【4】期待に応えるって、決めたから
ローザには彼らの話の内容が、ほとんど理解できない。
けれど、クロードがいわれのない誹謗中傷を受けていることは、分かる。
ローザの胸はぎゅっと苦しくなった。
部屋に籠りきりで絵を描いているクロードを、ローザは知っている。
食事も摂らず、一晩中明かりがついていた夜もある。
パパっとなんて、描けるものか。
彼は悩みながら絵を描いている。
決して楽をしているわけではない。ローザは仕事に真摯な彼の姿を、この短い同居生活の中で、幾度となく目にしているのだから。
ローザは悔しくて、くちびるを噛みしめた。
「ランドル」
今まで黙って二人のやり取りを聞いていた男が、重々しく、口を開いた。
咎めるように、その声色は冷たく、鋭い。
「言葉が過ぎる。そのあたりでやめておけ」
「何でだよぉ、マーク」
ランドルはすっと笑いを引っ込めると反論する。
その声にはありありと、不満げな色が滲んでいた。
「お前の暴言は、オネスドク王室への無礼に値する。私の立場と信条より、看過できない。それに――」
マークと呼ばれた男は口を閉じる。
それから、ガタリ、と音を立てて、席を立つ。
コツコツ、と靴が床を叩く音が近づいて。ローザが隠れる机の前で、ピタリととまる。
汚れひとつなく、ピカピカに磨かれた靴だ。
クロードとは大違いだな、とローザは思った。
「鼠。身を現せ」
高圧的な口ぶりで、マークは命じた。
ローザが隠れていることを、見抜いているのだ。
ローザは震えながら、立ち上がる。
見覚えのある男。ジョヴァンニが村に連れてきた、弟子のひとり。
ローザが『異端』の画家であることを、知っている人。
「そのクロードの弟子が、ここにいる」
ローザの喉が、ひゅう、と音にならない悲鳴をあげた。
「へ~」
席を立ったランドルはマークの隣まで来ると、ローザを不躾に眺めて言う。
「このブルブル震えて可愛い子兎ちゃんが、あの噂の、〈異端画〉を描いた女の子なの?」
「私はあの日、ジョヴァンニ先生に帯同して、バセット村に行った。〈異端画〉を手にする彼女の姿も、この目で見ている」
「マジかよ。俺、チルチルみたいなの想像してたんだけど、全然真逆じゃん!」
ランドルは未だローザに疑いの視線を向けている。ロジャーは眼鏡の奥の瞳を細め、ローザを値踏みするかのように眺めている。
マークは、あの日村で見たジョヴァンニ以上に、苛烈な瞳でローザを射すくめていた。
「何を企んで〈ミュトス〉に来た。ここは貴様のような『異端』の画家が来るような場所ではない」
「な、何も……企んでなんか、ない、ですっ……」
ローザはガタガタと震えながら、なんとか言葉を絞り出す。
マークは視線をより、厳しいものへと変える。
「『異端』の画家の戯言など、信じられるものか。ジョヴァンニ先生が貴様を庇うほど、その立ち位置は危ぶまれるのだ。本来貴様に、〈ミュトス〉に属する権利は、ない」
マークの主張は、きっと正しい。
一度でも罪を犯した者を信じられないのは、当然のことだ。信じられるのは、相当なおひとよしくらいだろう。
「貴様は筆を折るべきだ。『異端』の画家。貴様のような存在は、画家になるべきではない」
きっぱりとマークは言った。
ロジャーは「それは……」と、モゴモゴと言いかけたが、マークに視線を一瞥されると、ややあって、口を噤んだ。
ランドルは何も言わず、ニヤニヤと動向を見守っていた。
マークの言う通り、ローザにはその資格がないのかもしれない。それでも。
「や、やめませんっ……!」
ローザは机に、バン、と手をついて叫ぶ。
声も躰も震えていたけれど、それでも、マークから目を逸らさなかった。
彼の鋭い黒い眼差しを見つめ返しながら、ローザは口を開く。
「あたしは、画家を、やめませんっ!」
「何故だ」
マークの言葉は短いが、強い圧力がある。ローザは負けじと、腹に力を込めた。
「やめる理由が、ないから、です。あたしが〈星葬画〉を描くことを、望んでくれるひとたちが、いるから、です。それ以上に……あたしが〈星葬画〉を描きたいと、思っているから、です!」
脳裏に思い浮かぶのは、ラファエラと、ジョヴァンニと、アデルと、コリンと、ギレッド家に仕える使用人たち、そして……クロードの姿だ。
彼らはローザが絵を描くことを信じてくれている。
それなのに、ここでローザが折れてはいけないのだ。
絵を描くことで、守りたいと思った。寂しげな顔で、置いていく家族の行く末を案じていたアデルの愛を、絵に残したいと思った。
チェスターやコリン、アデルを愛する人々が涙を流す時間が、一秒でもいい、短くなればいいと、かつては同じく置いていかれた立場であったローザも、願うのだ。
「それをあなたたちなんかに、命令される、理由は、ないん、ですっ!」
「なんだと?」
「――あんたたち、喧嘩はやめなよ」
マークが一層低い声で問い返したその時、怒気を孕んだ女性の声が、割って入る。
ローザたちが一斉に声の元へと視線を向ける。
休憩室の扉の前に腕を組んで立っていたのは、ベティだった。
「休憩室の外まで聞こえていたから、何事かと思えば。大の男三人がかりで新人イジメ?」
