【13】違えない、誓い

「え……?」


 クロードのぼやきに、アデルはきょとんと目を丸くする。

 ローザは恨めしげに振り返る。

 面白くなさそうな顔をしたクロードが、ブツブツと呟き始めたのだ。


「いろいろあって、アデル・ギレッドの〈星葬画〉は無償奉仕になった。良かったね。有意義なことに使えるお金が増えたよ。いや、残ったが正解かな?」


「先生っ!? なななな、なんてこと言うんですか!」


 ローザはぎょっとして非難する。

 未だ根に持っているらしい。クロードの言葉には棘があった。


「たしか、相場の三倍だったかな? 法外だよね。あの守銭奴なジョヴァンニがふっかけたんじゃなくて、チェスター・ギレッドの方から提示したらしい。アデル・ギレッドは愛されているね?」


 いい加減、口を閉じて黙っていてほしいと、ローザはクロードの口に手を当てようと奮起する。

 それでも、表に出された事実をなかったことにはできないのだ。


「相場の三倍だなんて、聞いていないわ……!」


 アデルは依頼金がなくなったことも、元の相場が三倍であったことも知らされていなかったようだった。

 呆然と、震えた声色で呟いている。


(こ、これ以上、変なことは言わないでぇぇぇ……)


 しかし、クロードはローザの手首を難なく掴むと、口にする。


「おまえの夫は、それが有意義な使い方だと考えていたみたいだね。高価な薬を求めることも同じ」


 でもね、とクロードは続けて言う。


「それだけ、おまえの今後を想っているってことだよ。その気持ちを、否定できるの?」


 その問いかけは、ローザにも突き刺さるようだった。

 ローザもかつてチェスターと同じ立場にいたのだ。病魔に侵されたラファエラのために、お金はなかったけれど、できるかぎり尽くすことが、ある種の生きる標となっていた。

 だから、ラファエラと立場を同じくするアデルから否定の言葉が出て、やるせない思いを感じてしまうのも、確かに、嘘ではなかった。

 クロードはチェスターを露骨に嫌っている。

 それでも彼の立場に寄り添って、言葉を並べているのだろう。


「アデル・ギレッド。おまえはチェスター・ギレッドとコリン・ギレッドを残して、先にいなくなる」


 クロードの言葉は残酷で、だが、事実だった。

 アデルの美しい顔がこわばる。怒っているのではない。泣くのを懸命に堪えるような、そんな表情に思えた。


「でも、想いの込められた〈星葬画〉は、残るんだ」


 クロードはローザの手首を放すと、美しい金色の瞳を向けた。

 話をする必要がある。絵を描くために、アデルと。

 それはローザの役目なのだ。


「……〈星葬画〉は、亡くなった方のためだけにあるんじゃなくて、ご遺族の方のために、あるんだと、あたしは、思います」


 だからローザは、考えて、考えて口にする。

 アデルの気持ちを引き出すために。


「アデルさまが……亡くなった後、チェスターさまと、コリンさまのおふたりの心には、ぽっかりと穴が開くと思います」


 愛する祖母を失った、かつてのローザと同じように。


「〈星葬画〉はアデルさまではないから。おふたりの喪失は、埋められない。でも、寄り添ってくれます。〈星葬画〉を見れば、アデルさまを一番近くに、感じられる、から……」


 ローザはアデルの顔を見つめた。

 ひとと顔を合わせて話すのは苦手だ。

 けれど、今だけは、言葉以上に伝わってほしい。

 アデルの深く青い瞳は思慮深い。悲しみも後悔も滲む瞳は、ローザの次に続く言葉をじっと待っている。


「アデルさまが言う通り、意義はないかもしれない、です。でも、絶対に意味はある。チェスターさまとコリンさまが、あなたを偲ぶような一枚を、あたしは描きたいと、思います……」


(ううん、違う……)


