第3節
その言葉がかけられるや否や、今まで感じていた畏怖と威圧の気配が消えた。
血のような赤い肌や人骨の如き乳白色の角に関しては、人ならざる者の容姿であるため異様という印象は拭えないが、威圧的な気配は嘘のように穏やかになっている。
布状のベルトのようなもので縛って留めているだけの、見たこともない生地でできた黒い装束姿だが、その容姿は彼女の王国の秘術によって召喚した異世界人に酷似していた。
「先程の俺の話を覚えているか? このまま逃げ仰せて行方知れずとなれば、こちらとしても非常に困る」
そこでようやく、失念していた二本角の青年の言葉を思い出す。
「ヤツハラ様……勇者様達を返してほしいと、仰っていましたが……」
「そうだ」
その言葉の後、ミシェラの目線へと合わせるように跪いた。
「名を
鬼という言葉に、ミシェラは反射的に警戒してしまう。
この世界における鬼とは、オーガなどの人型の魔物の総称で用いられる。基本的に凶暴で、そもそも人間の言語を理解できる知能も持たない。自身の膂力の強さを絶対視しており、弱者には容赦なく襲いかかり、強者にも自らの力量を試す為かやはり容赦なく戦闘を仕掛ける野蛮な存在だ。
だが、前述したミシェラの知る鬼と、目の前にいる
「その……、危ないところを助けて頂き、深く感謝申し上げます。わたくしはミシェ」
「ミシェラ・マルデューク・クレイテスラ。貴様らの所業も含めてこちらは承知している。即刻、貴様らが召喚した我らの世界の住人を全て、返してもらおう」
「お、お待ちください!! 勇者様達は現在、魔王軍との決戦に備えて、各地の同盟国へと派遣されている状況で……」
ミシェラの自己紹介も含めて、彼女の言葉など聞く耳を持たない振る舞いをする
「別に今すぐ一カ所に集めよと言っているのではない。それに貴様らへの協力や了承を得ようとも考えてはいない。こちらは勝手に帰還させるだけだ」
「それでは困る!!」
その時、二人の間に割って入るように、ミシェラの従者であるメイが対抗する。
「勇者様方には、この世界の魔王を討つという、女神アスレア様からの使命があるのです。未だ魔王も魔王軍も健在。このまま帰ってしまうなど、使命を放棄するなど許されることではありません」
「ちょっとメイ、それは……!!」
メイの言葉にミシェラは反抗するように声を上げるが、直後に顔を近づけ耳打ちされた内容によって押し黙ってしまう。
「(
「(……そうね。ただ、あの方が異世界人というのは、恐らく本当でしょう。今し方、視た限り、少なくともこの世界の住人ではないと分かりましたから)」
「(……まさか、『
「こそこそと何を話している」
そう言葉をかける蓋羅は、相変わらず表情を変えることなくミシェラ達をじっと膝を突いて見つめている。その獣のような眼窩は、しかし賢人のように全てを見透かすような眼光を秘めている印象だった。
立ち上がり、それに合わせるように腕を組み、眉間に皺を寄せて仁王立ちする異形の青年へ、ミシェラは尋ねる。
「あの、ガイラ様は……、本当に異世界の住人なのでしょうか?」
「そうだ。だが、信じるに値する証拠は何もない。信用させる必要もない故、用意していないのでな」
「いえ、先程の戦いで見せた御力、私達の知らない魔術の数々、その不死身の肉体。確かに貴方は、別の理から来た存在なのだと理解しました。それに……」
「それに?」
「誠に勝手ながら、貴方様を『鑑定』させて頂きましたので、異世界人であるのは確かなのだと……」
「……?」
表情を変えないまま首を傾ける仕草を見せたので、困惑して言葉を続けるのに数秒遅れてしまう。
「あの、私の『鑑定』は自動で発動してしまうものでして、普段は名前だけしか認識できないよう必要最小限に力を留めているのです。ですが先程まで追っ手を撒く為に、相手の能力等まで覗けるように調整していたもので……」
「……まず貴様の言う、かんてい、がどういう代物なのか知らぬのだが」
その言葉に、しまったという表情を浮かべてしまう。当初、異世界から召喚した勇者一同と話した時と同じだと気づき、慌てて説明する。
「も、申し訳御座いません!! 貴方がたの世界では、魔術の類いが存在しないのを失念しておりました。えっと……、『鑑定』というのは、視認した相手の名前、出生、能力など、様々な情報を視ることができるスキルなのです。魔術とは違う、神からの
「……なるほど」
「それで、その力でもって、今し方ガイラ様を視たのですが、御名前や出生など、全ての情報がぼやけてしまって判別できない状態でして。それが最初に勇者様方を視た際と同じでしたので、ガイラ様も異世界人なのではと思ったのです」
「…………そうか」
どうも興味関心がないのか、彼女の説明に空返事で応対する。説明を理解したのかどうかも分からないリアクションで、眉間の皺の幅すら変化のない蓋羅に、ミシェラは当惑した様子で、先程の帰還についての話題に移った。
「あ、あの……どうか、どうか勇者様達を帰還させるのは、待って頂けないでしょうか? 未だ魔族との戦争は続いており、このまま人間側の戦力が低下してしまうのは……」
「……意外だな」
「は、はい?」
「いや、帰還させるのを拒否するのではなく、猶予を求めるのか、と思ってな。これまでは大概、喚き散らしながら帰還を拒絶する者ばかりだったものでな」
この世界にとって、異世界の勇者というのは戦力としても、象徴としても重要な存在だ。できるものならば、未来永劫この世界で暮らし、人類の発展や恒久的平和に尽力してほしいと考える者も多い。
しかし、
「わたくしも、かつてはそう考えていました。ですが今は……。我々の都合で勝手に召喚し、我々の都合で、こちらの世界の事情に巻き込んでいるのです。その上、その生涯を終えるまでこの世界に縛りつけるなど、あってはならないことです」
「……、」
「ですから、彼らを元の世界へ帰して頂けるというのであれば、むしろ喜ばしいことです。ですが、今はまだ……。勝手な物言いだということは重々承知しています。どうか、どうか待って頂けないでしょうか?」
言葉と共に、異形の青年へ深々と頭を下げる。彼女の後ろでメイが咄嗟に止めようと手を伸ばすが、寸前で主人の意図を汲み、空を掴んで引っ込め、倣うように頭を下げた。
観察するように押し黙る蓋羅が、次に口を開くのに数秒もかからなかった。
「……貴様らの事情は概ね把握した」
「え……」
「今は兎角、
「で、でしたら! ヤツハラ様とコウサカ様、二人の勇者様と合流する手筈になっています! その後でしたら、お連れ様と合流の手助けもできるかと!」
「そうか……。ならば貴様と共にいれば、其奴らとの合流も比較的恙なく果たせそうだ。その間、先の襲撃者と再び相対することあらば、この俺が対処しよう」
「っ、はい!! ありがとうございます!!」
感じていた重圧によって数時間その場で頭を下げていたかのように錯覚していた彼女は、異形の青年からの言葉に安堵する。従者もどこか安心したように表情を和らげ、主人である金髪の少女へ寄り添う。
「では、すぐに出発しましょう」
肩の荷が降りたように、従者と共に森の方へと指差す。特にその言動を訝しむ事なく、無表情のまま異形の青年は金髪の少女の後をついて行く。
「……礼を言われる筋合いはないのだがな」
その言葉を吐き捨てる時も、無表情のままだった。
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