三章 違えない、約束
【1】画家組合〈ミュトス〉
アデルの〈星葬画〉の題材を決めた翌日。
ローザとクロードは、ジョヴァンニのもとを訪れることにした。
絵の題材が決まったことを、いち早く彼にも教えたかったのだ。彼もまた、ローザを応援してくれるひとりである。
折よくクロードも用事があるとのことで、彼に付き添うかたちで、ローザは画家組合〈ミュトス〉の拠点となる施設へと向かう。
画家組合〈ミュトス〉は、オネスドク王都の商業地区でも中心部に設立されている。
住宅地区、つまりクロードが借りている家からは、少々距離が離れていた。
とはいえ、歩いていけないほどの遠さではないようだ。ローザたちは、徒歩で向かうことに決めた。
王都は大きくわけて、四つの地域に類する。
まず、王都の中心に位置するのは王城だ。その周辺を取り巻くのは、王侯貴族など、尊い身分の人間が住まいを構える高等住宅地区。そこから南下すると、ローザやクロードのような労働階級が住まう一般住宅地区がある。
金属や木材を加工したり、織物をつくったりする産業地区は、王都の北西部に位置する。東部には産業地区で作られた服や、国内で採れた新鮮な果物や野菜、はたまた外国から輸入した稀少な一品まで幅広く売り買いされる商業地区が広がっている。
商業地区は広く整備された大路に、露天商が長く連なる、人混みの多い繁華街があった。
ローザはクロードと手を繋いで、繁華街をプラプラと歩いていた。
はぐれては大変だからと、クロードから手を差し出したのだ。断れない。
まるで小さなこども扱いではないかと、ローザは内心複雑に思ったが、しかしその判断は正しかった。
ローザは人波に揉まれ、何度か手が離れそうになる。
何度目になるか、手が離れそうになって、ローザの腕はグイッと強く引かれた。
「ひゃっ」
「お願いだから、離れないで」
ローザだって好きで離れようとしているわけではない。反論する前に、ローザの腰にクロードの腕が回される。
それから彼は、ローザを強く抱き寄せた。
「せっ、先生!?」
夏の日差しに、立ち上る熱気。ローザの躰はジワジワとお肉のように焼かれているのか、卵のように茹で上がっているのか、もはや判断もつかない。
薄い布地越しに触れるクロードの体温も、同じく、熱く感じた。
「迷子になったら困る。僕から離れたら、ダメだよ」
「…………」
「ねぇ、聞こえてる? 返事は?」
「……は、はいっ」
日よけの帽子を深く被り直したローザの顔は、真っ赤に染まる。
(なんか、よく分かんないけど、ドキドキ、する……)
暑さにのぼせてしまったのだろうか。
けれど、クロードの熱は、不思議と心地よい。
人混みが減って、クロードは躰を放しても、手は繋いだままだった。
「――着いたよ」
画家組合〈ミュトス〉は、大きな十字路の角に立つ銀行の、その隣に建てられている。
五階建てで、平らな屋根の建造物だ。隣に立つ歴史ある銀行と比べたら見劣りこそするものの、依然立派な建物には変わりない。
花や妖精、鳥をモチーフとした門をくぐり、石畳の道を歩く。丁寧に剪定された低木の道を通り抜けると、建物の玄関が現れた。
クロードは重厚な玄関扉を軽々と開ける。
ローザはおっかなびっくり足を踏み入れ、興味津々に、建物の中を見渡した。絵具の独特な臭気が、ツンと鼻をつく。
(すごい、すごい! ここが画家組合〈ミュトス〉……! こんな立派な組織を作るのに、おばあちゃんが協力していたなんて、信じられない……!)
広いエントランスの奥に位置する受付台には、若い男と女の姿がある。
ふたりとも、クロードより少し、年上に見えた。
ジョヴァンニのように、清潔感があり、隙のない着こなしをしている。
白く柔らかなシャツに、濃い紺色のベスト。同色のリボンタイ。金色の釦はつややかで、皮の手袋は白く、汚れひとつない。
男女で多少の違いは見えるが、意匠は揃いとなっている。女の方は髪を丁寧に結い上げているのも、動きやすそうで、好ましい。
クロードは迷いなく受付台に歩み寄る。
ローザは彼の背中にコソコソと隠れるようにして、後ろに立った。
「ジョヴァンニはいる? 今請け負っている仕事のことで、話がしたいんだけど」
クロードは挨拶もなく、手早く用件だけを告げる。
「おう、クロード! 久しぶりだな、かれこれ半年ぶりになるのか?」
「そうだっけ?」
「ああ。その割にずいぶんとあっさりした挨拶で、つれない様子じゃねーか」
クロードが声をかけたのは、やや砕けた口調の、溌剌とした青年だった。
癖がなく、撫でつけられた髪は、明るいブラウン。人懐っこい笑顔は、彼の気さくな人柄を体現しているようだった。
糸目の男は、ニコニコと人のよい笑みを浮かべていたが、クロードは相変わらずの無愛想な顔で応じる。
「ねぇ、世間話が必要なの? 僕、おまえに用はないよ。ジョヴァンニと話がしたいんだ」
なかなか率直な物言いである。
後ろで話を聞いていただけのローザも、これにはさっと顔を青ざめた。
(どっ、どうして先生は、ひとの神経を逆撫でするような言い方ばかりするのぉ……!?)
