【幕間】〈異端画〉の歴史

 神殿近くにある礼拝堂は、身分を問わず解放されている。

 白い髭を蓄えた恰幅のよい老人――教父ボランは、白を基調とした法衣を身にまとい、使い古した経典を左手に、右腕にはバスケットを携えていた。

 バスケットの中には、甘い香りが漂うお菓子が、こんもりと詰め込まれている。

 こどもたちは眠たくなるような、退屈な礼拝が苦手なのだ。

 だから礼拝が終わったご褒美に、ボランはこどもたちにお菓子を配っていた。

 不純な動機でも、菓子を目当てに足を運んで、少しでも彼らの興味が惹ければいい。

 礼拝が終わると、ボランの元に長蛇の列ができる。お菓子を目的に、こどもたちが列をなしているのだ。

 ボランがニコニコと愛想のよい笑顔を浮かべてお菓子を手渡すと、こどもたちは元気な声で「ボランおじいちゃん、ありがとう!」と礼を述べる。

 素直で可愛い。こどもが元気なのは、平和の象徴でいいことだ。

 列がはけて、一番後ろに並んだ少年の顔を見て――ボランはちょっと驚いて、目を細めた。


「わぁ。キミ、レオンくんだよねぇ! 会うのは久しぶりになるけれど、元気にしてた?」


 ボランが目元を緩めると、顔に深く刻まれた皺が一層、深くなる。

 フワフワの白髪頭に、とろんと眠そうな水色の瞳の少年、レオンは無表情に言う。


「うん。教父様も変わりがないようで、何よりだよ」


 ***


 神殿も礼拝堂も聖レイノルズ教団の管下施設であり、神官や教父は同一組織に属する構成員である。

 しかし互いの管轄は異なり、お互いに不干渉の決まりがあるという。

 また、王室も直接手を下せない、ある種神聖な領域とも言えた。

 レオンは幼い頃から家をこっそりと抜け出して、お菓子を目当てに、友人とともに礼拝に来ていたのだ。

 その友人と礼拝することは、数年前を境になくなってしまったけれど。

 その頃レオンは〈ミュトス〉の画家として働くことになり、時間に限りがあった。

 友人もまた事情があって、人目に姿を現すのは、なかなか難しくなったのだ。


「レオン君。前に会ったのは、五年前になるかな? 身長、結構伸びたねぇ」


 ふくよかな躰で、髭をフカフカと動かしながら話す老人は、口調も聖職者と思えない緩やかさだ。親しみやすく、昔からこどもたちに人気がある教父様である。

 他人にはあまり興味を示さないレオンだが、彼のちょっぴりユーモアと皮肉の聞いた与太話は面白くためになるので、礼拝が終わった後に、友人とともに、度々話を聞いていた。


「教父様はまた太ったんじゃない?」


 不躾に言えば、ボランはホッホッと嬉しそうに笑う。

 バスケットに残るお菓子を示しながら彼は言った。


「これ、余ったら、ワシのお腹の中に消えるの。『教父様、私腹を肥やしているんだね』とこどもたちに見透かされちゃってるの、ちょっぴり恥ずかしいのよ~」


 なるほど、シスターたちが作ったらしいお菓子は美味しくて、手が止まらない。レオンはビスケットを齧りながらさもありなんと頷いた。


「ところで今日はどうして礼拝堂に来たの? キミ今働いているよね。何か、お仕事の悩みとか、困ったことがあるの?」


 親身になって口にするボランに、ビスケットを咀嚼し終えたレオンは訊ねた。


「教父様。どうして〈異端画〉は描いては、いけないの?」


***


 なぜ、〈異端画〉を描いてはいけないか。

 かつて、レオンとその友人は、問いかけたことがあるにも関わらず、ボランは丁寧に説明してくれる。

 古来より〈異端画〉は不吉の象徴だ。

 時代が時代であれば、罪の知らないこどもであっても、問答無用で打ち首にされていただろう。

 〈異端画〉はかつて、ひとつの国家を壊滅しかけた記録が残されている。

