【9】初めてのお披露目

 完成した〈星葬画〉の納品を終え、ついにお披露目の機会がやってきた。

 ローザが描いた〈星葬画〉はそれなりに大きい。

 だから、屋敷の使用人に強力を仰ぎ、丁重に運んでもらった。使用人たちとは、〈星葬画〉を描く上で何度か顔を合わせ、軽い世間話ができる程度には仲も深まっている。

 馴染の使用人に、ローザたちは応接室へと通された。

 お披露目の場にはジョヴァンニも立ち会うことになったが、彼は若い弟子を数人、他にも彼の知人だろうか、年配の男性たちを連れてきているようだった。


(う、嘘でしょ? あのひと、何でここにいるんだろう……?)


 思いがけない人物の姿を見つけて、ローザはさっとクロードの背中に隠れた。

 ベティとランドル。

 そして、何故かローザが苦手とするマークの姿がある。

 〈ミュトス〉の休憩室で言い争って以来、〈ミュトス〉に足を運ぶことはあっても、彼と顔を合わせる機会はなかった。

 ランドルとは何度か話はしたけれど、「あの時はごめ~ん!」と軽く謝られたのちに、馴れ馴れしく接してくる彼に対し、どう振舞えばよいのか、ローザは未だに迷っていた。

 表面上は友好的だが、何を考えているか分からない。ランドルはそういう男だ。

 そういう点では、マークは分かりやすくて良い。黒い髪を撫でつけて、紳士らしく着飾ってはいたが、ローザを見ようともしない。

 きっとジョヴァンニに無理やり連れられてきたのだろう。どこか拗ねた様子の彼を見て、ローザは密かに思った。


「やあ、ローザ! クロードも」


 ジョヴァンニはニコニコと、と愛想のよい笑顔を浮かべると、ローザに近寄った。


「こんにちは。ジョヴァンニさま。その、ジョヴァンニさま以外に、ひとが来るとは思いませんでした……」

 彼の弟子たち以外にも、客人が呼ばれているようだ。それは主人であるチェスターの意向なのだろうか。

 初披露の場で、これほど多くのひとに見られるなんて、想像もしなかった。僕の弟子の華々しいデビューの場にさせてもらうよ、と不敵に笑うクロードの言葉は、正しかったのだ。

