第4話 肉豆腐はお熱いうちに②

「よ、遅かったな」


 少し早足でこちらへ駆け寄ってくる三栖を見つけると軽く手を振る。


「そういう時は『俺も今来たとこ』って言うものじゃないの?」


「デートだったらな」


「それもそうね」


 2人して店へ向かって歩き始める。定時後の繁華街は人の多いこと、忍者もかくやとばかりの足さばきを見せる三栖。

 ちんまりした体がするすると人の波を縫って歩く姿は、どこか芸術的でそれでいてコミカルで、思わず笑ってしまう。


 やがて灰色の無骨な雑居ビルへと到着する。


「ほんとにここで合ってる……?」


 あどけなく首を傾げながら三栖はこちらを向く。そうやって素を出していれば会社でも接しやすいのに。


「合ってる……はず。俺のスマホがバグってなければ」

「私の地図でもここなのよね」


 お前も地図出してるのかよ。そこまで俺の道案内が信用できないか?


「まぁ普段の言動をみていればね」


「おい心を読むな」


「ならすぐ感情を顔に出すのやめなさいな」


 ふふっと手で口元を隠すと、彼女はくるりと前を向く。

 相手が無害な俺だからか、2人でいる時三栖は素を見せてくれる。これがドキドキするイベントだったらラブコメにもなるんだろうが、相手が労働ジャンキーじゃあな……。


 話しながら居酒屋の仰々しい扉を開ける。

 チリーン、と重厚な扉には似つかわしくない澄んだ音が響く。


「2人で席だけ予約していた、四条です」


 人数を示すために人差し指と中指を立てる。中指だけなら悪い意味でも、もう1本追加するだけで平和になるだなんて、不思議な世の中だ。


(何ピースしてるのよ)


「誰がこんなところでピースなんてするかよ、写真撮影でもないんだから。人数は2人だってことをだな」


 たまに天然になるのはなんなんだ。

 ……仕事の時はもっと冷静なのに。


(やめて、恥ずかしいから小さい声で話してよ!)


 彼女は器用にも小声で叫んでみせる。


 そんなこんなで席に案内されてまずは1杯目、俺はビールだが。


「私も生で」


「お前普段ビールしか飲まないけどそんなに好きか?」


「うーん……なんか考えるの面倒になっちゃって。学生の頃は色々飲んでたんだけど」


 視線をメニューに走らせながら彼女は答える。

 綺麗なあごに当てられた指に思わず目が吸い寄せられた。


「何?」


「いーや、なんでも。ほら何食べるぞ」


 視線を誤魔化すように言葉を重ねていく。

 逆さになったメニュー表を覗きながら、俺も自分の胃袋と会議を開始する。


 うーむ、唐揚げのじゅわっとしたあの感触、茄子の浅漬けのきゅっとした舌触りに塩気の利いた味、最初っからクライマックスでラーメンなんかもありだな……。

 溢れ出そうになるヨダレを何とか制止しながら考えを巡らすが、ふとメニュー表の片隅に書かれた魅力的な文字列に目を奪われる。


 よし、是非もない。これにしよう。


「うし、俺は決まった。そちらの女王様は?」


 机の下で足を踏まれる、痛ぇ。ヒールで攻撃なんて非人道的にも程がある。


「私それ嫌いって言わなかったっけ?」


 鋭い眼光に反抗する気も失せる。こういうのはさっさと降参するのが吉だ。

 両手を上げて白旗を振る。


「はいはいすんません。(これくらいすんなり流せないから友達も……)」


「何か?」


「いいえなにも」


 手を挙げたことで店員さんが注文を取りに来てくれる。


「生2つと茄子の浅漬け、肉豆腐で」


 自分の分を頼み終わると彼女に目配せする。


「じゃあ私はチキン南蛮と軟骨唐揚げで」


 こいつ……部活終わりの男子高校生みたいな注文しやがって。もう俺たちも20代後半、言うていい歳だぞ?

 ちんまりした身体のどこに大量の揚げ物は吸収されていくんだ。


 店員さんの姿が見えなくなったところで、彼女が指をもじもじさせ始めた。


「……食べすぎかしら?」


「いいんじゃね?沢山食べる君が好きって言うし」


「あなたにモテても仕方ないんだけど」


 三栖、ほんとにコミュ障なんだよな。

 そのルックスで散々変なやっかみやら面倒なしがらみがあったことを考えると同情するが。


 まぁ今はこのジョッキを豪快に傾けてビールをごくごくと喉に流し込む姿を知っているのは俺だけだと考えれば、ちょっとは溜飲も下がるって話だ。


 つっけんどんな言い方をしているが、面倒見はいいほうなのだ、彼女。

 一度自分が審査に入った案件は最後まで付き合うし。そういうところは好ましいと思う。


「あーやめやめ、仕事のこと考えるはナシだ」


「え、あなた仕事中も仕事のこと考えてないのに……?」


「ぶっとばすぞ流石に」


 いつのまにか頬を緩ませた三栖は、料理を運んできてくれた店員さんに2杯目の生ビールを注文している。

 「あなたは?」なんて目線も、首を振って応える。仕事終わりの一杯は至福と言えど、おじさんに早飲みは期待しないで欲しい。


 彼女のおかわりと食事が運ばれてくる。

 やっぱり今日のメインは肉豆腐だ。薄くなるべくしてなった牛肉と味の染みた木綿豆腐、椎茸に玉ねぎとバリエーションも豊かだ。


 居酒屋で和食を食べられるとなんだか安心する。大人数での飲み会ではどうしても洋食に寄ってしまうからだろうか。


 職場ではどちらかというと静かな三栖が楽しげに喋るからというのもあるだろう。


 とはいえ、とはいえまずは肉豆腐だ。

 レンゲで豆腐を崩して口に運ぶ。出汁、醤油、みりんの見事な調和に目を見開く。その後しみしみの豆腐、思わず隣の牛肉に箸を伸ばしてしまう。


「そんなに美味しい……?」


 三栖が訝しげにこちらを見る。

 返事する間も惜しい、口に味が残っているうちにジョッキを飲み干す。ここまで約2秒、こういう瞬間があるから飲むのをやめられねぇんだよな。


 俺に触発されたのか、彼女もその綺麗な指で器用に箸を動かして豆腐を口へと運ぶ。

 仕事中はぴくりとも動かない表情筋をふにゃふにゃに緩めてむふーっとご満悦だ。


 やがて俺の目線に気がついたのか、咳払いしてメニューで顔を隠す。


「なぁ、俺も何か飲みたいからメニュー見せてくれよ」


 こうやって小さな意地悪ができるのもこの時間だけ、というかこれのせいで仕事中当たりがキツいまであるが。


 キッとこちらを睨むと、彼女はスマホで注文を始める。

 顔が赤かったのはきっと、アルコールのせいだろう。

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