【14】偶像の母
その晩の夕食の席には、チェスター家お抱えの料理人たちによる、とっておきのご馳走ばかりが並んでいた。
アデルの厚意により、帰り際に持たせてくれたのだ。
一流の料理人たちが腕によりをかけて作った料理は、どれもとても美味しかった。
香辛料が惜しげなくかけられた鶏肉は皮がパリパリで、添え物の野菜も彩り豊か。
ローザが苦手とする魚のソテーも、臭みがなく、口の中でとろけるような食感だ。
白いパンはほのかに甘く、ふわふわと柔らかい食感と木の実のコリコリとした食感が同時に味わえて面白い。
飾り切りをされた果物は、食べるのがもったいないくらいに精緻でこまやかだ。どれも病床にあるアデルを考えて、作られたメニューなのだろう。
こんなにも豪勢な食事は、生まれて初めてかもしれない。
しかしローザは、スープの皿にスプーンを泳がせながら、ずっと上の空でいた。
「何を考えているの?」
机を挟んだ先に座るクロードに問われ、ローザはハッと我に返る。
「クロード先生……」
見れば彼は既に食事を終えて、食後の酒を嗜んでいた。
スエニフィラフ南大国から輸入した芳醇な香りのする葡萄酒もまた、アデルからの贈答品である。
ローザは手を止めると、モゴモゴと口にする。
「……えっと。アデルさまの、〈星葬画〉のことを、考えてました……」
食事を味わうときでさえも、絵のことを考えている。
こんなことは初めてだ。いや、ラファエラが亡くなったとき以来になる。
あの時は、よりひどかった。生きるために最低限の寝食はしていた、当時もその記憶がうろ覚えだったのだから。
ラファエラを偲ぶ気持ちが、ローザの活力となりひたすらに絵を描いていた。
あの胸を焦がす熱さだけは、未だ鮮明に覚えている。
クロードはわずかに口の端を持ち上げて、ローザに視線を向けていた。
薄暗い蝋燭の明かりが、彼の優美でなめらかな頬から顎にかけての曲線を、ぼんやりと浮き彫りにしている。
金色の目は暗闇で瞳孔が広く、澄ました表情も、今は心なしか、楽しげに見えた。
「そう。僕の弟子は仕事熱心で何より。描くものの構想は固まった?」
まさにそれを今考えていたところだったのだ。
ローザはウッと口ごもりながら答えた。
「……そっ、それは、そのぉ」
「うん」
「…………まだ、固まって、いませんっ!」
「そう」
クロードはそっけなく言うと、無言で葡萄酒に口をつけた。
まだ題材が決まっていないことで呆れられているのだろうか。
ローザはスプーンから手を放すと、両手をブンブンと振りながら必死で弁明する。
「大丈夫です! あっ、あたし、描けますっ! 描けます、から……!」
「それは当然のこと。そんなことより」
クロードの声は固い。ローザはビクリ、と身を縮こまらせる。
「おまえ。できると散々大口を叩いておきながら、どうして卑屈になるの?」
散々大口を叩いた覚えはありません、と返す度胸もない。
そのように堂々と言い返せる性格をしていれば、まず、クロードから指摘を受けることはなかっただろう。
どうやら彼は、ローザの自信がない様子に不満を募らせていたようだ。
ローザをじっと見つめたのち、溜息をこぼす。
「おまえは、未熟だ」
「はい……」
「〈星葬画〉を描くのはこれが二度目。依頼を受けて描くのは、初めて」
ローザはコクン、と頷く。
ラファエラの〈星葬画〉はローザの望みから描かれたものだ。
誰かに望まれて筆を取るのは、今回が初めてのことだった。
「経験も知識も、圧倒的に不足している。僕やジョヴァンニの前でウジウジした態度をとるぶんには、改めろと強制はしないし、とやかくは言わない。見習いとはそういうものだもの」
「すみません……。その、せいいっぱい、頑張り、ます……」
「自信のない様子は、絶対に依頼人の前で見せてはならない。彼らに不安を抱かせる真似をしてはならない。半人前でも一人前でも、何であれ。それが、画家であり、仕事をするということだよ」
クロードの言うことはもっともだった。
ローザははい、と力なく肯定した。
しょんぼりと肩を落とすと、クロードは再び、小さな溜息をついた。
俯きがちにチラチラと彼の姿を盗み見ると、怒っているような、戸惑っているような、どちらともとれない表情で。態度もなんだか落ち着きがない。
