【7】交渉も喧嘩も強気で挑むべし
オークウッド領までは馬車で三日ほどかかる。
以前、ジョヴァンニが手配してくれたものと同じ馬車だ。ジョヴァンニの生家が保有しているものなのだという。
御者はジョヴァンニ家に勤めている人間とのことで、馬を休ませる都度、ローザたちの様子を細やかに気にかけてくれた。
ローザは慣れない長距離移動に、一日目はほとんどぐったりとしていた。
二日目になると、景色を楽しむ余裕も生まれてきた。のどかな田園風景が広がると、ローザはバセットの村を懐かしく思った。
オークウッド領の城のある街には、昼を過ぎて到着した。
城下街は王都に負けず劣らず、発展している。行きかう人々の装いや喧噪も、王都とほとんど変わりがないように思えた。
天候に恵まれ、交通用に整備された道を選んで走ったこともあり、予定通りに着くことができた。
ローザたちはすぐに宿に向かい、部屋を取る。クロードの部屋で昼食を取りながら、彼はオークウッド侯に向けた手紙をサラサラと迷いなく書き上げると、御者に手紙を届けるよう言づけた。
「先生。何を書いたんですか?」
「ん、ああ。早ければ早いほど良いから、明日、向かうよと」
今日着いたばかりで、明日。早すぎる。
それはずいぶんと性急ではないか。ひとりであたふたとするローザを放って、クロードはごろりとベッドに横になった。
「早く仕事を終わらせて、ゆっくり観光でもしよう。それじゃあ、おやすみ。僕の妖精」
「は、はい。おやすみなさい……」
それから旅の疲れもあり、ローザは泥のように眠った。
***
オークウッド侯の居城は、厳かな佇まいをしていた。
執事に案内されながら、クロードはローザに向けて言う。
「あのね、ローザ。交渉というのは、いかにこちらが優位か見せつけるのが、勝敗の決め手なんだって」
「はあ……」
「ジョヴァンニが言ってた。『交渉も喧嘩も強気で挑みなさい』って。だから今日は、強気で交渉しようね」
自信ありげに口にするのがクロードだからこそ、ローザはにわかに不安になった。
彼のことだから、『強気』となれば、何らかの失礼を働くのは、想像に難くない。
そうなったら何が何でもローザが止めなければと、密かに思った。
応接間に通されて、それからしばらく経たないうちに、初老の男が部屋に入ってきた。
「待たせてすまない。早急に片づけなければならない仕事を残していてな」
彼が主人であるオークウッド侯、そのひとだろう。
クロードが悪く言うので警戒していたが、彼は一見、温和な人物のように思えた。
バセット村を治めていた領主や、ラファエラに依頼するために村に訪れた貴族たちは、その身分のためか、偉そうな口ぶりをしていた。
だが、彼の口調は穏やかで、偉そうな素振りはない。
ジョヴァンニのように洒落者なのだろう。身に着けている衣服やステッキはいかにも高級品であるが、彼のために拵えられたのだろう、よく似合っていた。
彼は椅子に座ると、悠然と微笑んだ。
「ようこそ、〈ミュトス〉の新芽、クロードとローザ。歓迎するよ。君たちがジョヴァンニ・モロー宮廷伯の代わりに交渉にきたのだろう? 事前に話は聞いている」
オークウッド侯が後ろに控えていた執事に声をかけると、執事はすっと、銀製の受け皿に手紙と〈玉瑠璃〉を乗せた。
封蝋の剥がされた白い封筒。
ローザには読めないが、美しい筆跡は見覚えがある。ジョヴァンニの文字だ。
それからローザは、手紙の横に視線を滑らせる。
(これが、〈玉瑠璃〉……)
ローザはゴクリ、と息を呑んだ。
初めて見た〈玉瑠璃〉は目が覚めるほどに鮮やかで、言葉に尽くせない美しさがあった。
青いその塊は握り拳ひとつほどの大きさ。
ローザの想像する宝石は、ピカピカに研磨されて、美しいかたちにカットされたものをイメージしていたけれど、それは取れたそのもの、原石の形状をしていた。
表面は磨かれていないので、ザラザラとしている。手が入らない、ありのままの姿だからこそ美しさをより感じられるのだろうか。
