【16】覚悟はできているか

 アデルの調子は数日で良くなったと、知らせがあった。

 ローザは悩んだが、大事をとって、一週間後に彼女のもとを訪れることにした。

 快復したとは聞いたが、アデルの顔色は、やはり雪のように白い。

 彼女は先日のようにベッドの上で躰を休めている。

 案内されたローザは、モゴモゴと言葉に悩みながら、口にする。


「あの、えっと、アデルさま……。元気になったって、聞いたんですけど……」


「ええ。心配してくれてありがとう。問題ないわ。昨日一昨日は、庭を散歩したのよ」


 アデルは穏やかな微笑みとともに返した。

 わずかに血色の良くなった肌を見つつ、ローザはほっと胸を撫で下ろす。


「それなら、よかったです。……あの、それで、早速ですがっ」


 ローザはぐいっと躰を前のめりにして言う。


「あたし、アデルさまの〈星葬画〉について、話がしたくて!」


「あら」


 アデルは目を丸くして、クスクスと笑い声をこぼす。

 どうしたというのだろう。

 ローザはきょとんとした顔でアデルを見つめた。


「この前は何だか自信がなさそうだったのに。今日はすごく、やる気に満ちているのね」


「うっ、はい。そう、ですね……」


 実のところ、今日だけではない。

 アデルに会わなかったこの一週間、意欲に溢れソワソワと落ち着きがなかったのだ。

 クロードからはまるで生まれ変わったようだね、と呆れられる始末である。

 ローザはバツが悪い顔をしながら、椅子から前のめりになっていた姿勢を正し、行儀よく座り直す。


「何か、いい助言でも貰ったのかしら?」


「はい! 先生のおかげ、なんです!」


「そうなの?」


 アデルは興味深そうにして、クロードに視線を向ける。

 ローザもニコニコと笑みを浮かべながらクロードに顔を向けたが、クロードはツンと澄まし顔で、返答のひとつもしない。


(ここでつくりものでもいいから、少しでも微笑んでくれたら印象がいいのにな……)


 顔のいいクロードだ。ニコリとでも微笑みかければ、嫌な思いをする人間はいないはず。

 しかしクロードは、チェスターの前でも媚びたりはしなかった。

 対人の仕事であるからこそ、愛想こそ必要となるだろうに。そういう役目はすべて、ジョヴァンニが担ってきたのだろうか。

 ローザは乾いた笑いをこぼしながら、アデルに向き直る。

 それから、昨日の夜に、一生懸命考えた言葉を口にする。


「その、アデルさま。以前、お話したとおり、〈星葬画〉は、亡くなった方のためだけに、あるものではなく、ご遺族の方のためにもあると、あたしは考えています。アデルさまを思い起こさせる〈星葬画〉。あたしはそれを描こうと、決めました。幼いコリンさまに、分からなくても……チェスターさまが〈星葬画〉を見て、コリンさまに想い出を語れるような……そんな一枚を、描きたいです」


「あの人が、コリンと……」


 アデルは戸惑いながらも、その姿を想像してか、ジワジワと嬉しそうな顔をする。


「……そうね。ええ、それはとても、素敵なことよね……」


「はい! ですから、アデルさまの想い出、たくさん、聞かせてください」


 ローザはぐっと握りこぶしを作った。


「チェスターさまと初めて出会ったときのこと、仲良くなったときに赴いた場所、求婚されたときの話……。そのほかにも、楽しかった記憶を思い起こしてください。その中でいちばんの想い出を、決めるんですっ」