 思わず緊張でくずおれそうになるが、隣にはクロードが立っている。こんなにも力強いことはないとローザは思った。

 ジョヴァンニはまじまじとローザの姿を眺めると、口にする。


「ローザ。今日の君は可憐な妖精姫のようですね? 白をベースとした衣装が、君の清らかさを引き立てる。それでいて、凛とした雰囲気を醸し出しています」


「えっと、ありがとうございます……。こんな素敵なドレス、贈ってくれるなんて」


 ローザはモジモジとしながら、感謝の言葉を述べた。

 ジョヴァンニが贈ってくれた、純白のドレス。

 露出は少なく、たっぷりとした布地で仕立てられたそれだ。膨らんだ袖口を飾るのは繊細なレース。スカートの裾には柔らかな布地で作られた薔薇が縫い付けられている。

 道中、ひっかけないようにしなければと、ローザは気が気でなかったのだ。

 靴は履き慣れないヒールがあり、少し高い目線はまだ慣れない。

 髪型の方も、クロードが一段と気合を入れていた。鏡を見たとき、ちょっとだけお姫様みたいだな、と浮ついてしまったのが、気恥ずかしい。


「私が贈りたいから贈るんですよ。…………やはり、花嫁衣装は白がいい」


「えっ?」


 後半はゴニョゴニョと、何か言ったようだが、声が小さくて聞こえなかった。


「いや、君は白が似合うと思っただけです」


「はぁ……」


 ローザが首を傾げると、ジョヴァンニはチェスターの元へと歩いていく。

 彼はチェスターと一言二言話をしているが、やはりチェスターはローザを見ようとはしなかった。

 その態度はマークとはまた異なるように思える。

 嫌っているのでも、非難するのでもない。まるで、ローザに対して、恐れを抱いているように思えた。

 しばらくして、ジョヴァンニが絵に被せていた布を取り外す。

 額縁にはまだ納められていない、板にキャンバスを張り付けた状態の〈星葬画〉だ。

 それを目にした一同は、しん、と静まり返る。

 ローザの描いた〈星葬画〉に魂は宿っていない。

 なぜなら、彼女はまだ生きているから。

 だが、妖精はきちんと宿ってくれていた。まるでそこが、彼らの守るべき魂がいずれ訪れることを知っているかのように。


「……これをあの娘が描いたというか……?」


 誰かが小さく呟くと、途端にざわめきが広がる。

 ローザは、アデルと話をして、〈星葬画〉に想い出の地を描くことに決めた。

 何か、話さなければ。そう考えるも、舌がかちこちに固まっていて、うまく説明できるか不安が胸いっぱいに広がる。

 けれど、クロードが。ローザの背中を押す。

 震えるローザの手を握ってくれた。だから、こわばった舌は滑らかに動いた。


「〈夏の湖の星葬画〉。アデルさまの想い出の地は、死後に彼女が赴く地です。我らの友人たる妖精たちが、彼女の旅路を見守ることでしょう」


 なぜ、この地を〈星葬画〉に納めたか。

 その説明を口にする前に、遮ったのは、か細く消え入りそうな、女の声だった。


「どうして……」


 ローザは目を見開く。

 寝台ではない。寝間着ではない。お披露目用に着飾ったアデルは長椅子に腰かけ、その白い頬に涙を流していた。


(アデル、さま……?)


 流れる涙は、彼女の膝に染みを作っていく。華奢すぎる肩が、ブルブルと震えている。


「どうして、どうして……」


 アデルの涙は止まらない。それはローザが考えていたお披露目とは違う。

 泣かれるなんて、考えもしなかったし、とてもではないが、〈星葬画〉を説明する雰囲気ではない。

 しん、と静まり返った広間で、アデルは誰にともなく、問いかける。


「私は何故、生きられないの……?」


 ローザの胸はぎゅっと握りしめられたような、痛みを覚えた。

 分かっていたはずだ。生きている者が、死と向き合うのは覚悟がいることだ。

 だから、ラファエラも避けた。

 お前はこの棺に入るのだと言われ、気を確かに持てる人間がいるものか。


「私、まだ生きたいの……。死にたくないの……」


 嗚咽交じりの女の声は、鋭い刃となって、ローザの胸を突き刺した。

 そんなことを言われても、ローザには何もできない。

 〈星葬画家〉ができるのは、祈りを込めた〈星葬画〉を描くことで、命を生き永らえさせることは、『魔法』のような奇跡は、叶わないのだ。

 ローザが呆然としていると、アデルを抱く、チェスターも静かに涙を流していた。

 幼いコリンは状況を理解していないようだろう。きょとんとした顔で両親を見つめては、困ったような表情で、使用人に助けを求めているようだ。

 だが、頼りの使用人たちも、同じく涙を流している。


「どうして、奥様が亡くならなければならないのか……」


 ギレッド家の、誰もが悲痛にくれ、涙を流す。

 覚えのある光景だ。ローザは、ラファエラの葬儀を思い出した。

 愛するひとに生きていてほしい。

 その願いは、ときに恐ろしい選択を掴みとってしまうのだ。

 感情が高ぶったのだろう、無言で立ち上がったチェスターは机の蝋燭を握りしめる。

 ローザは初め、彼が何をしようとしているのか理解できなかった。

 だが、彼が〈星葬画〉に蝋燭を近づけて、何をしようとしているのか、即座に理解した。


「い、いや……やめて……!」


 チェスターは迷いなく、蝋燭を〈星葬画〉へと押し当てた。炎がキャンバスを舐め、ブワリと燃え上がる。絵に宿る妖精たちの悲鳴が聞こえるようだった。妖精たちの光の尾は瞬く間に四散していく。


(いや……いやっ!)


 ローザは恐れなく、絵に手を伸ばす。

 指先が届こうとしたとき、その躰を後ろから抱きかかえたのは、クロードだった。


「放して、くださいっ……!」


 クロードの力は強く、振りほどけない。今にもアデルの〈星葬画〉は炎が舐めるように勢いを増しているのに。

 グラスに入った水をぶちまけたのは、マークだった。

 炎がわずかに勢いを弱めた。


「おい、水だっ! 水をかけろっ!」


 マークとジョヴァンニが、ベティが、次々にグラスの水をかけた。

 鎮火には時間がかかった。


 〈星葬画〉は、燃えて。灰となっている。


 地面に膝をついたチェスターは、虚ろに、ブツブツと呟いていた。


「私はこんなもの、求めてはいない……。どうしてこんなものを描かせたのだろう……」


 ローザは茫然とした。

 何も、できなかった。

 ローザの手掛けた〈星葬画〉は、再び失われてしまったのだ。

 頭が真っ白になった。それから涙がポロポロと零れ始める。


(アデルさまの〈星葬画〉は、あたしの絵では、駄目だったんだ……)


 そのまま座り込みそうになるローザの右手を、クロードが掴んだ。

 見上げた彼の顔は、今までに見たことのない怖い顔をしていた。

 無言で、クロードに引っ張られるようにして、ローザたちは屋敷を出た。

 背中からは、チェスターの、アデルのすすり泣く声が聞こえて、耳にこびりついて離れなかった。

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