第9話 濃厚ラーメンは夏の風物詩④

 レンゲでスープを掬ってひと口目。クリーミーな舌触りで油断していた脳を、豚の旨みで殴られる。喉の奥に残るにんにくと……これは魚介系の出汁だろうか。

 どこか遠くに海を感じながらも、麺を絡めてもうひと口。


 あぁ、ラーメンって完成した料理だ。

 この一杯だけで食の楽しみが詰まっている。割と細めの麺にはスープがよく絡んで、ストレスなく口へ運べる。


 海苔が乗っているのも嬉しいポイントだ。

 スープに浸してから、これまた麺と一緒に食べる。味変もいいところ、一気に日本ぽさ・・・・が前面に出てくる。


 不意に視線を感じて前を見る。


「何だよ」


 さっきは彼女から発せられた言葉を口にする。


「あなた、真剣にラーメン食べるのね」


 褒められているのか貶されているのか分からないコメントだな。

 どこのどいつだよ、しっかり選べって言ったのは。


 彼女の言葉はどこ吹く風、俺はこの一杯と向き合うことの方が大切なんだ。

 再びレンゲでスープを啜る。ねぎに絡んでまた合うもんだ、俺も三栖みたいに大盛りにすればよかったか。


「はぁ、美味しい。食ってみ三栖も」


 そう口にした時には既に、彼女の口にレンゲが迫っていた。

 小さな口を開けてくっとスープを流し込んだは彼女は目を見張る。そのまま言葉を発することなく、お箸で麺を持ち上げると、勢いよく啜り上げた。

 上品さを損なわないぎりぎりのラインでせかせかと動く三栖は愛玩動物みたいで、しかし目の前に置かれたどんぶりはびっくりするほど大きくて。


 観察しているうちに食事は進んでいく。

 彼女が次に手をつけたのはチャーハン、綺麗な半球を丁寧に崩すと、流れるような所作で口元へ。


「ん〜〜!おいしい」


 まるでほっぺが落ちると言わんばかりに両手を頬に当ててにこにこと微笑む。

 仕事中もこんな顔してれば……なんて最近何百回と考えたことが、再び頭を過ぎる。


 それにしても美味しそうに食べるな。俺もチャーハン欲しくなってきた。

 だがしかし、こので半チャーハンなんて食べようものなら午後の集中力が吹っ飛んでしまう。アラサーの胃の弱さを舐めてはいけない。


「ほら」


 気がつくと目の前には少し低い位置から差し出されたレンゲ。こんもりと盛られた黄金色の塊がきらりと光る。


 ここで直接口をつけるべきか、レンゲを受け取って自分の取り皿に移すべきか。そんなどうしようもない、ある意味贅沢な悩みを抱えていると、ぷるぷる震える三栖の腕に気がつく。


 いちいち気にしてられるか。

 顔のいい彼女を少し恨みながら、そのままレンゲに口をつける。


 さっきまで間接キスだなんて俗物に悩んでいた自分が恥ずかしい。

 様々な食材がそれでも統一感を持って舌に押し寄せる。少ししょっぱみが強いのは、ラーメンのスープの風味が口に残っていたからだろうか。


 しっかりとニンニクやねぎの香りを纏った油でコーティングされた米は、最早白米とは別の食べ物と変わっていた。いや、チャーハンおかずに白米食べられるレベルだろこれ。


 にんじんや玉ねぎの食感が、惰性のごとく続いた麺とスープの往復に終止符を打つ。文句なしで美味い。


「よかった、美味しいみたいね」


「顔に出てたか……?」


「えぇ、いつもみたいに」


 ちょっと恥ずかしい。そんな一面を見られていることも、見せていることに抵抗を覚えないことにも。

 照れ隠しにラーメンの丼を持ち上げる。


 何事も無かったかのように、彼女は同じレンゲでチャーハンを救う。

 ご飯が絡むとガードが甘くなるのやめてくれ。心臓が持たないわ。



 昼休みは長くて短い。

 やがて空になった器を背にテーブルを後にする。伝票はもちろん自分の手に。

 仕事では勝てないからこういうところでは……なんて思ってはいるんだが。無事に会計を終えて扉を開ける。


「ごちそうさま」


 店の外で行儀よく待っていた彼女が口を開く。


「いつも夜は折半だからこういう時は出させてくれよ」


「別にお互い毎回食べた分ずつ出せばいいじゃない。そういう・・・・関係でもあるまいし」


「それでも……な、たまにはかっこつけたい時もあるんだよ」


 少し歩いて無事、会社に帰ってきてしまった。この上がり続ける血糖値、それと睡眠欲に果たして俺は勝てるんだろうか。

 欠伸を噛み殺しながらエレベーターに乗り込む。もちろん彼女と一緒に。


「……寝ないでよね」


 じとっと視線で俺を刺しながら、三栖がちくちくと言葉を投げかけてくる。


「わかってるって。もう大人だし」


「どの口が……あ、」


 エレベーターから降りて、トイレの前で彼女が呟く。


「先行ってて」


「ういうい」


 1人で部屋に戻る道すがら、ポコンっと鳴ったプライベートのスマホを見て唇を噛む。

 きっちり彼女の食べた分のお代が電子マネーで振り込まれている。本当にかわいくないやつ。自分の値段を覚えているところにも腹が立つ。


 文句のひとつでも言ってやろうと、自席にて彼女を待っていると、すました顔で三栖は帰ってくる。


「お前」


 言うが早いか彼女は人差し指を自分の唇に当てて笑った。


「だって払ってもらってばっかりだと、いつかは行ってくれなくなるでしょ?」

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