【2】少女の奇妙なひとりごと
「あたし、ベティ」
女――ベティは愛嬌よく笑うと、ローザに手を差し出した。
「ジョヴァンニ先生に弟子入りして、二年の新入り。つまり、先輩になるわね。どうぞ、よろしく」
「ゴホン。俺はティムだ!」
男、ティムがわざとらしい咳ばらいをしてから、続けた。
「〈ミュトス〉に入って、四年は経つ。つまり、ベティの二倍先輩ってことだ! ま、よろしくしてくれよな、お弟子のお嬢さん!」
男、ティムも落ち着きを取り戻したのか、大きな声で挨拶をする。
二人とも、クロードへの当たりは少々キツイが、悪いひとでも、怖いひとでもなさそうに思える。
ローザはホッとしつつ、クロードの背中からわずかに顔を出す。それから、おずおずと控えめに名乗った。
「……えっと、あたし、ローザ、です」
「クロードだ」
ローザに続いて、クロードはすかさず名乗った。
ティムは苦笑しながら口にする。
「おいおい。半年ぶりでも、さすがに同僚の名前を忘れたりはしないぜ?」
「おまえたちが往々にして名乗りだすから。僕だけ仲間外れみたいじゃない?」
「はいはい。今後ともよろしく頼むぜ? 新入りのクロードさん」
ティムが適当にあしらう様子を見るに、存外、同僚同士の仲は悪くないのだろう。
(先生でも、真っ当な人間関係が気づけるんだぁ……)
ローザは至極失礼にも感心した。
なお、『真っ当』かは不明である。
「それじゃ、俺はジョヴァンニ先生を呼んでくる。ベティ、受付を任せてもいいか?」
「了解」
ベティが頷くのを見て、ティムは受付裏の階上に姿を消した。
***
(ち、沈黙が、いたたまれない……)
ローザはヒクヒクと顔を引き攣らせた。
クロードとベティは同僚である、らしい。
しかし、ティムを待っている間、一言も会話に興じることはなかった。
クロードは受付台を背もたれに、ポヤポヤと眠そうにしているし、ベティは何か仕事をしているのか、手元の紙に羽ペンを走らせている。
ローザもローザで、話しかける勇気もない。
そうなると、特にすることもないので、手持ち無沙汰に広間をぼんやりと眺めるくらいしかできなかった。
エントランスの両脇の壁には、複数の絵画が飾られている。
誰かの〈星葬画〉ではなさそうだ。客人への鑑賞用だろう。
妖精が宿っているもの、宿っていないものとでいくつか混在している。大きさはほぼ変わらない。縦が広いものが四枚。横が広いものが二枚。すべて数えて六枚。
絵の雰囲気と筆遣いが似通っているので、すべて同じ人が描いたのだろう。
ただ、クロードの癖は見られなかったので、〈ミュトス〉の画家が描いたのだろうか、とローザはコッソリ推測する。
(〈妖精國〉、なのかなぁ?)
ローザはそのうちの一枚の、青い花畑が連綿と広がる絵画に視線を向ける。
ローザが知らないだけで実在するのかもしれない。名も知らぬ青い花々が咲き乱れる。手前に描かれた大きな花弁の上には、妖精がひとり――絵ではなく、正しく本物だ。
花の寝台の心地はどうなのだろう。
小さい頃、「お花に囲まれて寝てみたい」とこどもらしい発想をしたローザは、村近くの花畑から花を大量に摘んで持って帰った。
花をこれでもかとベッドに散らせて寝ては見たものの、身動きが取りづらく、寝心地は良くないなぁというのが、幼いローザの感想だった。
帰宅したラファエラは花まみれのベッドに横たわるローザを見て、大変驚いていた。
当然、しこたま怒られた。その後の掃除が、また大変だったのだ。
今では懐かしい想い出に、ローザはクスリ、と笑みをこぼす。
「……ローザ、ちゃん?」
戸惑う声に意識を向ければ、ベティが目を丸くして、ローザを見つめている。
突然笑い出したものだから、変な子だと思われたのだろう。
ローザは羞恥心で顔から火を吹きそうになりながらも、モゴモゴと口にする。
「あっ、お仕事の邪魔に、なってしまいました、か? ごめんなさい……」
「ううん、邪魔じゃないわよ。そうじゃなくて……」
それからベティは助けを求めるように、クロードの方を見た。
クロードはフフンと胸を張り、自慢げに頷く。
「僕の弟子は、変わっているんだ」
これにはローザも少々複雑な気持ちで、物申したい。クロードに自慢されるほど、変わっていないと思っているのだ。
「変わっているっていうか、あたしにはまるで……」
何かを言いかけたベティを遮ったのは、ティムの良く通る、大きな声だった。
「待たせたな、クロード! ジョヴァンニ先生は、只今絶賛、お客様とお話し中で」
ちょうどティムが受付に戻ってきたのだ。
何だか変な空気になりかけていたので、ローザは内心、胸を撫で下ろす。
クロードはあくびを噛み殺すと、ティムに向かって訊ねた。
「結構待たされる感じ? それなら、後日出直すけど」
「それが、先方はどうしても、『国一番の画家』様に絵を頼みたいとのことでさ」
「へー」