 オネスドク古王国は、建国より千二百年余りの歴史が続く。

 今から五百年ほど前。当時、オネスドクは女系の治世であった。

 当時のオネスドクを治めるのは、女王アビゲイル・レディ・オネスドク。

 彼女には三人の娘とそして息子、レオンハルトがいた。

 アビゲイル女王の娘は、そのいずれも彼女に似た美貌を持っていた。

 対して息子のレオンハルトは非常に醜い容姿をしていたという。

 アビゲイル女王は美しい娘たちを溺愛し、醜い容姿の息子は北の領地の城に閉じ込めた。

 ――しかし、これには諸説ある。

 醜い息子、というのもその中の一説でしかない。

 ある説によると、レオンハルトは彼女の一人目の夫クリストフとの間に生まれた子で、彼は先の説とは反して、クリストフを生き写したような端麗な面立ちの青年だったという。

 クリストフはある時、アビゲイル女王の侍女と関係を持った。

 夫の不貞を知り激高したアビゲイル女王は、ただちにクリストフを処刑した。

 罪のないレオンハルトが殺されることはなかったが、アビゲイル女王にとっては命を奪うほどに憎い男の顔をした息子だ。自身の目の届かない場所に追いやった、という説。

 あるいは、アビゲイル女王はクリストフの双子の弟ザムエルに強姦され、その時期に身籠ったのがレオンハルトだったという説。

 事件の発覚後、ザムエルは処刑された。

 クリストフとザムエルのどちらが子種であるかは誰も知りようがない。

 当時は医療が未発達で、堕胎が母体に及ぼす影響は大きく、父親が不明の王子をアビゲイル女王は産まざるをえなかった。

 出自が後ろ暗いレオンハルトは、母であるアビゲイル女王や、もしかすれば実の父親であっただろうクリストフからも断絶され、城から追いやられた。

 中には、アビゲイル女王と人外の存在が交わり、その異形の身を隠すために幽閉されたなどという荒唐無稽な説もある。

 と、様々な諸説はあるが、アビゲイル女王がレオンハルトを疎ましく思い、北の孤城に追放したくだりは、どの説も一貫して共通していた。

 レオンハルトが北の領地に追いやられて数年。

 ある時、アビゲイル女王は自身と娘たちの〈星葬画〉を描かせた。

 当時より〈星葬画〉に人間の姿を描き写すことは禁じられている。

 〈悪しき獣〉が人間の魂を好んで喰らうことは、その頃の画家たちにも広く知れ渡っていたのだ。

 アビゲイル女王はその破ってはならない決まり事を知りながら、〈星葬画〉に自らの姿を描くよう、王室が召し抱える〈宮廷画家〉に命令を下した。

 いかに美しき女王であっても、歳月を重ねてゆくうちに、自慢の美貌にも翳りが見えはじめていた。

 今は若く美しい娘たちも、あと十数年と経てば、自らと同じ道を辿るのは想像に難くない。

 アビゲイル女王は、自身や娘たちの美しさを永遠に残したいと、あってはならぬ欲を抱いたのだ。

 当然のことながら、宮廷に仕えていた画家たちは、それがたとえ君主の勅令であっても、誰もが拒んだ。

 女王が破格の褒美を約束しても。あるいは反逆の罪で捕縛すると脅しつけても。それでも〈宮廷画家〉たちは頑なに首を縦に振らない。

 そんな折に、勅命を奉じる画家が現れた。

 その画家は、ほとんど無名もいいところの画家である。

 だが、唯一首を縦に振った者。

 アビゲイル女王は彼を城へと召し上げた。

 画家は女王の望み通り、アビゲイル女王とその娘たちの〈星葬画〉を描いた。

 〈星葬画〉には美しい女王と娘たちの姿が描かれ、女王はその出来栄えにたいそう喜んだという。

 画家にはたっぷりと褒美を与え、また、アビゲイル女王は画家を気に召して、彼を女王専属の宮廷画家とするよう命じたが、彼は現れたときと同じように、ふらりと人知れずオネスドクを去ったという。