まだ何か、先生としてのありがたいお言葉が続くのかもしれない。
ローザはいそいそと佇まいを直していると、クロードは少し、居心地が悪そうにして言う。
「……僕は、初めて、弟子を持った」
「そう、みたい、ですね?」
「だから……弟子にどう接すればいいか、僕もまだ、分からなくて」
プイ、と顔を背けてボソボソと呟く。
「……だから、その、おまえは、どうしてほしいの?」
「……え?」
ローザがとぼけた声を上げると、クロードはくちびるを尖らせて、ぼやく。
「どうして、僕にもっと、頼ろうとしないの? 僕は、頼ってほしいのに……」
ローザは彼の言葉に目を丸くした。
それから、まじまじとクロードの顔を見つめる。
頬杖をついて、俯きがちで、むすっとした顔つきは、わずかに照れているようにも見えた。
その提案は正直、意外だった。
未だ、絵の講義のひとつもしていない。
この数日、彼の手で与えられたものと言えば、レパートリーのつきない髪型くらいだ。
最近のローザはよもや髪結いに弟子入りしたのではないか、と不安を抱き始めた頃である。
思えば、ローザの方も遠慮していた。師匠という存在がどういうものかわからないのは、ローザだって同じだったのだ。
クロードも臆する気持ちはあっただろう。
だが、先に歩み寄ってくれたのだ。
「知りたいことが、あるなら口にして。僕の答えられる範囲で、教えるから」
ローザが密かに感動している間に、クロードはしかつめらしい顔つきに戻っていた。
「つ、ついに、髪型以外も教えてくれるんですね……!」
「おまえ、僕のこと、何だと思っていたの?」
「先生です、絵の、先生ですっ……!」
クロードは呆れたように言うと、ローザの顔をじっと眺めた。
「別に……絵に限らずとも、何でも教えるよ。だって僕、おまえの師匠だもの」
(なんでも、教えてくれるのか……。あたし、何が知りたいのかな……)
ローザはしばし考え込む。
今、いの一番に悩んでいることと言えば――何を描けばよいか。それに限る。
けれど、それはローザ自身で考えて、導き出さなければならないことだろう。
それならたとえば、ローザの知らないこと。それが分かれば、何かしらの手掛かりになりそうだと思いつく。
「あ、あのっ。教えてください」
「何を?」
「お、お母さんって……。何だろうって思って、います……。アデルさまは、コリンさまのお母様、ですから」
ローザには両親はおらず、家族は血の繋がらない祖母ラファエラだけ。
だから、ローザは『母親』について、あまりよく知らない。
村に住む母親世代の女性は、活発で、ちょっとがさつで、たまに無神経で、夫を力強く支える女性ばかりだ。
ローザはそういう彼女たちを『お母さん』の理想像として見ていた。
しかし、チェスターの妻であり、『母親』であるアデルは、ローザの知っている『母親』像からは遠くかけ離れている。
だから、まずお母さんという存在について、知見を高めたいと考えたのだ。
「お母さん、ね」
クロードは頬杖をつくのをやめて、腕を組んだ。
聞き慣れない言葉を反芻するようして、それから黙りこくる。
目線をわずかに落とし、考え込んでいるようだ。
銀色の睫毛が静かに揺れている。
不健康だと思っていた彼の肌色は、アデルと比べたらだいぶ血色が良い。酔って顔が赤らむこともない。
同じ生き物とは思えない美貌を体現する彼であっても、ゆっくりと瞬きをする仕草を見ると、ああこのひとも生きているのだな、とローザは思い知らされる。
ローザはしばし、考えに浸るクロードの姿を眺めていたが、その沈黙は少々長すぎた。
(ど、どうしよう……? 先生、何も言わなくなっちゃった……)
もしかして何か、不都合な質問をしてしまったのだろうか。
不安を覚えて、ローザはソワソワとしながら、小さく彼の名前を呼んだ。
「先生? クロード、先生?」
「……一般的な話か、僕の家庭に限定した話か、二択となるけれど」
クロードは重々しく口を開いた。声音が固い。
(先生は一般的な話について詳しくはなさそう……)
となると、必然的に後者になるだろう。
クロードもそれを理解してか、「これは僕の母親の話になる」と前置いた。
「――僕の母親は、『お姫様』だった」
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