【5】師匠は弟子の顔が好き

 個人が所有しながらも、実態は国宝に近い、〈星葬画〉だという。

 その歴史ある〈星葬画〉とやらは、今はジョヴァンニの手元にあるらしい。

 クロードはローザとともに後日、ジョヴァンニ個人が有する屋敷を訪れることになった。

 ジョヴァンニの屋敷、本邸の離れにある別邸は、画家組合〈ミュトス〉の会合でたびたび使用されている。

 広い客間に調度品は相応だ。壺ひとつに、タウンハウスが建てられるほどの価値がある。

 どこか気後れした様子のローザを尻目に、クロードは長椅子にふんぞり返った。

 初めは借りてきた猫のように、きょろきょろと落ち着かない仕草を見せていた彼女も、一枚の絵が目に留まると、すっと姿勢を正す。


(ふぅん、これが……)


 一時的だろう、壁に掛けられた絵画を皮の手袋で指し示して、ジョヴァンニは言う。


「こちらが今回、クロードに修繕を依頼したい〈星葬画〉です」


 豪奢な額縁に収められた絵は、随分と大きい。

 横幅が成人男性の背丈を、ちょうど超えるくらいか。クロードは無言で観察する。

 湖の絵だ。わずかに血の混じったような赤を含む、瑠璃色の。

 かつてローザに語ったような、想い出に近しい〈星葬画〉だった。

 クロードはじいっと、〈星葬画〉を見つめる。

 師トラヴィスに引き取られてから、なおのこと。クロードは湖の〈妖精画〉に囚われ続けている。魂の牢獄とは、よく揶揄したものだ。

 〈悪しき獣〉から守る頑丈で堅固な檻は、同時に、捕らえた魂を逃がさない。

 それは〈星葬画〉であり、〈妖精画〉でもあった。

 〈妖精國〉の風景を描き表しているのだろう。草木あふれる色彩鮮やかな大地に、柔らかな光の帯が差している。清涼さが感じられるような、青く輝く湖がたゆたう。

 その周りを楽しげに駆け回るのは、小さな妖精たちだ。大きな切り株の上で、座り込んだ妖精の少年が、ハープを引いている。

 絵の世界に赴いてみたいと、胸が躍るような一枚だった。

 死者の魂こそ残っていないが、未だ、妖精が宿っている。ハープの音色を楽しむように、ひとりの妖精が、こっそりと紛れ込んでいるのだ。

 だからこれは『特別』な〈妖精画〉なのだと、クロードには理解できる。

 惜しむらくは、その絵が経年劣化で色褪せていること。描かれた当時は、目に鮮やかな瑠璃色で描かれていたであろう湖も、今となっては、くすんでしまっている。


「先方からは、三百年前の〈妖精國〉を、今の〈妖精國〉にしてほしい、との要望でして」


 無茶を言います、とぼやくジョヴァンニを無視して、クロードは様々な角度から、〈星葬画〉を検分する。

 それから、頭の中の資料と見比べる。


「〈妖精國〉アディンセルの泉と、音楽を奏でる〈妖精国の宮廷画家〉スターキー・スターレット。これはレイトン侯爵の〈星葬画〉?」


「その通り。これだけのヒントでわかります? 君は、私の期待を裏切りませんね」


「わからない、と言ったら、僕は絵を描くしか能のない画家になるよ」


 ただ好きだからと言って、絵を描いているだけではダメなのだ。

 過去と今の技法を学び、新しい技術とトレンドを常に取り入れなければ、クロードは絵師として一向に成長しない。

 それに、〈妖精國〉の扉の手がかりとなるはずだと信じて、クロードは多くの〈妖精画〉を調べ尽くしているのだ。


「アディンセルの泉をモチーフとした〈星葬画〉は数多あれど、古くに描かれたもので妖精が宿るそれは、今はこれしか現存していないはずだよ」


 会話は、クロードとジョヴァンニの間で進んでいた。

 クロードはちらり、と置いてきぼりになっている弟子に視線を向ける。

 ローザはわからないなりに、真剣に耳を傾けているようだ。

 ローザは非常に学習意欲が高い。クロードとジョヴァンニが専門的な話をしていても、口を挟まず、時々、頷きながら話を聞いているのだ。

 普段はポヤポヤとしているのに、真面目くさった顔つきを見ると、理由もなく愛おしさがこみあげた。


(ん?)


 何で今クロードは、ローザを愛おしいと、感じたのだろう?