 それから、女王の〈星葬画〉が描かれた一年後のこと。

 大陸全土で感染病が流行った。

 現代でも一定の周期で感染病の流行を迎えているが、近代のそれとは比肩ならないほどに広い範囲で、多くの人間が命を落としたという。

 死がすべての人間に平等に訪れるように。病にもまた、身分はない。アビゲイル女王とその娘たちは、感染病が原因で命を落とした。

 アビゲイル女王には姉と妹がいたが、王座を巡る継承争いの折に、彼女たちは不審な死を遂げている。

 ほか、王家の係累もアビゲイル女王の後を追うように、感染病で亡くなってしまった。

 唯一の例外がレオンハルトだった。

 彼は孤城で人との交流が制限されていたおかげか、病にかかることがなかった。

 生き残ったレオンハルトはオネスドクの王権を継いで、崩壊した国を立て直すために尽力した。

 レオンハルトは賢君だった。

 十年と経たないうちに、オネスドクを再建した。

 この際にいくつかの法が見直され、女系から男系へと変わる。

 臣民に異を唱えるものはいなかった。

 それから五百年後の現在まで、男系の統治が続いている。

 アビゲイル女王と娘たちの〈星葬画〉は、城の人間が減り、十分な管理がされなかったからか、それとも画家の技術的な問題か、絵に黴が生え始めた。

 アビゲイルの美貌を穢すように、黒い黴が生えた〈星葬画〉は、不吉の象徴とされ、これ以上の不幸が舞い込まないようにと、燃やされてしまう。

 〈宮廷画家〉たちは、〈星葬画〉に人の絵を描いたせいで、国中に不幸が舞い降りたと口を揃えて言った。

 〈星葬画〉そのものが不幸を呼び込んだ――という話にもなりそうだが、都合のいいことに、アビゲイルに強く上申した〈宮廷画家〉のひとりが、不服を買い職を辞されていた。

 不憫に思ったレオンハルトがその画家を孤城に呼び寄せて、画家に自らの〈星葬画〉を描かせたのだ。

 レオンハルトの身が病に脅かされることがなかったのは、その〈星葬画〉が彼を守ったからだと言われている。

 そういった経緯があって、〈星葬画〉に人間を描くことは長らく禁忌とされている。

 しかし、長い歴史の中で〈異端画〉を描く画家も存在した。

 本来裁判は、神殿側で行われるものだったが、〈星葬画〉に関しては王室が主体となって彼らを裁いてきた。

 〈星葬画〉にひとの姿を描いている人間を捕まえては、親の仇――ある種そうではあるのだろう――とでもいうように王室は捕らえ、極刑としていたが、〈星葬画〉の文化と悪習が根付いていない外国からすれば、〈星葬画〉にひとの姿を描いた程度で死を罰とするオネスドクは妄執的で異常に見えたらしい。

 国外からオネスドク王室の振る舞いは人道的ではないと批判を受けて、オネスドク王室は百年ほど前から、聖レイノルズ教団が管理する神殿側に裁きの権利を委ねた。

 四十年前にも、〈星葬画〉にひとの姿を描いた画家がいた。

 若い女性で、時代の流れもあり処刑には至らなかったが、画家としての彼女の道は閉ざされたのだ。


「だから、今では〈異端画〉を描いても、殺されることは、まずないんだよね」


 と、ボラン教父は髭を撫でながら言う。

 四十年前に〈異端画〉を描いた魔女ラファエラ・モッロ。

 その孫ローザが〈異端画〉を描いた事実を、彼は知っているだろう。

 レオンは腹の探り合いが苦手だ。

 だから、率直に訊ねた。


「教父様。教えて。四十年前に描かれた〈異端画〉に宿った魂は、王女様本人だったの?」


 笑顔を絶やさない教父が、初めて笑みを失う。


「王女様ウィレミナ・グリーン・オネスドクは、本当に〈妖精國〉に渡って、人間の身で女王様になることができたの?」

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