【7】〈ミュトス〉はだいたい面白集団の集い
〈ミュトス〉では週一のミーティングを実施し、出席を義務付けている。
多忙なジョヴァンニが、進捗を効率的に確認することを目的としているのだ。
だが、若い画家たちの体調や精神面に問題がないか、確認することも理由の一つとなっているのだろう。
まだ、朝も早い。
ランドルは欠伸を噛み殺しつつ、視線だけで休憩室を見渡した。
一、二、三……ランドルは指折り数える。
(七かぁ。今日はこれまた随分と、少ないな~)
義務というものの、出席者は半分にも満たない。
テリーやセシリアといった年長組の姿がないのは、今抱えている案件が佳境を迎えていて、今日も早朝から作業場に詰めているからだろう。
サボり常習犯のクロードの姿がないのはいつものことで、その弟子ローザの姿もないのも当然か。
「では最後。連絡事項となります、が……」
ジョヴァンニは青い瞳でグルリ、と室内を探る。
ここにはいない、誰かを探すような仕草に思えたが、分かりきってはいるだろうに。あのキラキラ銀色頭は、どこにいても目立つのだ。
「近々、ローザの描いた、アデル・ギレッド夫人の〈星葬画〉お披露目の機会があります」
喜びの滲む報告に、誰も驚いた声を上げなかった。
ローザはあの、ラファエラ・モッロの孫娘。
幼い頃から絵を描いていたといえど、〈星葬画〉を描いた経験は、身内のための一度だけ。
まだ画家として未熟な彼女が〈星葬画〉を描くには、いささか早すぎる。
しかし彼女が〈星葬画〉を描くことになった哀れな経緯は、ジョヴァンニが何度も何度も恨みがましく繰り返していたので、画家たちは否応にも事情を知っていたのだ。
「チェスター・ギレッド氏から、弟子の帯同許可を得ています。そうですね……三人」
ジョヴァンニは黒い皮手袋に包まれた長い指を、三本立てて言う。
「どなたか、行きたい方は……」
彼が言い終わる前に、すかさず手を挙げたのは、ベティだった。
「はいはい! ジョヴァンニ先生っ、あたし、ローザの絵が見たいです!」
ベティは大家族の長女だからか、世話焼き気質の女だ。
ぽやっとどこか頼りないローザのことも、実の妹のように思っているのだろう。
彼女がクロードの家に、何度か差し入れを持って行っているらしい話は、それとなく聞いている。
前のめりで、元気すぎる様子に、ジョヴァンニは思わずといった風に頬を緩めた。
「そう言って貰えると、ローザも喜ぶのではないでしょうか。では、一人目はベティと」
「やった!」
ベティは心底嬉しそうに、ガッツポーズをとる。
「他には……」
ランドルは右手をヒラヒラと振りながら、続けて名乗りを上げた。
「ジョヴァンニせんせ。俺も、俺も~。新入りちゃんのお披露目に行きたいなぁ~」
休憩室内のほぼすべての視線が、ランドルに集まった。
意外だったのだろう。「なんでお前が?」と訝しげな表情をするものが多く、特にジョヴァンニが顕著だった。
しかし、深く追及することなく、ジョヴァンニは頷いた。
「そう。それでは、ランドルは二人目と……」
「え、嫌よ! 貴重な枠を、こいつが使うなんて!」
それに意を唱えたのは、ベティである。
彼女はバン、と机を叩き、椅子から跳ねるように立ち上がった。
哀れなことに。隣に座るティムは勢いに慄いた様子で、ベティを見上げていた。
ベティは非常に不服と言った表情で、ビシリ、とランドルを指さす。
「ランドルのことだもの、絶対、絶っっっ対に何か、よからぬことを企んでいるに、決まっているわ!」
ひどい言いがかりである。
だがそれも、ランドルの素行を思えばこそだろう。
ランドルは甘い顔に、軽薄な笑みを浮かべて否定する。
「そんなことないぜぇ? 俺純粋にさぁ、あの娘の描いた絵に、興味があるんだよ」
