第1章 終了までの過程
第1節
*
春。入学時に生き生きと開いていた薄紅色の花弁も半分以上が散り、所謂葉桜と呼ぶべき姿になった時期。日本のとある高校。二年の教室で朝のホームルームがもうすぐ始まるかくらいの時間帯だった。
突然教室全体が光り輝き、その場にいたクラスメイトが驚きあるいは怯えつつ、突発的な事態に動けずにいた。数秒程で景色が歪み、光が視界を覆い尽くした直後だった。
眩さで瞑っていた目を再度開いた時には、大理石と思しき材質の柱や床、彩り豊かなステンドグラス窓から差し込む陽光で照らされた空間に変貌していた。
豪華な絨毯の上でキョロキョロと辺りを見渡せば、少年と同様に驚愕するクラスメイト達がいる。その周りには白い外套を着た数十人の――ゲームやファンタジー小説に出てきそうな魔法使い風の怪しい――男女が囲むように佇んでいた。
「召喚に応じてくださり感謝致します、勇者の皆々様」
その中で一人だけ、白地に金の刺繍があしらわれたドレスを着た少女が、高校生達の集団へ歩み寄る。
「私は、クレイテスラ王国第二王女、ミシェラ・マルデューク・クレイテスラです。勇者様、どうかこの世界を、救う為に力を貸してください」
*
この世界は現在、人間やエルフを含む五種族によって構成された人類と、『魔族』と呼ばれる種族との戦争が続いているという。長年に渡る争いの中で、何度も人類は滅亡の危機に晒されてきた。その状況を憂いたこの世界の至高神――女神アスレアから、ある秘術を伝えられた。
「それが『異世界召喚の儀』。その秘奥の術によって、皆様をこの世界へ召喚したのです」
最初に声をかけてきた少女、ミシェラ王女からそう説明された。
しかし、突然の出来事による困惑もそうだが、何よりいきなり異世界云々の説明をされて、おいそれと理解や納得を示せない者の方が多かった。
特に、一緒に召喚された教師達から抗議の声が上がる。手の込んだ拉致だと騒ぐ年配の教師もいた為、その場が一時騒然となる中、大広間の奥に座る男から怒号が飛ぶ。
「鎮まれ!!」
壮麗なるローブに身を包み、真紅の絹地には精巧なる金の刺繍が施され、一目でその人物がこの場の誰よりも権威と尊厳を持つ人物だと理解できる。髪は銀色に染まる髭は雄々しくも整然と整えられ、瞳は碧い宝石に似た輝きを持つ。その鋭さは、先の頭髪と相俟って猛獣とも思える程だった。
「突然のこと故、混乱するのも無理はない。しかし、今この世界は困窮の只中にある。異世界の住人である其方らの力を借りなければならぬ程に」
そう語り、玉座から立ち上がると手を少年少女達に翳すように伸ばし、宣う。
「クレイテスラ王国国王、ユークレス・マルデューク・クレイテスラである。その力を、我らの世界の為に貸してはもらえぬか」
上から圧し潰すような物言いに、懇願を聞き入れざるを得ないと全員が察する。教師達もまず生徒の安全を確保すべきだと考え、それ以上何も言えなくなってしまう。
*
その後、王家に伝わる秘宝を用いて『特別な技能』を獲得したり、実は異世界転移してきたのが全校生徒と各クラスの担任教師であると判明したり、魔族との戦いに備えて各種訓練や実践を経験したり、慌ただしい日々を送る中。
「貴方に、折り入ってお願いしたいことが御座います」
ミシェラ王女の自室に呼ばれ、単刀直入にこう懇願されたのだ。
「どうか、魔族との和平実現の為に、力を貸してください」
*
「ほうほう。それで裏切り者扱いでこうして追われてたと。これは王女様の方も襲われてるパターンかな?」
クレイテスラ王国領内北西――森林地帯。
突如現れた正体不明の存在が、手鏡のようなものを向けて見せてきたのは、少年達がこの世界に来た時の出来事だった。一人称視点の映像で、液晶画面とも違う妙な板状の何かに映し出されている。場面毎に流れる映像に合わせて、周囲の生徒の響めきや、ミシェラと名乗った少女の声まで、スピーカーらしき部分が見当たらないのに鮮明な音で出力していた。
「こ、これ……」
そう声を絞り出す少年――
「お、気づいた? そう、これは君、
一年以上前の記憶の映像を見せられて、流石に当時のクラスメイトの配置だとか、訪れたクレイテスラの王城のステンドクラスがどういった色合いだったなど、細部まで覚えてはいない。
しかし、あの時ミシェラに話しかけられたクラスメイトの集団の、左後ろ辺りから彼女を見ていたことは覚えている。この後数十人の男子生徒が「異世界転移きたーー!!」などと呑気に叫び、あるいは全く状況の把握ができずに怯えている者までいたり、一層五月蝿くなった事まで一致している。更にその後、王城内の中庭等で同様の召喚の儀式というものが成功したという知らせが届き、そこでようやく自分を含めた、あの時登校していた生徒達と教職員(校長と教頭ら数名の教職員は何故かいなかった)が異世界に召喚されたと知ったのだ。
