【6】オークウッド侯という男

「依頼を請けた時点で、〈玉瑠璃〉ではなくてもいいとおっしゃっていたのですよ先方は。しかしそこに横やりを入れてきたのが、あの『国一番の我儘娘』」


 クロードはそれが誰を指しているかすぐに分かったが、ローザは違うらしい。彼女はすかさず訊ねた。


「あのぉ。『国一番の我儘娘』って、誰ですか?」


「アンジェリカ王女殿下ですよ。どこから話を聞きつけたのか、『この〈星葬画〉を修繕するのであれば、〈玉瑠璃〉でなければならぬ』と申されて」


 ジョヴァンニは頬に手をついて、困り果てていると言いたげに、溜息をこぼした。


「先方もお困りのようでしたよ。簡単に言ってくれますが、今では流通していない貴重な宝石ですし」


 ローザは目を丸くし、アワアワとしながら、口元に両手を当てている。


「ア、アンジェリカ王女殿下って、ままま、まさか、うちの国の、王女様、ご本人がっ⁉」


「まさかまさかの、ご本人ですよ。アンジェリカ・ミル・オネドスク。国王の年の離れた妹君です。御年十六になられるので、ローザよりひとつ年上ですね」


 式典や公務は欠席し、表舞台に姿を現さない彼女と、クロードは面識がない。

 だがジョヴァンニは〈宮廷画家〉。彼を〈ミュトス〉の長に推薦したひきこもりの王女殿下とは、度々顔を合わせているらしい。


「楚々として可憐な美貌。才媛で芸術への造詣も深い。ひきこもり気味なのも、過去に暗殺未遂があり、双子の兄君を亡くされているお立場ですし、警戒されるのも、理解できます」


「あ、暗殺、ですか……」


 ローザは小さな躰を、ブルリと震え上がらせた。

 ジョヴァンニは渋いものを飲み込んだかのような顔をして、続けた。


「伝聞ですが、王位継承のあれやこれやで、いろいろとあったらしいですよ。それについては深く同情しますが」


 血なまぐさい説明をする必要はないと判断したのだろう、ジョヴァンニは適当に濁し、明るい口調で言う。


「欠点は、兄君に甘やかされて、誰かさんのように我儘な、お姫様に育ってしまったことでしょうかねぇ?」


 ジョヴァンニは爽やかな笑みを浮かべて、クロードを見た。

 おおかた、クロードを我儘と言いたいのだろうが、甘やかしたのは視線を向ける本人であることに、気づいているのだろうか。

 ジョヴァンニは渋面をさらに深めて、溜息まじりに言う。


「『〈玉瑠璃〉を用いらぬのであれば、修繕は不要である』と。さらに、『先祖を悼む絵が埃を被って朽ち果てたとして、そなたらの責にあらぬ』、果てには『なんだ、そなたはあの〈ミュトス〉の代表だったか? ふん。そうは思えん体たらくよ』だなんて捲し立てられるものですから……」


 ジョヴァンニは両手で顔を覆い、陰鬱にメソメソと口にする。


「そこまで言われて、おめおめと引き下がれるわけ、ないでしょう……!」


 上品で落ち着いて、穏やかな人柄。紳士の中の紳士と称される兄弟子の中身は、プライドが高く、挑発に弱い小男である。

 王女殿下もそれを理解しているのだろう。


「なるほど。その王家から〈玉瑠璃〉は提供されないの?」


 されないんだろうなぁ、と思いながらクロードは訊ねた。〈玉瑠璃〉が容易に手に入る状況であれば、ジョヴァンニはここまで打ちひしがれてはいない。


「まさか。されると思います? 私が言われたのは、『王家からの提供はできかねる。画材を揃えるのも、画家の仕事だろう? そなたが用意せよ』」


 ごもっともである。

 その時のことを思い出したのか、ゲンナリとした顔でジョヴァンニは口にする。


「資金は提供していただけるようですが、〈玉瑠璃〉を保持している人間は限り少なく、探し出すのに骨が折れました。まったく、ただでさえ忙しい時に……」


「〈玉瑠璃〉を持っている人間には、当てがあるの?」


 ブツブツと一度愚痴を言い始めると長くなるジョヴァンニを遮り、クロードは問いかける。

 ジョヴァンニは一度黙り、クロードの様子を窺うように、その名を口にした。


「ルイ・ハスケル。君も知っているでしょう、オークウッド侯ですよ」


 ***


(オークウッド、侯?)


