【8】やる気は大事

「僕では力量不足だと?」


 クロードは眉を顰めて問いただすが、オークウッド侯は無言でニコリと笑う。

 そして、ローザに向けて口を開いた。


「私は、彼女に……君の弟子ローザに、妖精の宿る、〈星葬画〉を描いてもらいたい」


 突如として、話の中心人物がローザへと移った。


(えっ!?)


「えっ、クロード先生ではなくて、あ、あたし、ですか?」


 混乱するローザに、笑いを噛み殺しながらオークウッド侯は頷いた。


「ああ。決して、君の師クロードの腕前を疑っているとか、君たちの技術を比べているとかそういうことではないよ。私は絵に優劣をつけることはしないから」


「おまえ、何が目的なの?」


 クロードはハスケル侯爵を睨みつけた。


「そう、警戒するな。別にこのお嬢さんに害をなすつもりはない。ただ、私はあのラファエラ・モッロの孫娘が描いた絵を、この目で見たいと考えている、それだけのことさ」


 彼はやや同情的な視線で、ローザを見つめると続けた。


「この世に生まれた彼女の描いた〈星葬画〉は……ふたつともその存在をなかったことにされている」


「ラファエラ・モッロの〈星葬画〉と、アデル・ギレッドの〈星葬画〉だろう。どちらも素晴らしい〈星葬画〉だ。この世から失われたとしても、僕はずっと覚えているよ」


 ローザの胸がズキンと痛んだ。アデルの〈星葬画〉が失われて、まだ日は経っていない。

 そして彼女の手紙を淡々と読み上げたクロードの声が、耳にこびりついている。


「それで?」


 クロードも深く掘り下げたくはないのだろう。不愛想に続きを促した。


「私は特に、〈妖精画〉が好きでね。その〈妖精画〉を生み出す、君たちには尊敬で頭が上がらないよ。絵を破るなど、愚かな真似は絶対にしない。依頼料として、〈玉瑠璃〉を譲ろう」


 だから、と口にするオークウッド侯は真摯な瞳で、ローザを見ていた。


「私を信じて、依頼を引き受けてくれないか? この生い先短い老人の最期の我儘だ、聞いてくれないだろうか?」


 どうしてこんな展開になったのだろう。

 ローザは困ってクロードに視線を向けた。

 いつもであれば、クロードが強引に話を進めてくれるのに、こういうときに限って彼はだんまりなのだ。

 いや、ローザに判断を委ねている。ローザの意思を尊重してくれる。

 ローザの画家としての資質を認めた彼は、ローザのことを信じてくれているから。

 だが、今のローザには妖精の宿る絵が描けない。


(でも……)


 依頼を請けなければ、〈玉瑠璃〉は手に入らない。

 ローザは何の役に立てない存在だ。今度だって期待に添えられるか分からない。

 でも、クロードが信じてくれるから。

 だからこそ、最後のチャンスを逃したくなかった。


「わかり、ました……」

 

 ――自信のない様子は、絶対に依頼人の前で見せてはならない。

 ――彼らに不安を抱かせる真似をしてはならない。

 ――半人前でも一人前でも、何であれ。それが、画家であり、仕事をするということだよ。


 ローザはパン、と勢いよく両の頬を叩いた。


「ローザ……?」


 クロードとオークウッド侯はローザの突然の奇行に、目を丸くしている。


「あたし、描きます! オークウッド侯爵様、あなたの〈星葬画〉を描いてみせます!」


 ***


 オークウッド侯との面会を終え、ローザはクロードとともに宿へと戻った。

 ジョヴァンニからは、決まり事は漏れなく伝えるよう、釘を刺されている。

 クロードは面倒くさがっていたようだが、約束を守り、せっせと手紙を書いていた。

 それからローザとクロードは、宿の中で夕食をとることにした。

 一階は宿泊者以外も利用できる大衆酒場となっている。

 ローザはきしむ階段をクロードに続きながら降りる。時間は夜に差し掛かり、なかなかの盛況だった。

 クロードは酒場の片隅を選んで座る。彼は店員に何品か持ってくるように頼むと、しばらくして、料理の皿や酒やらが運ばれてきた。

 トロトロに煮込まれた豚肉料理は、オークウッド領の名物料理らしい。付け合わせにこんがりと焼かれた野菜の串焼きはホカホカの湯気を立てていて、ローザは思わず、唾液を飲み込んだ。

 端に座っていても、クロードの際立った美貌は、否応なしに人目を集める。

 王都では外食をしないので、このように注目を受けるのは初めてだった。

 ともあれ、彼はこういった好奇な視線には慣れたもののようで、黙々と食事を口に運んでいた。

 木のカップになみなみと注がれた、冷たい果実水。

 不安げなローザの顔がゆらり、ゆらりと映っていた。


「ローザ。描けるの?」


 声に顔を上げると、クロードは豚肉を丁寧に切り分けていた。彼は存外、食事の所作が美しいのだ。

 均等に切られた肉片を口に運び、ソースがつかないよう、うっとうしげに髪を背中に払っている。

 前にも同じような問答があったな、と思い出しながら、ローザは答えた。


「描きます」


「でも今、おまえは〈妖精画〉が描けない」


 クロードは遠慮がなかった。

 ローザは皿にカチャリ、とフォークを置いて、口を重く閉ざす。

 自信のない様子は、絶対に依頼人の前で見せてはならない。

 でも、ローザは見習いだから、クロードやジョヴァンニの前で自信のない態度をとるぶんには目をつぶると、彼はかつて言っていたけれど。

 いつまでも見習い気分で甘えていては、成長しない。


「あたし、〈妖精画〉描けるように、頑張りますっ」


「描ける根拠はあるの?」


「な、ないですけど、頑張りますっ。何とかしますっ」


 彼の求める根拠はなくても、やる気だけはなくしてはならない。

 オークウッド侯が求めてくれるから。

 それが今の、ローザにできる精一杯だから。

 ローザは真剣な面持ちで、クロードを見つめ返す。

 もしかしたら、少し震えていたかもしれない。決意が揺るがないように、唇をきゅっと引き結ぶ。

 するとクロードは、小さく吹きだした。それから、くつくつと笑いだす。


「せ、先生?」


「いや、その意気だよ。知ってる? 大陸南部の、マドラプタ神聖帝国支配下の小さな港街だったかな。〈言霊〉という概念があるらしい。僕の母方の祖父が、教えてくれた」


「先生の……おじいさま」


 というと、例の『お姫様』の父親のことだ。

 彼の口から直接家族の話が出てくるのは、これで二度目になる。

 ローザが内心戸惑っていると、彼は笑いを引っ込めて口を開いた。


「ああ。言葉には力が宿ると。声に出せば、それは結果を左右する力を秘めているという。ローザ。おまえは、できるといった。その言葉は、おまえ自身の力になるよ」


 励ますように言って、クロードは目元を緩める。

 酒場の薄暗い照明に照らされる美しい金色の瞳は、本当に嬉しそうに見えた。

 クロードがほんの少し、ローザに微笑みかけてくれるだけで、世界が色づいて見える。

 おかげで沈んだ心が翅のように軽くなった。できない、と言わなくてよかった。何より、彼の言葉こそ、ローザに力を与えてくれるから。


「ねえ、ローザ。食べ終えたら、僕の部屋に来てくれる?」


「先生の部屋に、ですか?」


「ああ。僕の絵を見せてあげる」


 クロードが不敵に笑う。

 何かが変わる、そんな予兆をローザは感じた。

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