第2章 常識的な形而上学講座

第1節


「これから、はぐれてしまった勇者の皆様と合流します。あらかじめ落ち合う地点を決めていましたので、ヤツハラ様やコウサカ様、他の協力してくださる勇者様ともそこで会える手筈になっています」

「そうか」


 湖畔から離れ、樹海を進むミシェラとメイの傍を、四周を警戒しながら蓋羅がいらが同伴する。彼女らの数歩前を行き、僅かな音すら聞き逃すまいと周囲へと意識を向けながら進む姿に、先程までの不穏な気配は微塵もない。

 生絹のような柔らかい金の髪を揺らし、すたすたと歩く黒装束の青年の隣へと追いつき、声色を弾ませて話しかけた。


「改めて、先程は命を救っていただき、ありがとうございます」

「私からも礼を言わせてほしい。姫様を救ってくれたこと、深く感謝申し上げる」


 傍で連れ歩く王女直属の近衛兵、メイ・マツカサ・カノンランスはそう言って、ミシェラに倣い深く頭を下げる。肩にかかる程度に切り揃えた黒髪を持ち、釣り上がった目尻に整った顔立ちと相俟って、女傑という言葉が当て嵌まる女性だった。

 胸当てや籠手こてなどの急所を金属の鎧で覆い、それ以外は軽量化の為か革や麻の衣服で肌を覆う服装をしている。防御よりも回避を念頭においた装束となっており、腰に差す刀剣も細身の片刃剣で、僅かに峰の方向に反り返っている刀身は、王国の騎士団で普及している一般的な剣には見られない特殊な形状をしていた。

 二人が頭を下げている姿に、しかし有角の青年は立ち止まって見つめるだけで何も答えず、四周を警戒しながら再び歩き始めた。


「えっ、あ、あの、何か、お気に触るようなことでも……?」

「別にない。先を急ぐのだろう。立ち止まる時間が惜しいだけだ」

「そ、そうでしたか……」

「それに感謝も不要だ。貴様らに礼を言われる筋合いはない」

「なっ! おい、私はともかくとして、姫様に対してその物言いはなんだ?」

「まぁまぁメイ、落ち着いて。ヤツハラ様達と同じで、きっと謙虚な方なのでしょう」


 そういう問題では、などと口走るメイを他所に歩みを止めない蓋羅がいら。ただ、ミシェラ達がすぐに追いつける程度の速さを保っており、足運びや歩幅を調節しているようだった。


「ですがガイラ様、窮地きゅうちを救っていただいたばかりか、こうして護衛も引き受けてくださった以上、お礼の一つもないというのはいただけません。後日改めて、正式な場での謝礼を」

「必要ない。此方こちらに連れ去られた転移転生者達を帰還させる為に来たのだ。そのような事にかかずらっている暇はない」

「貴様……!! いくら何でも無礼が過ぎるぞっ!! この御方をどなたを心得て」

「誰であろうと関係ない。俺は獄卒ごくそつ。その上、此処こことは違う異世界の住人だ。この世界の、人間の流儀や礼節に合わせる義理も道理もない」


 口を開く度に無遠慮かつ無作法な物言いを展開するので、従者である女傑が眉間に青筋を立ててしまう。ミシェラとしては純粋に感謝を伝えているだけなのだが、有難迷惑と思っているのだろうか、拒絶の意思をバシバシと感じてしまって狼狽えてしまった。

 異世界の勇者達は皆、本来使用人がするべき雑務を自発的に行い、城内でも異様な程に分け隔てなく接していた。国の要請として周辺の村落へ遠征に赴き、魔物退治や住民の救助活動も率先して行うが、見返りも何もいらないと断る者が大半だった。聞けば、彼らの故郷ではそれが普通だと言う。なので、目の前にいる蓋羅がいらと名乗る有角の青年もまた、そういった気質の持ち主なのだろうかと思っていた。

 ただ、その予測は外れなのかなと思い始めていた。あれやこれやと話題を変えて話しかけても空返事を口にするばかりで、褒美の話をしようものならば、ゆったりとした足運びから即座に加速して、前方の視界を遮る巨木や大岩の向こう側を確認しに行くという、聞く耳を持たない態度を取る事もあった。


「姫様。あれは謙虚でもなんでもありません。ただの無作法者です」

「あ、あはは……。ですが、無理もないかもしれません」

「はい?」

「彼は最初、『汝らが拉致した我らの世界の人間、その一切を返してもらおう』、と仰っていました。確かに彼らからすれば、私達は同胞を攫った無法者に映ってしまうでしょうね」

「し、しかし! それは我らの使命のためで……。何より神の導きによって選ばれたのですから、むしろ名誉あることではありませんか!」


 その言葉に同意を示しつつも、前方を歩く青年へと目を向ける。上背のある後ろ姿からの雰囲気では、今までのミシェラ達の会話が聞こえているのか、聞こえていたとしてどのような心情を抱いているのか当然分かる筈もない。

 ただ、邂逅した直後に口にした言葉とは裏腹に、金髪の令嬢への叱責しっせき憤怒ふんどらしきものは感じられなかった。拉致などという言葉を使っていながら、彼女らを責める気は毛頭ないような雰囲気で。


「あの、ガイラ様! しつこい申し出なのは重々承知しているのですが、お望みとあれば何なりと助力いたします」

「……自覚した上でまだ言うのか。それに、うら若き生娘が容易くそのような物言いをするものではないぞ」

「も、申し訳御座いません。ですが……」


 目の前にいる青年にとって、与り知る筈もない。この世界にとって魔族との闘争の歴史が根深い事も、神がその願いを聞き入れ、人類の仇敵を討つ望みを叶えるべく『異世界召喚の儀』を賜った事も。

 召喚直後、異世界人達の大半は懐疑心と忌避の感情をぶつけてきた事を昨日の事のように覚えている。だから、儀式を取り仕切る王族の一員として、彼らの命運の責任を負うべきと、誰よりも強く思っていた。

 だというのに卑しくも、自らの危機を救ってくれた恩人に対して、彼らの帰還の猶予を求めた自分を情けなく思い、その上、礼の一つも返せない事に恥じてもいた。故のしつこさなのだが、これではむしろ無言を貫いた方が迷惑をかけずに済むのではとも思えてしまう。


「…………、」


 上背のある有角の青年からの視線に気不味さを感じていると、柔らかな口調で語りかけてきた。


「ならば、貴様の話していた、すきる、や、魔術なるものについて話してくれないか? それを此度こたびの礼としよう」

「えっ……」


 思わず目を見開いて驚いてしまう。何を要求されるのか全く予想もしていなかったし、かといって無理難題を吹っかけられても構わないとある種の覚悟もしていたのだが、呆気ない要求に恐る恐る聞き返してしまう。


「あ、あの、よろしいのでしょうか? そのような要求だけで……」

「何度も言っているように、俺は異世界の住人だ。此方こちらの世界の事情も、常識も、通例も慣例も法則も何もかも知らぬ。ならば、異世界転移の事情に精通している貴様からの情報は、何よりも価値あるものだ」

「…………」

「まだ説明が必要か?」

「い、いえ! 分かりました。何なりとお聞きください!」


 やはりまだ遠慮しているのだろうかと勘繰かんぐる一方で、恩人からの折角の頼みだから、と嬉々として返答する。

 逃亡中の雰囲気からかけ離れた、和やかさを醸し出しながら、異世界人同士の二人は言葉を交わし始めた。

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