【幕間3】妖精女王のおくりびと

「どうか、わたくしのこと、忘れないでね」


 わたし――ラファエラ・モッロの『友』は、最後にそう言い残した。


 ***


 命というものは、不平等で、限りなく、公平だ。

 ひとはいつか死ぬものだし、それは「ひと」に限った話ではない。


 ラファエラの両親ときょうだいたちは、流行り病が原因でラファエラを残して死んでしまった。


 隣の家のボケた爺さんは、息子や娘夫婦、孫一同に看取られながら、九十歳の大往生、老衰で息を引き取った。

 爺さんは与太話が好きだった。

 うっかり声をかけられようものなら、益のない話で半日拘束されることもあった。

 おまけにボケているものだから、同じ話を幾度となく繰り返すのだ。

 日によって微妙に事の顛末が変わるので、いつか聞いた昔話でも、新鮮味があって退屈はしなかったけれど。

 あの長話に付き合わされることがないのだと思えばせいせいする。

 少しだけ寂寥感を覚えたのは……否めない。


 行きつけの食堂のひとり息子は旅先で水難事故に遭い、彼の躰は多くの仲間と大きな船とともに、深くて黒い水底に沈んだ。

 彼の遺体が街へ戻ることはなかった。

 旅が好きな人で、それ以上に女好きで、ひどく気障っぽい。

 その減らず口でラファエラを口説きながら、へんてこで用途が不明なお土産を山ほど渡したものだ。

 彼から貰ったお土産は棚の片隅にまとめて置いてあるけれど、今後はそれ以上に数が増えることはないだろう。

「こんなもの、何に使うの」と、呆れながら訊ねる相手はもういない。

 せいぜい埃をかぶらないように、こまめに掃除をして眺めるくらいしか、もはや使い道はないのだ。


 先輩の家で飼われていた犬は、夜間に忍び込んだ盗人に果敢にも襲い掛かり、あたまをたくさん殴られて、あたりどころが悪くて命を失ってしまった。

 躰は大きい。そしていかめしい顔つき。

 見るからにとても強そうなのに、野良猫に自分のご飯を食べられても、きゃうんと切ない泣き声しかあげられないし、客人が来てはコソコソと小屋に逃げ隠れてしまう。

「あれは気が小さすぎて、防犯にもなりやしない」と飼い主からも笑われてしまう、臆病な子だった。

 寒い日には狭い小屋の中で、野良猫たちと躰を擦り合わせて暖を取っていた。

 帰り際には尻尾を振りながら客人を見送ってくれた。

 馬鹿だけど優しくて愛嬌のある犬だった。

 ラファエラは犬が特別好きではないけれど、あいつだけは特別に可愛いな、なんて柄にもなく思っていたのだ。

 ラファエラの人生には「死」がつきまとう。


 ヨナ。ヨナ。

 一枚の古びた金貨と引き換えに、宝物をくれた愚かで賢い奴隷ヨナ。

 ラファエラの最初の友人ヨナ。

 哀しき妖精の子、アルカレアヨナ。

 彼は己の夢をラファエラに託した。

 美しい願望こそが彼の何よりの宝物だった。

 その骸はラファエラの家族とともに、故郷から遠く離れた小さな島の檸檬の木の下で、ひそやかに眠る。


 そしてあの、美しい男――〈悪しき獣〉ライマズルニカ。

 指先ひとつで氷の花びらを咲かせる、妖精の國の宮廷魔術師。

 彼は魔法を、歌で操る。

 ラファエラの、ただ唯一であった先生。

 あの夜、ラファエラの魂が欲しいと、彼は恋人に囁くように強請った。

 すべてを失ったラファエラ・モッロという少女を、特別にするために、とびっきりの魔法をかけたのだ。

 命と引き換えに、ラファエラは人間の子の身でありながら『魔法使い』になった。

 ねえ、ライマズルニカ。

 ラファエラを「ばけもの」にした「ばけもの」は今も生きていますか? 

 彼と再び相まみえるのは、きっとラファエラが約束を果たす頃になると、信じている。


 ***


 そして、『友』。

 ラファエラの『友』にはたくさんの友人がいた。

 多くの者に愛されていた。

 それは『友』が優しいからではない。

 自他ともに厳しかった。甘えを許さず、妥協をすることなく。堅実であるために、けっして嘘を許さない。

 『友』が強いからではない。

 『友』は剣も槍も弓も、おおよそ武術といわれるたぐいはすべからく不得手だ。

 殴り合いの喧嘩はいつだってラファエラが勝った。

 『友』のお仲間のように、空も飛べないし、走るのも遅い。

 ラファエラのあとを、息を切らしながらノロノロと走る。

 湖が好きで、城を抜け出してはぼんやりと眺めていたのに、少しも泳げない。

 『友』が賢いからではない。

 『友』は悪童じみた悪知恵こそ働くけれど、『友』よりも知識が深かったり、頭の回転が速かったり、機転が利いたり……『友』の周辺の者のほうが、よほど優秀だ。

 『友』が頼りになるからではない。

 『友』が毅然とした態度で下した判断が、とんでもない事態を引き起こすことなんて、しょっちゅうだった。

 『友』の尻ぬぐいをするのは、『友』の周りにいる、優秀な部下たちだ。

 『友』が偉いからではない。

 『友』は特別な立場にあった。それでも、偉そうにふるまうことは一切なかった。

 『友』の前ではみなが平等に家族だった。

 『友』が美しいからではない。

 『友』は確かに、とてもとても美しかった。

 宝石のようにきらきらと輝く瞳は、出会った当初から、ラファエラの視線を惹きつけてやまない。

 これまでに見た、何よりも美しく、ラファエラはそれをいつまでも見つめていたいと、思った。

 ただし、美しさに翻弄される感情は、真の愛とは言えないだろう。

 『友』がみなを、愛していたから。

 同じくらい、愛されたのだ。

 わがままを言わなくて。

 友人の幸福を願って。

 どんなにつらい状況に身を置かされても弱音を吐かなくて。

 悲愴の嵐が国を覆い隠しても笑みを絶やさなくて。

 自分がいなくなった後のことも考えて。

 思い残すこともないくらいにお役目をきっちりと果たして。

 そんな彼女が最後に、ラファエラだけに言うのだから。

 ラファエラは『友』の言葉を聞いて笑ってしまった。

 笑った衝撃で、涙がポロポロとこぼれた。

 熱い涙が『友』の頬に落ちたとき、『友』――ウィレミナ・グリーンは穏やかな、長い長い眠りについた。


 ――わたくしね、貴女に、忘れられたくないわ。ずっとずっと、覚えていてね。


 そう願ったその姿を、知っているのはラファエラだけ。


(馬鹿ね、グリーン。わたしの最愛の友)


 人間の記憶ほど、脆く不確かなものは存在しないのに。


 だからわたし――ラファエラ・モッロは、その姿を絵に『永遠』に残すことにした。

 それが『異端』と呼ばれる行いでも、ラファエラに迷いはなかった。

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