「どうも召喚する対象を空間で指定してたから、何人か仲間外れになっちゃったみたいなんだよねぇ。だからほら、数人くらいクラスメイトいなかったでしょ?」
そう話す正体不明の少女は笑みを浮かべて顔を近づける。
灰銀色のボブヘアに、瞳はブルー寄りのパープル。雪のように白い肌で、鼻筋の通った顔立ちをしている。胸や尻などは適度に張りがあり、腰や首は適度に細い。見た目は十三、四程度の美少女だった。
ただしその背中には蝙蝠の羽に似た、被膜のある六枚の羽が生えている。耳も同じ形の細長い羽状となっており、色は光の反射で赤や黒へと変化していた。先端が鏃状になった尻尾まで生えており、明らかに人間の容姿からかけ離れている。
その存在が、地面に伏している大勢の騎士達の上に浮遊して、
警戒していた筈なのに、見せられた情景と魅入られた肢体に意識を釘付けにされ、腰に携えていた剣から手を離してしまう。
「やだぁ、それにそんなに見つめられると、照れちゃう☆」
わざとらしくくねくねと身体を動かし、スリットの入ったスカートや、花弁のような袖の布が揺れる。黒を基調とした薄絹の衣装で、王侯貴族の社交界で着飾ったドレスにも、厳かな葬儀の場に相応しい喪服にも、あるいは寝台で異性の情欲を掻き立てるネグリジェにも見える、不可思議で蠱惑的な姿をしていた。
「あ、あんた何者なの!? その人たちに何したわけ!!!?」
ここでようやく、八津原と同様に気圧されていた茶髪の少女――
「なにって、ただ眠らせただけだよ。私って別に戦闘狂ってわけじゃないし」
「眠らせたって……どうやって……。魔術を使った感じもなかったし……。あなた、魔族……なんじゃないの?」
見た目が異様なだけではない。目前で視認できているのに、彼女達の知る生物としての気配や存在感というものがまるで感じられない。だというのに、第六感、虫の知らせなど、漠然とした感覚で目の前にいるこの少女が、『規格外の化け物』と思えてならないのだ。
「なんでそうなるのよ。言ったでしょ、あなたたちを元の世界に返すって」
「……それってどういう意味なの?」
「だーかーらー、言葉通りの意味だってば。あなたたち、元の世界に戻りたいって思ってるでしょ? その願いを叶えてあげるって言ってるの」
それに、と呟きながら、地面に伏している騎士達を指差す。
「映像から見るに、こいつら、くれいてすら? 王国の保有する兵士なんでしょ? そいつらに襲われてたのを助けてあげたんだよこっちは。少しは感謝してくれてもいいと思うんだけどなぁ」
「あ、そ、そうだよね……。ありが、とう、ございます」
落ち込むように顔を伏せる少女へ、
彼女の言う通り、彼らの周りで昏倒している甲冑姿の騎士達、八津原達を召喚したクレイテスラ王国が保有する王国騎士団の団員だ。本来ならば味方である筈の人員達に取り囲まれ、まさに襲われていた最中だったので、正直この状況は願ったり叶ったりではあった。
しかし、有り難い反面、彼女を味方と思うには無理があった。気配然り、言動然り、何もかも不可解で不明瞭すぎる。
「……とりあえず、君が何者なのか、どうして俺達を助けたのか、諸々ちゃんと説明してくれないか?」
「そうそう。突然現れて、元の世界に帰したげるって言われても、申し訳ないけど怪しさ満点で信じようにも信じられないというか……」
未だに感じる得体の知れない気配も、彼女の和かな表情との不一致さによって不気味にしか思えない。そのような存在から、いきなり元の世界に帰還できると言われても、警戒しても仕方がないだろう。
その言葉に考え込むような素振りを見せ、再び笑顔を向けてきた。
「まぁ、実際に送還するのはガイラくんの仕事だし、彼と合流するまでに説明してあげようじゃないか」
そう言うと、鬱蒼と茂る森の中で浮遊しながら移動し、ついて来るよう手招きをする。
「さっきも名乗ったけど改めてまして。私の名前はローレンティア。
「む、夢魔……?」
「今から別行動してるガイラくんと合流して、他の人間たちと一緒に元の世界へ返す手筈になってるから、ちょい早めに移動するよ」
「ちょっと……!! 合流って、そのガイラ、っていうのはあなたの仲間なの?」
そうよ、と倒れる騎士達など気にも止めず、踏みつけ、足蹴に退かし、深い木陰に入ったところで振り返り答える。
「私と同じで、異世界に飛ばされた魂の回収任務を任された
「ごく、そつ、って……」
「そうだよ。ジャパニーズなら知ってるよね? 地獄、日本の冥府で罪人を刑罰と称してブチ殺しまくってるデーモン……。本物の赤鬼さんだよ☆」
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