「楽しかった、記憶ね。たくさんあるから、ひとつには決められないかもしれないわ」


 アデルは苦笑する。


「だって私、結構欲張りさんなのよ?」


「大丈夫です。一緒に、考えましょう! ……あっ、でも、また体調を悪くしては大変になるから、無理のない範囲で、少しずつ、聞かせてください……」


「ええ」


 それからアデルは、彼女の大切な想い出をローザに共有してくれた。

 記憶を辿る彼女は、終始穏やかで落ち着いた口ぶりだ。

 頬をわずかに染め上げて、楽しげな声音で語るアデルは、近く迫った死も忘れて、幸せそうに見えた。

 後ろで控えていた使用人たちも、いつの間にか話の輪に加わり、至る所で、笑いや驚きの声が上がる。

 彼女の息子コリンも、幼いながら、乳母にぎゅっとしがみつき、母の語る想い出に耳を傾けているようだった。

 クロードは会話に混じらず、輪から離れて、静かに様子を見守っている。

 ひとつには決められないかもしれない――アデルは懸念していたが、『一番』を決めるまでそう時間はかからなかった。

 アデルが選んだのは、彼女とチェスターが初めて出会った場所で、そして彼女が求婚を受けた場所だ。

 聞けば、王都から少し離れた人気の避暑地だという。


「湖で小舟に乗っているときに、結婚してくださいって、あの人が言ったのよ。逃げ場がなくて困っちゃったわ」


 アデルは照れ隠しのように、いたずらな笑みを浮かべて言う。


「夏の、湖ですね……」


 ローザはそっと瞼を閉じて、思い浮かべる。

 湖は見たことがない。けれど村の近くには海があった。

 青く広がる清涼な水がたゆたう姿を、ローザは想像する。

 水面にプカプカと浮かぶ小さな舟に、優美に泳ぐ銀色の魚。

 照りつける太陽を一心に浴びて上向く夏の花。

 青々とした林の中で、動物たちはうだるような暑さから逃れるようにして、一休み。

 ぼんやりと思い浮かんだ情景を脳裏に描き留めて、ローザはゆっくりと瞼を開いた。


「ええ……。描けるかしら?」


「はい、問題ないです!」


 ローザが力強く頷くと、アデルは花ほころぶように笑った。


「久しぶりに昔の話をして……私、とても満ち足りているわ。今ではこうやって、昔のことを話す機会は無くなってしまったから。本当に、楽しかった」


「それは、よかったです」


 噛みしめるように言うアデルに、ローザは控えめにはにかんだ。

 ローザはほとんど聞き役に徹していて、口を挟むことはなかった。

 ひとと会話するのが得意ではないけれど、こうして相手が充足感を覚えているのを目の前にすれば、嬉しいなぁ、と素直に思う。


「想い出の地……ここからすべてがはじまっていくのだと、あのとき私、思ったわ。躰を悪くしてから、もう行くことはなくなったけれど。はじまりとおわり。繋がっているのね」


「アデルさま……」


 寂寥感の滲む顔で言葉にする彼女に、ローザがしてあげられることはひとつしかない。

 だからこそ、自分にできる限りのことをしよう。

 ローザはそう、心に強く誓った。


 ***


 すべてが順調に見えている。

 経験の浅い弟子には、そのように思えているだろう。

 だが、クロードはいまひとつ不信を拭えない。

 アデルの寝室からこっそりと抜け出したクロードは、使用人に声をかけ、チェスターの元へと案内させた。


「チェスター・ギレッド」


 執務室で書類を相手にしていたチェスターは、突然の来客に視線を落としたまま、問う。


「……クロード・スノウ。何か、私に用があるのか?」


「あるよ。話が聞きたい。……おまえは、コリン・ギレッドを愛しているの?」


 率直に訊ねると、チェスターは手を止めると、血走った瞳でクロードを睨みつける。


「……なぜ、それを私に聞く?」


「チェスター・ギレッド。おまえは、唯一の息子を愛していると、返せないの?」


 クロードがさらに切り込むと、チェスターはペンを止めて、しばしの間黙り込む。


(ああ、予想通りだ)


 コリンに罪はない。

 コリンが出生の際、母体に何かしらの負担をかけたのは事実かもしれない。それでも子宝を望んだのは彼とアデルのふたり。そして、コリンはアデルの生きる糧となっている。

 けれど、理屈として、理解できないのだ。

 チェスターのように、妻に執着する人間はなおさらだ。


「僕の弟子、ローザはアデル・ギレッドの〈星葬画〉を描くだろう。……それは僕の〈星葬画〉より優れた特別なものだと、約束する」


 クロードは特別が嫌いだ。優劣を決めるのが嫌いだ。

 だが、今だけはその言葉を使わせてもらう。この分からずやのために。


「…………」


「愛する妻アデルの〈星葬画〉を求める、おまえが一番必要とするのは……覚悟だ。その日が訪れるまで、おまえは覚悟を決めるといい」


「……出ていけ」


 チェスターは苦々しく表情を歪ませると、クロードに命じた。

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