嘘ではない。
〈異端画〉を描いた『異端』の少女が、どのような絵を描くのか、ランドルは知らない。
〈星葬画〉を描いて見せると威勢よく啖呵を切った彼女が、果たして改心したかも定かではない。
だが、それだけの自信があるならば、ぜひお目にかかりたいものだと、以前から考えていたのだ。
「でも、あんたは……」
ベティはちらり、とジョヴァンニに視線を走らせた。
あの日の出来事を、ランドルはジョヴァンニに伝えてはいない。
ジョヴァンニからお小言をいただいていないことから、ベティもおそらく、ローザから口留めされているのだろう。
それならば、とベティは攻め方を変えた。
「他にも行きたい人がいるはずよ! ねぇ、ティムはどう⁉」
ベティは隣に座るティムに詰め寄るように言った。
「えっ、俺ぇ⁉ いや、俺も行きたい気持ちはあるけどさぁ……」
ベティの剣幕に押されつつも、ティムは眉を八の字に曲げながら続けた。
「俺今、〈星葬画〉の依頼を抱えているんだよ。時間を作れそうにないなぁ。よかったら、後で感想を教えてくれよな!」
ティムの頼みを無視し、ベティは次のターゲットを探した。
「レオンはどう! 行きたいわよね! だってあの、ラファエラ・モッロの孫娘が描いた〈星葬画〉よ?」
ベティが声をかけたのは、部屋の隅の椅子に座る、白髪の少年、レオンだった。
突然声をかけられて、俯いていたレオンは、ぼんやりとした様子で、頭をもたげる。
「……興味ない」
消え入りそうな小さな声で、ボソボソと呟く。
薄い水色の瞳は、まるで関心がないと、彼の言葉を裏付けるようだった。
レオンはクロードとはまた違った、極度の人見知りである。
彼が興味を示すのは、王族とそれに関与する〈星葬画〉に限られるのだ。
ラファエラ・モッロはかつて、一枚の〈異端画〉を描いた。
それが、彼女の名を知らしめた、代表作でもある。
レオンが例外的に、彼女に執着していることは、言葉を交わさないランドルでもかろうじて知っていた。
ベティは返答に納得がいかないのか、理解できないと彼に食い下がる。
「何でよ? ローザはあんたの好きな、ラファエラ・モッロの孫娘なのよ?」
「ラファエラ・モッロ本人でなければ、意味がない。彼女が生き返ったら、教えて……」
(そんな、無茶な……)
その場にいた誰もが思っただろう。レオンはそれだけ言うと、「もういいよね?」と言いたげに顔を俯けた。
あとは、他には……と顔を忙しなく動かすベティに先んじて、ランドルは言った。
「ね~、チルチルはどう? 一緒に行こうぜ~」
これまた部屋の隅に陣取る陰気な少女は、まさか自分が声をかけられるとは想像もしなかったのか、細い方をビクリ、と大仰に震わせた。
それから、ねちっこい視線をそぞろにランドルへと向けて、地を這うような低い声で言う。
「…………チルチル、ですって……? わたしのこと、変な名前で呼ばないで……。……末代まで、呪うわよ…………」
物騒である。
黒い癖のある長髪に、琥珀色の瞳。生白い肌色の彼女は、時節を問わず黒いドレスに身を包んでいる。夏も盛りで、正直見ている方も暑苦しい。
名はルチル。一応、貴族の妾の娘らしいが、家名は覚えていない。
事情があって、〈ミュトス〉に引き取られた彼女は、いちいち反応が面白すぎるので、ランドルはちょくちょく彼女に絡んでいた。そして、そのたびに呪詛を吐かれている。
まず見た目が暗いし、挙動もネチネチしているし、マジで黒魔術でも使えそうだなぁと、ランドルは密かに思っている。
「あはは、チルチル、今日も根暗でおもしれ~、かわい~」
「…………アンタ、今日こそ、そのバカっぽい面、切り刻むわよ………‥?」
だいぶ物騒である。