「〈ミュトス〉にお前が来てんなら、ちょうどいい、顔を出してくれって」
「ふーん」
クロードは露骨に面倒くさそうな顔をした。
「帰ろうかな」
切り替えが早すぎる。クロードはローザの腕を取って、今にも帰りそうだ。
ティムは苦笑しながら、クロードを窘める。
「そんな顔すんなって。断る方向になりそうだぜ?」
「そうなの? あの守銭奴、また金をふっかけて依頼を請けるものだと思ったけど」
ティムの言葉は意外だったのか、クロードは目を丸くして訊ねた。
チェスターの件を未だ根に持っているのだろう。随分な言い草である。
「ああ。金はたんまり搾り取れそうだが、これがまた、横柄な態度でさぁ」
師匠が師匠であれば、弟子も弟子である。
ティムはこれ見よがしに溜息をついた。
「引き受けたら、絶対揉めそうなんだよなぁ~。でも相手はどっかのえらーい伯爵様みたいでさ、まさか話も聞かずに追い返すわけにもいかないだろ?」
なるほど、ジョヴァンニが仕事に忙殺されている原因のひとつを、垣間見れたような気がする。
「ジョヴァンニ先生は『前向きに検討したくありませんが、お貴族様相手ですし、話くらいは聞きましょうか?』と、気が進まない様子で応対してたぜ」
それまで黙って話を聞いていたベティが、手を挙げて言う。
「ねぇねぇ、クロード。それならあんたの多弁なお口で追い払った方が、話が早いんじゃない?」
「何で僕が?」
「ジョヴァンニ様が下手に丸め込まれるとは思わないけどさ、万が一、大金を積まれたら、目が眩むことだってあり得るわよ?」
さすが弟子である。師匠のことをよく分かっているようだ。
「そう。だったら行こうかな」
クロードがすんなりと頷いたので、ティムはほっとした表情を見せる。
「案内するよ。気が重いけど、ストッパー役も必要だろうしさ。でも、ローザちゃんはどうする? 連れて行くか?」
ティムの声色は、あまり連れて行きたくなさそうな、それだった。
クロードが乱入することでどうなるか、既に結果が見えているらしい。
ローザも正直、クロードが好き勝手に暴れる戦場には、行きたくなかった。
何せ『国一番の画家』で一悶着を起こしたばかり。
(また、突飛なことを言い出されたらすごく、困る……! 行きたくないなぁ……)
ローザの必死の願いが通じたのか、クロードは首を横に振る。
「いや、置いていく。でも、彼女も今請け負っている仕事の件で、あいつに話がある。来客の対応が終わったら、迎えに来るよ」
クロードの言葉に、ベティは溜息まじりに言う。
「ローザちゃん、ちょっと前に、あんたに弟子入りしたばかりでしょ。もう仕事を任せるなんて……」
「うん。無償労働。本当は、相場の三倍だったのに、ジョヴァンニの融通が利かなくて」
ティムとベティは事情が分からないなりに、察したのだろう。ローザに同情的な視線を寄せた。
「そんなことより、早く案内してよ。長く待たせたら、僕が叱られる」
「ああ、そうだな」
ティムはコクコクと頷きながら、クロードとともに、慌ただしく姿を消した。
***
ローザとベティ。ふたりぽつんと残されると、途端に静かになってしまう。
どれくらい待つことになるのだろう。急にやる気を見せたクロードを見るに、案外早く片はつきそうだが、その後の対応には揉めるかもしれない。
ローザが密かに心配していると、ベティがツンツン、と肩をつつく。
ベティはニコニコと、優しいお姉さんの顔つきで訊ねた。
「ねぇねぇ、ローザちゃん。お菓子、好き? 甘いもの、大丈夫?」
「えっ? 好き、好きっ。お菓子、大好きっ!」
お菓子と耳にして、ローザはたまらず目を輝かせた。
ローザは甘いものが大好物だ。ラファエラやマノンの作る素朴なお菓子も好きだが、王都にはどうやら、ローザの知らない美味しいお菓子がいっぱいあるらしい。
ジョヴァンニが差し入れてくれるお菓子は高級なものから、庶民向けのお店で買えるようなそれまでと幅広いのだが、いずれも美味しく、頬張るローザは幸福感で悶えるほどである。
「そっかぁ」
思わず前のめりになるローザに、ベティは気さくに提案する。
「組合で働く人たちのため、休憩所があるのよ。長くなりそうだから、そこに行こっか?」
ベティは受付台に、小さな木板を立てかけた。
細やかな筆跡は、ローザには読めない。
興味深そうに見つめるローザに、ベティはイタズラっぽい表情を浮かべて教えてくれる。
「それはね、『今はおやつの時間ですよ』って、書いてあるのよ」
「そうなん、ですか?」
便利なものだ、とローザがしきりに感心していると、何故かベティはクスクスと笑う。
首を傾げるローザの手を引いて、ベティは受付の隣にある扉を開ける。
受付を留守にして本当に問題ないのかな、と気にしつつも、ローザは彼女の後に続いた。
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