にならないよう、彼の背に近づき身を縮ませてどうにか会話を成立させる。

 戦闘中、メイはミシェラ達へ視線を向ける瞬間があったものの、蓋羅がいらの防戦を見て以降は安心したのか魔物達への警戒のみに注力していた。

 ミシェラの言葉通り、異世界の勇者には及ばないものの、本物の英傑と呼べる彼女の実力ならば、同士討ちも厭わない黒鬼オーガによって数が減っている今の状況ならば、苦戦などあり得ない筈だった。

 単独での対処は困難かとミシェラも疑い始めた時、突然蓋羅がいらの手で胸元まで抱き寄せられる。何事かと思うより先に、自分達のいた場所へ青白い稲妻が落ちようとしていた。

 しかし寸前で有角の青年が彼女を抱えて退避し、同時に雷光目掛けて鋼索を振い走らせる。

 空気を打ちつける鋭い轟音が鳴り、を弾くように防いでみせた。


「あ、ありがとうございます……」

「礼には及ばぬ」


 変わらず冷静な言葉を呟き、咄嗟に地面へ突き刺していた金棒を器用に鋼索をひっかけて抜き取り、稲妻が放たれた後方を鋭く睨みつけた。


「……どうやら回り込まれたようだ」


 その言葉に合わせるように、メイが対処していた大群以上の数の魔物が押し寄せてくる。

 いや、。茂みの奥から漂う不穏な害意を感じ取った時には、既に物陰でうごめく獣の姿を視認できる距離まで、接近を許してしまっている。


「い、いつの間に……。気配を全く感じませんでした……!」

「俺もだ。今も気配が希薄に感じるが、何かの術法によるものか?」

「恐らく、『気配遮断けはいしゃだん』の魔法によるものかと……。ですがここまで全く気づかないなんて……。私の『鑑定』の目で視ても、今本当になんて……。こんなことは初めてです……!!」


 発見されたのを察知したのか、茂みの奥から牙を覗かせておもむろに姿を現す。狼の似姿の他に、のしかかれば大人すら覆い被せる程の大熊までいた。勿論その個体も魔物で、他の個体と同様に輪郭が黒いかすみのように揺らめいている。

 喉奥から響く警戒と敵意の唸りに、金髪の令嬢に一層の緊張が走る。メイも事態を把握し二人の元へ下がろうとするが、対敵する怪物がそれを許さないでいた。

 手近な岩を掴んで投擲とうてきしようとする黒鬼オーガから目を離せず、地上の魔物まで注視する余裕がない。その上、後方から迫る魔物にまで攻撃の手が回らない事に歯噛みしてしまう。


「ガイラ殿はとにかく姫様を!! 私はこのままこいつらをっ!!」


 そう言って柄を一層強く握り込んだ瞬間だった。

 腰に何かが巻きついたと感じた時には、全身が勢い良く後ろへ引っ張られていた。何事かと思考が追いつかないでいると、そのまま蓋羅に抱き留められてしまう。


「ちょ、なっ、ガイラ殿、一体何を!?」

最早もはや貴様一人でどうにかできる状況ではあるまい」


 左手の鋼索を振り、彼女の胴へと器用に巻きつけて引き寄せたようだった。何をする気かと思っていると、傍に立ってたいミシェラの隣に立たせて金棒と鋼索を手放す。


「巻き込まれぬよう二人とも動くな」


 赤い両腕を水平に伸ばし、それぞれのてのひらを、周囲に群がる魔物達へ向ける。

 瞬間、初めて対面した際に感じた不気味な気配が、赤い鬼の青年から噴き出した途端だった。

 周囲の魔物達が呻き、けたたましく吠えている。しかし先程までの威勢の良いものではない。陽炎のような黒い身体を小刻みに震わせ、本気で怯えながら自分達が現れた物陰へと後退していた。


「い、一体何が……?」

「『掉挙じょうこの眼』。先の甲冑の一団に見せたのと同じものだ。この眼を前にしたものは、周囲の全てと、術者である俺に対して絶大な恐怖と不安を抱くこととなる。それこそ、人も獣も別なく、恥も矜持きょうじもかなぐり捨てて、逃走を選んでしまう程に」


 有角の青年の言葉通りに、怯えを見せていた魔物達の殆どが一目散に森の中へと走り去ってしまう。その姿は、先刻襲ってきた騎士団の者達が、蓋羅がいらの掌を見た後にむざむざと逃げ出していったさまと全く一緒であった。

 しかし、その中の数匹を踏み潰し、恐るべき形相ぎょうそうでミシェラ達へと近づく物もいた。


「……厄介やっかいな」

「ガイラ殿、なにか術に不都合でも起きたのか!? あの黒鬼オーガだけ近づいてくるぞ……!」

「元から恐怖心を持ち合わせておらぬ存在にはあまり通用せんのだ。相手の感情や本能を増幅させることはできても、存在せぬものを励起れいきさせる作用はなくてな」

「であれば、もう充分だ。5体程度であれば、何とか私一人でも……!!」


 先程現れた大熊の魔物の数倍という巨体を持ち、人間一人を鷲掴みにして握り潰すなど造作もない力を持つのが、今彼らが対峙している黒鬼オーガという存在だ。加えて今までの攻防から、彼女らの知る通常の鬼の魔物と何かが違うという事にも気づいている。

 メイは確かに実力者ではあるものの、そのような得体の知れない巨大な怪物を5体同時に相手取る無謀さは理解しているし、無事では済まないだろうと覚悟も決めている。

 その事を察したのだろう。立ち向かおうとするメイの肩を掴み、前方へ踏み込もうとする彼女を無理矢理静止させた。


「案ずるな。


 言葉の意味を聞く前に、彼女達を庇う形で前へ出てくる。自身の何倍もある有角の怪物達へ、両の掌を向けた。

 武術家が精神統一を図るように、一息の深呼吸をし、ずり落ちる袖から覗かせた両腕から何本もの血管を浮き出させ筋肉を隆起させる。


なお開け」


 ――五色ごしき蓋眼がいがん黒疑こくぎ――


 大気を震わせた言霊ことだまによって、彼自身の雰囲気が一変する。得体の知れなさが漂い始め、人の常識やことわりの外にいる存在のような気配。ミシェラがそのように感じていると、眼前の化け物達の様子がおかしくなった。

 先程まで剥き出しの敵意を金髪の令嬢達へ向けていたというのに、それをあろうことか隣の同族へと向け始め、殴り合いを始めたのだ。まるで仇でも相手にしているかのように、憤怒の雄叫びを上げて互いに殴り、蹴り飛ばし、噛みつき合っている。

 異様な、そして異常な光景に呆然としていると、またも蓋羅の雰囲気が変化する。


れにてしまいだ」


 ――五色ごしき蓋眼がいがんりょく惛沈こんじん――


 耳から届いているようにも、脳内へ響くようにも聞こえる不思議な声が放たれると、同族で争っていた怪物達が次第に腕を下ろし、朦朧とした様子で棒立ちしてしまう。

 やがて身体を蹌踉よろめかせたと思った瞬間、その場に次々と倒れて、一斉に寝息を立て始めた。

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