【4】家族会議

 クロードに修繕の依頼をして、それから数日後。


「僕の弟子ローザ。可哀想に、〈妖精画〉が描けなくなったみたい」


「は?」


「あ、砂糖、切らしちゃったの? 困ったな、紅茶に入れたかったのに」


 シュガーポットを覗いたクロードは、ガッカリした様子で紅茶に口をつける。

 渋い、という顔つきをする弟弟子を前に、ジョヴァンニは天を仰いだ。


「クロード……」


「ん、何?」


 砂糖の有無より、もっと気にするべきことがあるだろう。

 弟子の大事に悠然と構えるクロードに呆れた視線を送りつつ、ジョヴァンニは訊ねた。


「ローザが〈妖精画〉を描けなくなった、の話の詳細を、聞かせていただけます?」


「ああ、うん。ローザは今まで描いたすべての絵に、妖精が宿っていたんだけど」


「は?」


「急に描けなくなったって、泣きつかれたんだ」


「すべての絵に妖精が宿るなど、有り得るものか!」


 ドン、と机を手で叩いて問いただすのは、ジョヴァンニの弟子のひとり、マークだ。

 伯爵家の出自で、厳しく躾けられたせいか、融通が利かない。それが彼の美点でもあるのだが、時には欠点ともなる。

 彼は〈異端画〉を描いたローザを排斥すべきだと、ネチネチネチネチ事あるごとに言っていたが、アデル・ギレッドの〈星葬画〉を目にしてからは、ピタリとその口を閉ざした。

 初めはローザへの嫌悪感を隠そうともしなかった彼も、今では複雑な感情を抱いているのだろう。

 〈ミュトス〉でローザの名を耳にするたび、顔を顰めながらも、しっかりと聞き耳を立てていた。

 父親としてはこちらの動向も気になる、今日この頃だ。


(ふむ……。クロードはマークの恋心を察して、この場に呼んだのか?)


 まさか、そんなまさか、とジョヴァンニは別の方向で驚いていた。

 相変わらず前触れもなくフラリと〈ミュトス〉に訪れたクロードは、「ちょっと相談があって」と言うと、マークとベティを連れ立ち、ジョヴァンニの執務室に押し掛けたのだ。


「それが有り得るんだよ。びっくりしたでしょ? 確実に〈妖精画〉が描ける画家なんて」


 クロードはしたり顔で笑う。

 マークは茫然としながら呟く。


「信じられん……。どうやって、〈妖精画〉を描くというんだ。まさか、妖精に、絵に宿れとでも命令するのか?」


「命令はしないけど、お願いはできる。ローザは妖精と話せるんだよ」


 クロードが胸を張って答えると、マークは大口を開けそうなほどに、驚いていた。


「なるほどね……」


 ベティは思いあたる節でもあるのか、顎に手を当てて頷いている。


「ふふん」


 クロードはどこか上機嫌に言う。


「その顔が見たかったんだ」


 ニヤニヤとイタズラ坊主の笑みを浮かべる弟弟子を目にして、ジョヴァンニは再び、天を仰いだ。

 アホの弟弟子は、まるで成長の兆しが見えない。

 恋愛感情に程遠い彼は、ただ単に、以前から何かと衝突の多いマークの鼻を明かしたかっただけなのだろう。

 人間と妖精が声を交わすことはできない。それは常識だ。

 現に、ローザが妖精と話をしているところは見たことがないし、本人とはそれとなく話をして言質を取っている。

 彼女は至って、『普通の画家』らしい。

 もし妖精と話すことができるのであれば、この世の常識がひっくり返ってしまう。性質の悪い冗談だとジョヴァンニは判断して、呆れながら問いかける。


「方法はさておき、〈妖精画〉が描けなくなってしまったというのは、事実なのですか?」


「うん」


 クロードは笑みを引っ込めると、真面目な顔つきで言う。


「ローザは、再び絵が燃やされることを懸念して、〈妖精画〉が描けなくなった」


 執務室に、重苦しい沈黙が落ちる。

 絵を燃やされた経験のないジョヴァンニでも、彼女の苦しみは十分に理解できる。それはこの場にいる誰もが同じだろう。

 彼女はまだ、若く。ポッキリと心が折れてしまっても、仕方がない。


「こういうとき……。僕はどうしたらいいか、わからなくて」


 クロードが頼りのない声で言う。


「教えてほしい。どうしたら、ローザは絵が描けるようになる?」


 ジョヴァンニは驚きのあまり、閉口した。

 だって、ジョヴァンニがクロードの兄弟子となって初めて。

 あのクロードが、頭を下げたのだ。


 ***


 ベティの知るクロードという青年は、天性の才能を持つ画家だ。

 それが生まれながらではなく、妖精に愛されたが故に手に入れた才能だと、影ながらに噂されていることは、知っている。

 だが、他には何も知らない。

 同僚である以上、友好的な関係を築きたいと思ってはいるが、彼はとても人間不信で、おまけに不遜な態度。なかなか距離を詰めたがらないのである。

 ベティの作ったケーキを美味しそうに食べても、ベティの顔はろくに見ようともしないクロードを見て、なんとなく、彼のあり様が分かるような気がした。

 彼は必要以上に、ひとと関わるのを恐れているのだ。

 理由はいくつか思いあたるけれど、おそらく、傷つきたくないのだろう。

 だから、彼の在り方を否定するつもりはない。同僚だから友好的な関係を抱きたいというのは、ベティの勝手な押しつけだと、クロードの感情を優先することにした。

 しかし、そんな彼が、頭を下げるなんて!