 今日のローザはお姫様のように可愛らしいワンピースを身に着けている。

 普段使いの外出着でいいだろうと思っていたが、ローザは激しく主張したのだ。

 初めてジョヴァンニの家に訪問するのだから、いつもより良い服装をしたいと。

 正直クロードとしては、何でジョヴァンニの家に行くくらいでという面倒くささと、どうしてジョヴァンニの家に行くのにおめかししたいんだという面白くなさがあったのだが。

 ずっと落ち込んでいる弟子のたっての願いだ。何でも叶えてあげるべき、とグッと大人の余裕で、不満を我慢したのである。

 だから、クロードが服や靴を選び、髪型も特別凝ったものにして。

鏡で自らの姿を目にしたローザは、照れ臭そうに、しかし嬉しそうに、はにかんで「先生、ありがとう」と礼を言った。

 その顔も、可愛いなぁ、とクロードは思ったのだ。

 クロードは雷に打たれたような衝撃を受けた。


(そうか、顔か。僕は、ローザの顔が好きなんだ)


 クロードは内心、驚いていた。

 今まで人間の見た目の美醜で、特別な感情を抱くことはなかった。

 ジョヴァンニの甘く洗練された美貌を前にしても、「お貴族様だからお顔立ちが上品でいるんだね」と感心したくらいである。

 誰かの顔を見て、「好きだなぁ」と思うのは初めてのことだったのだ。


「……先生?」


 話を続けながらも、ずっと不躾に観察していたからだろう。ローザが困惑した表情でクロードの名を呼んだ。

 上目遣いの、どこか恥じたその顔も可愛い。

 自覚が芽生えたからか、クロードの口から、するりと言葉が出る。


「僕、ローザの顔が好き」


「……………えっ!?」


「あ、違う。表情も好き。可愛いから」


 ローザは驚いた顔のまま、石のように固まっていた。

 どうしたというのだろう。普通、容姿を褒められたら、嬉しく思うんじゃないのか。

 クロードはカチンコチンに固まった弟子の顔に手を添わせた。ふにふにと柔らかく、飽きずに触っていられそうだ。


(子猫みたいに、あったかい)


 無意識に、桃色のくちびるを人差し指でなぞる。薄く開いた口元から除く歯は、白くて小さくて、真珠のようだった。

 頬から顎のラインも綺麗だな、とクロードが密かに思っていると、ジョヴァンニがごっほんごっほんと大げさな咳払いをしながら、言い諭す。


「クロード。そういうのは家に帰って、ふたりきりの時にドンドンやってくださいな」


「わかった。そうする」


 クロードは素直に頷いて、手を離した。

 家に帰ったら、たくさん可愛いと言ってあげよう、と決める。


「……えっと、やっぱり、今続けてもかまいませんよ? お父さんとしては、進捗が気になりますので」


「進捗? 何の?」


 クロードは首を傾げた。

 ジョヴァンニが近頃、妙に父親ぶるのも、意味が不明である。

 まあ、兄弟子がよくわからないのは今に始まったことではないと思いつつ、ピシリと石膏のように膠着している弟子へと、クロードは訊ねた。


「ねぇ、ローザは、この絵をどう思う?」


 漠然とした問いかけに、石から人間に戻ったローザは、ポヤポヤとした顔つきで頷く。


「は、はい。すごくいいなって、思います」


「ふぅん。どういうところが?」


「目を引く、鮮やかな。美しい、湖の色……」


 ローザはうっとりとした口調で、呟く。

 湖と同じ、瑠璃色の瞳を輝かせて。


「そう」


 今日のローザは、絵を眺めるだけだ。

 妖精との対話をしていない。彼女は、妖精と不必要に触れ合う行いを、避けているようにも思えた。


「この湖の色を出すためには、稀少な瑠璃を砕いで顔料とする必要がある。でも、ただの瑠璃じゃない。〈玉瑠璃〉。今では閉山した鉱山で採れていた瑠璃だ」


 〈玉瑠璃〉はかつて国内の鉱山で少数採れていた特別な瑠璃を指す。通常の瑠璃よりも色鮮やかに発色するのが特徴だ。

 三白年前には既に〈玉瑠璃〉は採れなくなり、現在となっては、一般市場では流通されていない。貴重な〈玉瑠璃〉は、誰かのコレクションとして手元に残るものくらいだろう。

 なるほどね、とクロードは思った。


「この絵を修繕するとなると、当然、〈王瑠璃〉が必要になるけど、あるの?」


「まさか。あると思います?」


 ジョヴァンニは鼻の頭に皺を寄せて、ブツブツと愚痴にする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る