第2話 ビールを冷やすならジョッキまで

「あー今日も頑張ったわ」


 ビールジョッキを合わせて数秒、彼女の手元には既に黄金色の液体はなかった。

 その小さな身体のどこに大量のビールが入るんだよ。


 彼女が満足気にけぷっと息を吐く。

 普段の仕事ぶりからは考えられないほどの豪快さ、法務課のみんなが見たら驚くぞ。


 確かに、真夏の容赦ない日差しを受けていれば、この喉越しに抗えない気持ちもわからんでもないが。


悪酔いするぞ」


 形骸化した俺の注意もどこ吹く風、彼女の目の前には既におかわりジョッキが鎮座していた。


「今日はいいのよ。明日には残さないわ」


 このプロ意識はどこから来るんだ。俺の脳には1ミリも生えてないが。


 俺も冷えたジョッキに口をつける。

 唇を通過してそのまま喉へ、程よい苦味が口を満たす。

 そのままジョッキを傾け続けて6割ほどを喉奥へと流し込む。


「あなたも人のこと言えないじゃない」


 ジト目でこちらを見つめる三栖。こいつ、顔だけはいいんだよな、顔だけは。絶対本人には言わないけど。


「流石にお前みたいに一気飲みはしねぇよ」


 学生の頃みたいにどばどばと飲むことはできないが、「仕事終わり」という最高で最低なスパイスのおかげで、昔よりも美味しく感じることができる。


「うーん……悩ましいわね」


 ラミネートされた2つ折りのメニュー表とにらめっこしている三栖が呟く。

 居酒屋で最初に注文するものはその人のセンスが問われる……なんてことはないが、多少なりとも今の気分を察することはできる。


「私は決めたわ、ほら次あなたね」


 見やすいようにこちらへ向けられたメニュー表には彼女の細い指が添えられている。

 毎日あれだけ紙触っていて、よく乾燥して荒れないものだ。


 ここはやはりおすすめメニューといこうじゃないか。

 メニュー表の左上に目を走らせる、原寸大かと思うほど大きく取り上げられていたのはだし巻き玉子。

 ビールと三栖を交互に眺める……よし、これだな。


 メニュー表に載っているコードを読み込んで素早く注文。


「お前どうすんの?」


「だし巻き玉子で」


「俺と同じじゃねぇか」


 スマホへぽちぽち打ち込みながらひとりごつ。仕事に始まりありとあらゆる好みが合わない俺たちも、こと「食」に関してだけはなぜか気が合うらしい。


 なんこつ唐揚げや冷やしきゅうり、焼き鳥と定番メニューを注文してスマホを机に置く。


「それで今更聞くんだが、これって何の飲み会なんだ?」


「……同僚とのコミュニケーション、もといストレス発散よ」


「さいですか」


 最初の間はなんなんだ。

 しかし同じ課で数年一緒のよしみだ、ストレス発散くらいは付き合ってやろう。


 そういえば初めて飲みに行った時は「仕事のことで」と言われた気がする。結局三栖がでろでろに酔ってタクシーに押し込んだっけ。


「なによ」


 見ていることを不審に思った彼女から声をかけられる。


「いや、初めて飲んだ帰りのことをふと思い出してな」


「その節は……いいかげん忘れて」


 鉄仮面、氷の女王、法務最後の砦など数多の異名を持つ彼女の柔らかい部分、というか素の顔を見た衝撃は当分忘れられそうにない。


「はいはいそのうちな」


 早くも運ばれてきたおかわりのジョッキは相変わらず冷えていて。


「あなたのそういうところ、ほんとに嫌い」


 汗をかいたグラス越しに見た彼女は、少し笑っている気がした。

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