温厚そうな青年も、これには怒りを覚えるだろう。
薄々と感づいてはいたが、クロードはローザ以上に、どうにも人付き合いが苦手らしい。
内心頭を抱えるローザの心配をよそに、彼はクロードの態度に慣れているのか。さして気を悪くした風もなく、苦笑する。
「お前なぁ。一応確認するが、そのジョヴァンニ先生とは、約束を取り付けているのか?」
「約束? あいつ相手に?」
クロードは理解できない、というように目を丸くする。
「僕は弟弟子だよ。そんなもの、必要ない」
太々しく言い放つクロードに、男は眉をひそめて嘆息する。
「あのな、クロード。師や兄弟子に甘やかされて、思考も情緒も赤ちゃん同然のお前にも分かるように、説明してやるけどよ」
クロードに負けず劣らず、男もなかなか辛辣だった。
「ジョヴァンニ先生は現在進行形で、複数の案件を抱えて、非常にご多忙な様子なの。ここ数日執務室に泊まり込みで、家に帰る余裕もないくらいでさ。突発的に来られても、仕事に穴が開くから、正直なところ迷惑なんだよなぁ」
その横で、女が同意するように、ウンウンと頷く。
ローザは驚いて声をあげそうになった。
ジョヴァンニが暇をしている――と思うことはないが、週に一度は、ローザたちのもとに訪れてくれている。
日によっては泊りがけで、早朝に帰る。そこまで仕事に忙殺されていると、これっぽっちも想像が及ばなかったのだ。
しかしそれも、忙しい合間を縫って会いに来てくれているのだろう。
疲れた顔を見せず、終始穏やかな笑顔を絶やさないジョヴァンニ――たまにクロードと些細な喧嘩をして美しい顔を引き攣らせる――の姿を思い浮かべ、ローザはひどく、申し訳なく思った。
弟弟子であるクロードは、奇しくもそのように考えが至らなかったのか、きょとんとした顔で首を傾げる。
「そうなの? でも僕のところに、結構な頻度で遊びに来ているよ?」
「クロード、あんた、絵のこと以外になると、途端にバカになるわね」
呆れた口調で、隣に立つ女がぼやく。彼女も劣らず、容赦がない。
(ど、どうしよう……)
〈ミュトス〉に属する画家は、喧嘩腰の人間が多いのだろうか。ローザは密かに震えあがった。
女は紅茶色の髪を複雑な形で結い上げている。太い眉と勝気そうな濃いグリーンの瞳が目を引く、派手な顔立ちの美女だった。
女性にしては背が高く、クロードと目線はほとんど変わらない。
「ジョヴァンニ先生は貴重な時間を縫って、わざわざあんたのところに、会いに行っているのよ」
クロードはふうん、と納得がいったのか、適当な合槌を打っていた。
「おまえたちふたりが言うなら、本当に、忙しいんだな」
「本当も何も、さっきからそう言ってるだろ?」
「でも、僕の都合は聞かず、あっちは都合をつけないと会えないのは、不公平じゃない?」
クロードはくちびるを尖らせてぼやく。
とてもではないが、多忙の兄弟子を労うようには思えない。
受付のふたりは、「やっぱりよく分かっていないじゃあないか」と言わんばかりの視線を送り、肩をすくめた。
彼らの苦労も偲ばれる。何ならローザが代わりに謝罪したいと、思うほどだった。
「まあ、他ならぬあんたのためなら、貴重な時間を切り詰めてくれるわよ」
「だな。我らが愛情深いジョヴァンニ先生は、手の焼ける弟弟子が、可愛くて可愛くて、仕方がないようだし」
それから男は、ローザにチラチラと視線を向けながら、クロードに問いかける。
「……それで、その子が噂のお前の弟子、なのか?」
先ほどから気になっていたらしい。彼の関心は、チクチクとローザの肌に突き刺さっていたのだ。
「噂?」
クロードは男の視線を追う。
ローザに美しい金色の瞳を合わせると、彼は皮肉気に笑った。
「へぇ。おまえもついに渦中の噂の人物か。それが悪い噂でなければいいね」
(……おまえ『も』?)
「誤解だぜ、クロード! と、そのお弟子のお嬢さん!」
ローザが内心首を傾げていると、上擦った声で、男性は否定した。
ローザが〈異端画〉を描いた事実は、界隈で知れ渡っているだろう。〈ミュトス〉に属する人間が知らないわけがない。
つまり、よい噂であるわけがないに決まっているが、ローザはそれよりも、クロードの意味深な言葉の方が気にかかった。
(悪い、噂……?)
この素行の悪そうな師には、そんなもの、いくらでもありそうなものだが、何かが引っかかる。
ローザが頭を捻っていると、取り繕うように、男はモゴモゴと言い繕う。
「決して、悪い噂じゃないぜ? 今まで頑なに弟子をとらなかったクロードが、ついに弟子をとったと、ジョヴァンニ先生が嬉しそうに話しててさ!」
それは容易に想像できた。何せ、弟子であるローザを相手にしても、ジョヴァンニは嬉々として語るのだから。
「あのクロードの弟子だから、クロードに負けず劣らずの変人……いや、クロードの弟子になる器を持つ人物がいかなる存在か、話題になってたんだぜ!」
男はあたふたと弁明めいて話すが、あまり弁明になっていないのでは、とローザは密かに思った。
変わり者、と遠回しに称されたクロードは、不快そうに眉を寄せる。
「今度は僕の噂? 僕、噂されるの、嫌いなんだけど」
わずかに怒気を孕むクロードの声に、男は顔を引き攣らせ、うっと声を詰まらせる。
そんな中、パンパン、と場の空気を切り替えるように、女が手を叩いた。
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