「うん。ジョヴァンニに聞いたよ。金に換えようってくらいだ。〈玉瑠璃〉自体はいらないってことだよね? ルイ・ハスケル。画家の未来を願うなら、ケチケチしないで〈玉瑠璃〉を譲ってよ」
クロードの主張は、これまでになく、図々しい。そして目上の身分の者に対する口の利き方ではなかった。
ローザは唖然とするが、師は強気だ。自分が間違ったことをしているとは露にも思わない振る舞いである。
それを向けられた老人は、怒ることなく、なぜか楽しげに微笑んでいた。
「買い取るということか? 〈玉瑠璃〉は値が張るぞ?」
「金は王家がいくらでも出すって、言質は取っているよ」
「さて、どうかな。これは簡単には値がつけられん」
難色を示され、クロードがムッと眉を寄せる。
オークウッド侯はゴロゴロとした石を、そっと撫でた。宝物を愛でるような、優しい手つきだった。
「〈玉瑠璃〉は、我が先祖より伝わる宝物。同じ好事家の手に渡り、棚に飾られて埃を被るならまだしも、砕いて絵の顔料にされるとは、先祖に向ける顔がないのでね」
彼の言葉はもっともだ。
手放すことになろうとも、大切にしていた宝物を砕かれたら、ローザも悲しい気持ちになるだろう。
「だが、私は〈妖精画〉が好きだ」
好々爺な笑みを浮かべて、彼は続けた。
「先祖には恨まれるかもしれないが、それが、私の好きな〈妖精画〉の修繕に使われるというのであれば、その技術を持つ画家に委ねるのも吝かではないな。ただし、生半可な画家になど渡せるものか」
「なるほど」
クロードは頷いた。
「腕試しってことであれば、受けてみせるよ。ルイ・ハスケル。おまえの〈星葬画〉を描いてあげる。そうすれば、おまえのような頑固で話の通じない老人にも、僕が〈妖精画〉に向ける熱情が理解できるよね?」
「せ、先生ぇ……。もう少し、角が立たない話し方で……」
顔を引き攣らせたローザがクロードに懇願すると、彼はフン、と鼻を鳴らした。
「僕はまどろっこしいのが好きじゃない。ルイ・ハスケルも、それを望んでいたんでしょ?」
クロードに散々に言われながら、オークウッド侯は不快な様子を見せない。
「クロード・スノウ。王国では名の知れた〈星葬画家〉で、その絵は妖精に愛される。〈妖精画〉を集めているコレクターに、君の名を知らぬものはいるまい」
「……僕はただのクロードだ。スノウの家名は〈妖精の愛し子〉となって返上したし、今後名乗るつもりはない」
クロードは不快感を滲ませて、きっぱりと告げた。
ローザには、初め彼らが何を言っているのか分からなかった。
クロード・スノウ。
つまりそれはクロードが貴族だった頃の家名を指すのだろう。
ルイ・ハスケル。オークウッド侯。
彼は、すべてを失った男の子に、手を差し伸べなかったひとだ。
ラファエラが亡くなったとき、村長夫妻は一緒に暮らさないか、と提案してくれた。
ローザはもう十五歳だ。年端のいかない、八歳の幼いこどもとは違う。大人の庇護なく、ひとりで食べて生きていくことができる年齢だ。
それに、ローザが彼らの提案に甘えたとして、きっと彼らはローザが出ていく、と言うまで寄り添ってくれただろう。
ラファエラという大切な家族を喪失してぽっかりと空いた穴は、簡単には埋められない。
そのラファエラも、ローザとは血が通わない。それなのに、ローザを育ててくれた。
血の繋がりがなくとも愛してくれる人がいる半面で、血の繋がりがあっても、頼れる人がいないというのは、なんて寂しいことだろう。
事情があって、クロードを救わなかった老人。
彼は何を考えているのか、確かにローザには分からない。
オークウッド侯は終始穏やかな笑みを浮かべている。
「では、ただのクロード。有難い話だが、私は君の〈妖精画〉を求めてはいないよ」
彼は白い手袋を嵌めた両手の指を組むと、クロードの申し出を断った。
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