ベティは一笑に付すと、声を荒げた。
「馬鹿じゃないの? ネチネチと男らしくないし、大人げないし、みっともない!」
ベティはローザたちのもとへとつかつかと歩み寄ると、マーク、ランドル、ロジャーの順に目を吊り上げて、鋭い視線を送る。
「ベ、ベティ。勘違いですよォ。僕たちは、『異端』を排斥したいだけで……」
ロジャーは眼鏡をクイッと上げながら、焦ったように釈明する。
するとベティはさらに顔を険しくして、ロジャーに冷たく言い放った。
「ロジャー。あんたもあたしと同じで下っ端なの! でもあんたはね、カスで人でなし!」
ずいぶんな暴言である。固まったロジャーを放って、ベティはマークに向き直る。
「やれ組合から抜けろだの、画家を辞めろだのと勝手に叫んでるけどさ。〈ミュトス〉から追放する権限を持つのはジョヴァンニ先生だけだし、画家を続けるか決めるのは、あんたたちじゃなくて、ローザちゃん自身でしょ?」
それから溜息まじりに、マークに問いかける。
「呆れるわね。ねぇ、マーク。あんたの態度は伯爵家で躾けられた、それなの?」
「…………」
マークは無言でベティを睨みつけた。
「お前は、画家としての知識が浅い。彼女の罪の重さがわからないのだな」
「知らないわね。そんなこと!」
ふん、とベティは鼻で笑った。
その豪胆さにランドルはヒュウとご機嫌に口笛を吹いたし、ロジャーはぎょっとした顔でベティに刮目した。
「描いては駄目なものを描いて、ちゃんとごめんなさいができた女の子と。そんな女の子をいじめて泣かせようとした、謝りもしない男の子。どっちがより悪い子かわかるよね? うちでは後者に拳骨を落とすよ」
ベティは右手で握りこぶしを作ってみせた。
実際に、暴力に訴えるつもりはないだろう。
だが、彼女の瞳は真剣で、強い怒りを宿しているように見える。
マークとベティはしばらくのあいだ、睨みあっていた。
先に視線を逸らしたのは、マークだった。
「…………揃いも揃って、愚かなものだ」
その中には、彼が師と認める、ジョヴァンニも含まれているのだろうか。
マークは低い声で吐き捨てると、休憩室を後にした。
「面白いのが見れちゃったな~」
ランドルは整った顔に軽薄な笑みを浮かべると、ローザにウインクして言った。
「それじゃ、またね。『異端』ちゃん?」
「馬鹿。『異端』じゃなくて、ローザよ」
「はいはい。じゃあまた。ローザちゃん」
ベティに指摘され、言い直したランドルは、手をヒラヒラと振りながら休憩室を出た。
残されたロジャーは何か言いたげに、ベティに視線を送っていたが、ベティに、
「謝りもしないならあっちに行け、いじめっこ」
と追い払われるように手を振られ、絶望した顔で、マークたちを追いかけた。
「はあ……。ホント、揃いも揃って、うちには馬鹿な男しかいないわね」
ベティはローザの隣の椅子に腰を下ろした。
ローザが先ほどまで座っていた椅子の背もたれをポンポン、と叩いて、座るように促す。
ローザは無言で、椅子に座った。
机に視線を落としながら、ローザはポツリ、と呟く。
「本当に馬鹿なことをしたのは、あたし、です……」
「じゃあ、庇ったあたしも馬鹿ってことか。仲間だね」
そうかもしれないな、とローザは思った。
クロードは。何が正しいか確かめてみるか、とローザに言った。
考えても、分からないことばかりだ。ローザは長く答えが見つけられずにいる。
「ごめんね。もっと早く来ればよかったよね。あいつらが休憩室に入ったのは見えたんだけど、ちょうどお客様が訪問されて、その対応に追われてさ。ティムが戻ってきたから、受付を任せて急いで駆けつけたんだけど」
ローザは首を振る。
「いえ……来てくれて、ありがとう、ございます。ベティさん」
ふふ、とベティは笑い声を漏らす。
「ベティ、さん?」
ローザは驚いてベティのほうをみると、腹を抱えて笑い出した。
「あはは、三人がかりで、女の子ひとりに口喧嘩で勝てないなんて、格好がつかないよ! マーク、最後にはとうとう何も言えなくなってたもん。いや~、見物だったね。あいつ、普段からスカした態度をとるから、すっきりしちゃった! ロジャーもさ、馬鹿二人に何がよくてつるんでいるんだか」
「……口喧嘩、勝ったんでしょうか」
勝ったとしたら、それはベティのおかげだろう。
だが、ひとしきり笑ったベティは、「そうだよ」と優しい声音で肯定する。
「思わず声をかけちゃったけど。あのまま様子を見守っていても、最終的にはローザちゃんが勝っていたんじゃないかな」
「そんなこと……」
否定するローザの声に被せるよう、ベティは言った。
「いいね。絵を描くことを望んでくれている人がいる。そして、それ以上に、描きたいと思っている」
ベティはみずからの胸をどん、と叩いた。
「ここに響いた。最高に、かっこよかったよ!」
その一言で、どれだけローザが報われたか、彼女は知らないだろう。
ローザのくちびるからは、自然と笑みが零れ出た。
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