 その名を耳にして、あのクロードが明らかに動揺したように見える。

 ローザはあまり貴族のことに詳しくはないけれど、侯爵という存在が、とても偉いひとであることはわかる。

 この国で一番偉いのは王族だ。

 その下に貴族がいる。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

 五つの爵位の上から二番目であれば、相当、立場あるひとなのだろう。

 知り合いなのかな、とローザが密かに思っていると、ジョヴァンニが説明してくれた。


「オークウッド侯は、クロードの縁者にあたります。彼の母君の叔父君です」


「えっ!?」


 ローザは驚いて、両手で口を覆った。

 過去、家族を失った男の子に救いの手を差し伸べたのは、彼の師トラヴィスただひとりだったという。

 つまり、オークウッド侯は縁続きにありながら、手を差し伸べなかったひとでもある。

 ならば、良い感情を抱いているわけがない。

 クロードは顔をしかめて腕を組むと、不快感を滲ませて、ジョヴァンニに訊ねた。


「……まさかとは思うけど、僕に交渉まで任せるつもりじゃないよね?」


「その通り。よくわかっているではありませんか」


 ジョヴァンニは満足げに頷いた。


「画家が画材を揃えるのは、王女殿下いわく当然のことらしいので」


「僕、依頼を請けるのやめようかな」


 ボソリ、とクロードが呟く。〈妖精画〉に強く執着する彼が諦めるのも当然だろう。

 ローザも思わず、同情したくなった。これはクロードが可哀想だ。

 ジョヴァンニもひどいのではないか、とローザが非難するような視線を向けると、彼は困惑顔で言う。


「ええと、私はどうして、ローザに睨まれているのでしょう? 私はただ、親愛なる王女殿下の言葉に従って」


「だって、ジョヴァンニさん、分かってるじゃないですか! オークウッド侯は、幼い先生を助けてくれなかった、ひとなんですよ!?」


 ジョヴァンニは目を丸くして、クロードに問いかける。


「クロード。君の過去の出来事を、彼女に話したのです?」


「まあ。概ね」


「ほう」


 そっぽを向いたクロードは、ポツポツと続けた。


「ルイ・ハスケルが幼い僕を引き取らなかった事実を、恨んではいないよ。彼にもまた、事情があるからね」


「そうなん、ですか……?」


 ローザがおずおずと聞き返せば、彼は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。


「あの爺さん、何考えてるかわからないから、苦手なんだ」


 それは先生も同じでは……と言いかけて、ローザは必死に飲み込んだ。


 ***


 ルイ・ハスケル。

 現オークウッド侯爵で、王国でも下部に位置するオークウッド領を統治する老人だという。


「オークウッド領は王都から距離が離れていて、交渉しにいくのも一困難です。ですが、足を運ぶ価値はあるでしょう。オークウッド侯は蒐集家。多くの〈妖精画〉を有することで名が知れていて、また、貴重な鉱物や史料も多く集めているといいます」


〈玉瑠璃〉を保有している蒐集家は何人もいるだろうが、その中で譲ってくれそうな人間は彼しかいない、とジョヴァンニは言った。


「彼は今、遺産の整理をしているようでして。貴重なコレクションの〈玉瑠璃〉も資金に換えようとしているようです」


「ふん、冗談じゃない」


 クロードは吐き捨てる。


「あのひねくれものの老人相手に、売買交渉が務まると本気で思ってる? そういうのが得意なのはジョヴァンニでしょ。おまえが交渉すればいいじゃない」


「できるものなら、そうしたいのですが……」


 ジョヴァンニは両手の人差し指で、バツ、を示して見せる。


「実は、一度断られておりまして」


「おまえにできない交渉が、僕にできると思うの?」


 皮肉気にクロードが言うと、ジョヴァンニは肩をすくめてみせた。


「私では、あのお方の求める対価を提供することができないからと」


「それは、おまえが〈宮廷画家〉だから?」


「察しがいいですね。具体的に、あの御仁は望むものを明言しませんでしたが、君の予想は当たっているでしょう」


 ジョヴァンニにできて、クロードができること。

 つまり、オークウッド侯は金ではなく、クロードの描いた〈星葬画〉を求めているということだろうか。


(なるほど……オークウッド侯爵様も、名の知れた画家の〈星葬画〉が欲しいんだ……)


 誰もが考えることは同じなのだ。

 結局のところ、ひとは一番に囚われている。

 ローザが内心複雑に思っていると、ジョヴァンニは続けた。


「帰り際に言われました。『ジョヴァンニ・モローの弟弟子クロードか、そのクロードの弟子であれば、つとめを果たすことができる』と」


(えっ?)


 ジョヴァンニの視線が、クロードとローザに順に向けられる。


「あ、あたしもですか?」


 ローザが目を丸くして聞き返せば、ジョヴァンニは穏やかに微笑んだ。


「ああ。君が頑張ってくれたら、クロードの役に、すごく立ちますよ?」


「ジョヴァンニ。そうやって僕の弟子を焚きつけないで」


 クロードは冷たい声で、ジョヴァンニを咎めた。

 ローザにもできると、持ち上げられたが、気が沈んでしまう。

 もし、彼が予想通り〈星葬画〉を求めているなら。

 ローザについて知っているならなおのこと、頼む理由はない。〈星葬画〉も〈妖精画〉も描けなくなってしまった今、彼の期待に応えることができないのだ。

 クロードの言う通り、何を考えているか分からない御仁らしい。


(あたしに、何ができるのかな……)


 すっかり自信を失ってしまったローザでも力になれると、ジョヴァンニは励ましてくれているのだろう。

 それでもローザは、恐くてしかたがないのだ。また失敗したら、どうしようと。

 カタカタと震えるローザの手を、誰かが握る。

 ほかでもない、クロードの手だ。


「……クロード、先生……?」


「わかった、依頼を引き受ける」


 クロードはローザに顔を向けて言う。


「オークウッド領はのどかな土地で、賑やかな王都とは正反対なんだ。伝統と歴史ある街で、古めかしい建築物があって、街を離れれば自然も豊か。ちょっとした旅行と思って、息抜きしようか」


「旅行……」


 憂鬱として嫌そうな顔をしていた彼が、発言を翻した。いったいどういう心境の変化なのだろう。


「ローザは、僕と旅行するのが、嫌?」


「嫌、じゃない、です……」


 首を傾げて訊ねるクロードに、困惑しながらローザは返す。


「そう。だったらせっかくの休暇だもの、のびのびと楽しもうよ。以前から、行ってみたいところがたくさんあってね……」


「は、はいっ」


 仕事のことは置いて、気持ちに整理をつける時間を作れ、と彼は提案しているらしい。


(先生と、二人で旅行か……)


 前にも日帰りで、アデルの想い出の湖に赴いてみたが、長く旅行をするのはこれが初めてになるだろう。


(ふふっ、楽しみだなぁ……)


 饒舌に語りだしたクロードを見上げながら、ローザの胸からはすっかり不安が消えていた。

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