 ローザはぎゅっと、こぶしを握る。


「描きますっ! 描かせて、ください!」


 思うだけじゃない。描かなければ、ならないのだ。


「そう……そうね」


 アデルはローザの言葉をしっかりと確かめるように。長い時間をかけて、頷いた。


「『私たち』には、〈星葬画〉が必要なんだわ……」


 アデルの瞳から、一筋の涙がこぼれ、頬を伝う。

 死について思いを巡らせること。

 それは、後ろ向きの思考なのだろうか。

 ラファエラは生前に死と向き合うのは残酷だと言ったけれど。

 彼女はまだ生きている。だからこそ、ローザは彼女の声や想いをかたちに残すことができるのだ。


「……あなた、〈星葬画〉に人物を描いたのよね」


 突如思いついたように。あるいは、元々話をするつもりでいたのだろうか。

 アデルは少し明るい声音で言うが、その言葉の裏にはわずかな恐れが透けて見えるようだった。

 ローザは思わず身を固くする。

 アデルはローザの動揺を目にしながら、続けた。


「〈星葬画〉に人間の姿を残すのは、『異端』だって。とても罪深いことだと、聞いたわ」


 チェスターにも知られていたのだから、妻で当事者であるアデルに言及される可能性は十分にあった。

 しかし、いざ話を切り出されると、狼狽えてしまう。

 ローザはどもりながら答えた。


「あ、あの、その……。……そうです。あたしは〈異端画〉を……祖母の〈星葬画〉に、祖母の姿を描きました」


 ふうん、とアデルは頷いた後、率直に訊ねてくる。


「あなたは、それが間違いだと思う?」


「その……それは」


(どう、答えたらいいのかな……)


 ローザはアデルの質問にモゴモゴと言い淀む。

 先日、クロードとも話をしたばかりだ。

 背中にクロードの視線が突き刺さるようだった。

 ローザは視線を落とし、スカートの膝の部分を握る。

 間違っていると、嘯くことができると、クロードの前で話した。正しい画家であれば、それが嘘で塗り固められても貫き通すべきだ。

 だが、ローザは躊躇った。

 かつておくる立場であったローザは、いまは彼女の前で、真摯でありたいと考えた。


「あたしは……」


 深く息を深く吸って、吐く。


「画家として、過ちを犯しました。でも、あたし、ただのローザとしては、それが間違いだと思いません。だって、あたし、おばあちゃんのこと、大好きだったから……」


「それなら、私の〈星葬画〉に、〈異端画〉を描くの?」


「いいえっ」


 ローザはすかさず反論した。


「だって、アデルさまの望む〈星葬画〉は『永遠』じゃない。あたしは、アデルさまたちにとって、本当に必要とされる〈星葬画〉を描きます。約束、しますっ!」


 きっぱりと言い切ると、アデルは肩の力を抜いた。

 それからわずかに相好を崩す。


「そう。良かった」


 アデルはくすくすと笑った。小鳥が歌うような柔らかな声は、耳に心地が良い。


「〈星葬画〉に姿を描かれると、悪魔に魅了されてしまうんですってね。それは嫌よ。私の心はあの人と、コリンのものでありたいわ」


 さも冗談という口ぶりで彼女は言った。

 けれど、ローザは申し訳なく思った。

 アデルに無用な心配をさせてしまった。ローザが一切の問題を起こしたことのない潔白な画家であれば、彼女は何も懸念せずに済んだのだ。


(これからは心配させないように、頑張らないと……)


 アデルに、チェスターに、コリンに、クロードに、ジョヴァンニに、そしてローザ自身も満足するような、〈星葬画〉を描こう。

 画家に優劣をつけてはならない、とクロードは言った。

 それ以上に、彼ら葬られる魂に優劣をつけてはならないとも、彼は言っていた。

 それでも話せば話すほどに。彼女には幸せになってほしいと思い始めている。

 もうすっかり吹っ切れたような表情のアデルは、夢見がちに呟く。


「楽しみだわ。私の〈星葬画〉は、どんな素敵なものになるのかしら……」


「そう、ですね……」


 ローザは考え込む。


(アデルさまの〈星葬画〉。あたしは、どんな絵を描けばいいのかな……?)


 〈星葬画〉は遺族が故人を偲ぶときに、見るものだ。だから、彼女を思い起こさせる何かであるべきだとローザは考えている。

 けれど大抵の〈星葬画〉は、故人が死後に赴く楽園や、〈妖精國〉をモチーフとして描かれることが多いという。

 それが〈妖精画〉であればなおのこと。人間の身では守れない境界を飛び越えて、妖精の友人たちが守ってくれるからだ。

 どうしたらいいんだろう。

 ローザは助けを求めるように、後ろで腰を落ち着けるクロードの顔を盗み見る。

 ちらりと振り返ったはずなのに、ばっちりと目が合ってしまった。

 銀髪に、金色の瞳。無表情で、無愛想ともいえる顔つき。すらりと長い足を組んで、持て余している。まるで彼自身が『妖精の騎士』のよう。

 若くして画家として名高い彼は、今までに何十もの作品を手掛けてきたという。

 彼に追いつきたいと思うのは、とても烏滸がましい。今でも、一枚の絵を描き上げられるかどうかさえ、まだわからないというのに。

 重い沈黙を破るように、コホコホ、と小さな咳払いが聞こえた。

 アデルの咳だ。

 ローザは慌ててアデルのほうへと向き合う。控えていた使用人が心配する顔つきで、アデルの背中を優しく擦っていた。

 彼女の血色の悪い顔は、一段と色を薄くしている。


「……ちょっと疲れてしまったみたい」


 微笑む顔は随分と無理をしているようにも見えた。


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