 それも、自身のためではなく、弟子になったばかりの少女のために。


(いいことでは、あるけどね……)


 ベティは恐る恐る、師匠の顔を見た。

 〈ミュトス〉の親方であり、ベティの師匠でもある男ジョヴァンニ・モッロは、この重苦しい雰囲気とは異なり、満面の笑顔を浮かべて固まっていた。

 内心、涙を流していることだろう。

 これは使い物にならないわね、と舌打ちしながら、ベティはマークに視線を向ける。

 彼も同じ気持ちだったのだろう。

 クロードとは仲の悪い彼も、この時ばかりは素直に、彼を気にしているようだった。


「クロード、確認するが。お前は、俺たちを頼ろうとしているのか?」


「うん。どうしたら、ローザは、絵が描けるようになるかな。僕、考えたけど、分からなかった。おまえた

ちなら、分かるかなと思って」


「なぜ、俺たちに?」


 その疑問はもっともだった。

 クロードはマークと仲が良くないし、ベティも同じだ。

 それにベティは、〈妖精画〉どころか、ジョヴァンニが満足するような絵が未だに描けずにいる。


「マークはローザの〈星葬画〉を二回見ている。それにローザのこと、嫌いでしょ?」


 率直な物言いに、マークは鼻の頭に皺を寄せた。


「……そうだな。彼女は、好かん」


 重苦しい声で肯定するマークを、それはどうかしら、と内心思いながら、ベティは続きを促した。


「だったら余計に適切な人選だと思えないけど?」


「だからこそ、忖度のない意見が貰えると思ったんだ。ベティは下に弟妹がいるし、ローザと仲良くやっているみたいだから、別の目線での意見が得られると思った」


 なるほど、合理的だった。


「たくさん絵を描かせるうちに、自信を持つかなって思ったけど……。僕は、ローザが楽しく絵を描くのを側で見ていたいんだ」


 彼の表情に影が差す。


「あの子に、悲しい顔をさせたくない。たとえそれが、必要なことであってもね」


「……クロード、君は立派に先生を務めているのですね。兄弟子は、感動で涙が止まりません!」


 それまで黙っていたジョヴァンニは、ガシリ、とクロードの両手を包み込む。

 目配せをした弟子二人は、無言で師匠から距離を取った。


「あのクロードが、ああ、天国におられる師よ、見ておられますか? わがままな坊やだったクロードがこんなにも立派になって……!」


(まーた始まった……)


 ジョヴァンニが弟弟子を溺愛するのは慣れているが、うっかり暴走すると止まらないのだ。

 クロードは手を振り払いたそうにしながら、うっうっと嗚咽をこぼすジョヴァンニに問いかける。


「ジョヴァンニ。教えて? どうすればいいと思う?」


「…………難しい問題ですね」


 ジョヴァンニは鼻をグズグズと啜りながら答える。まだ、〈ミュトス〉の親方としての理性は残っていたらしい。


「スランプなど、画家にとって至極ありがちですが、対応を間違えれば、彼女は迷わず筆を折るでしょう。そういう繊細な感性を持っていますから」


「そう……」


 どうにか不安を取り除いてやれないものか、とぼやくジョヴァンニに、声を上げたのはマークだった。


「……絵を描くことを、否定しない」


「え?」


「あの『異端』の娘が、絵を描きたいと思う気持ちを抱かせることが、何よりも大切ではないかと、俺は思う」


 マークは顔を逸らしながら、口にする。


「あとは……そうだな。俺の父上は、母上を気晴らしに旅行に誘うことが多い。どこか遠い地で心身ともに休暇をとるのもよいのではないか?」


 ベティは感動に躰を震わせた。

 マークはローザを嫌っていた。〈ミュトス〉から追い出そうとしていた。それが何の心変わりか、ローザの不安を取り除くための助言をしている。

 きっとマークは、ローザを認め始めているのだ。

 確かにローザの絵は良かった。

 あたしの〈星葬画〉を描いてほしいなぁと、ベティが改めて思うほどに。


(しかし、まさかねぇ……)


 面白いことになってきたと、とベティはこっそりと二人を見比べる。

 伯爵家の長男と、国一番の画家。どちらも美男子だ。残念ながら、性格はいまひとつだが。

 そのいずれも『異端』の画家を気に欠けている状況は、まるで流行りの恋愛小説のよう。

 ベティは密かに、ローザを取り巻く恋愛関係を娯楽としていたのである。

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