ギラギラと射殺しそうな視線で睨むルチルの頭に、ポン、と手が置かれる。
ルチルはビクンビクン、と更に勢いを増して跳ねた。
例えるなら、生きの良い魚のようである。
「ランドル、ルチルを揶揄うのは、お止めなさい」
まるで弟の行き過ぎたイタズラを叱る兄のような顔をして言うのは、これまで黙って様子を窺っていたジョヴァンニだった。
「へ~い。分かりました」
舌をペロリ、と出して素直に謝ると、ジョヴァンニはまだお小言が言い足りなさそうな表情をしつつも、すかざすルチルのフォローに回った。
「ルチルは可愛らしいですから。ランドルがつい苛めて反応を見たくなる気持ちも、わかります」
可愛い、の一言に強く反応したルチルは、顔をブワリと真っ赤に染め上げた。
「今日も黒いドレスが、落ち着いて大人びた君に、よくお似合いですよ。君が着ているのは先日、私が贈ったドレスですよね。気に入ってくださりましたか?」
声が出せないのだろう。ルチルは引き攣った表情で、コクコクと頷いて見せる。
「それは良かった。またドレスを贈らせてください。着飾った可憐なルチルを、僕に見せてくださいね?」
ルチルからは鬱々とした雰囲気は消え去って、とろんとした琥珀色の瞳がジョヴァンニへと向けられている。
誰がどう見ても、恋する乙女である。
しかし視線を向けられた当の本人は、気づいてはいないようであるが。
口がジャリジャリとするのは、ランドルだけではないだろう。
(ひぇ~。ジョヴァンニせんせ、これで無自覚なんだよな~)
爽やかな笑顔でルチルを褒めそやすジョヴァンニは、物語に出てくるような、王子様然とした見た目をしている。
癖のない蜂蜜色の髪に、サファイアのような青い瞳。
目鼻立ちはスッキリと整い、背は高く、手足はすらりと長い。
騎士の家系で、武道に通じている。忙しいと言いつつも、鍛錬は欠かさないらしく、躰は引き締まっている。王立アカデミーを卒業していて、多方面に造詣が深い。
実家が太いので、伝手も広い。
女性への態度は甘く、紳士然とした振る舞いである。侯爵家の出身である彼は、そうあるように躾けられたのだ。
また、末っ子で甘やかされたであろう彼は、反動的に、年下への甘やかしが過度である。弟子たちにはとことん甘い。特に、手がかかる者ほどその傾向は顕著であった。
他人に友好的ではない、ひどく内向的なルチルに、ジョヴァンニは気を配っている。
元々地味で質素な黒づくめの少女に、さりげなく流行を取り入れた黒いドレスを贈ってからは、なるほど、陰鬱な彼女の雰囲気が変わったように思えた。
ランドルは内心ニヤニヤとしながら、すっかり勢いの衰えたベティの様子を探る。
彼女はどこかむくれた顔で、ジョヴァンニを見ていた。
あとは、ここにはいないセシリアも、師には特別な感情を抱いているはずだ。
新入りのローザにも、何かと世話を焼いているようだし、何より彼女の無罪放免を勝ち取ったのは彼だ。窮地を救った王子様を、嫌うわけがない。
美形で、強くて、頭が良くて、金持ちで、紳士的。女の子に優しい。完全無欠の王子様。
そして無自覚に女の子を口説いている。これは悪い王子様だ。
「ジョヴァンニせんせ、いつか刺されそうだねぇ~」
ランドルが思わず口にすると、ジョヴァンニはムッと眉を寄せた。
「君が揶揄うから、ルチルは気丈に言い返していますが、彼女はそんなことをする女性ではありませんよ?」
(わかってないの、おもしれ~男)
弟子も弟子なら、師匠も師匠である。
師を筆頭に、〈ミュトス〉にいるのは変わった連中ばかりだなぁと、ランドルは密かに思った。
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