【12】アデル・ギレッド

 それから数日後。ジョヴァンニとクロードとの間で話を詰めて、正式に仕事を請け負うことになった。

 結果的に無償で、ジョヴァンニが危惧していた違約金の発生もない。

 クロードは最後まで文句タラタラだったが、今回の舌戦を制したのは兄弟子の方だった。ローザもその結果には満足している。

 アデルの〈星葬画〉を描くのはローザだ。

 けれど、当事者であるローザが動かずとも、事は勝手に進む。

 製作期間はどれほど要するか。仕事場所はどこを選ぶか。ローザはときどき意見を求められながらも、概ねはジョヴァンニとクロードが決めた通りとなった。

 発注を受けてそれから数日後、ローザとクロードはギレッド邸に再度訪れた。

 アデルとの初めての顔合わせのためだ。

 アデルは一日の多くを寝所で過ごす。寝たきりではないけれど、病状の進んだ今ではベッドで横になる時間のほうが長いのだという。

「長時間の対話で負担をかけるわけにはいきません。週に何度か話をすることで、彼女のことをおいおい理解しながら、〈星葬画〉を描きましょう」と、方向性を決定したのはジョヴァンニだった。

 これには、ローザもクロードも異論はなかった。

 アデルもその旨を了承したのだろう。


(でも、お話、か……。あたし、アデルさまと、しっかりお話ができるかな?)


 話すのが苦手なローザに、彼女を理解するための問答ができるだろうか。

 ギレッド邸に向かう行きの馬車の中、アデルと会う前から、ローザは不安で胸が押し潰されそうになっていた。


「今日の髪型もなかなかうまく、できた」


 対照的に、クロードは機嫌が良く、余裕がありそうだ。

 馬車の中でもああでもないこうでもないと、髪をいじっている。その呑気な様子を見ていると、ローザの不安はわずかに和らいだ。

 やがてチェスターの屋敷に到着し、緊張したローザが通されたのはアデルの寝室だった。病床にいるアデルとチェスターは、寝室を別にしているらしい。

 彼女の寝室は、作業所と寝室をあわせたローザの自室よりも、ずっと間取りが広い。

 躰を休める寝台は、大人が四、五人ほど横になっても、転がっても、十分に余裕があるくらいに大きかった。

 そういえば。ローザの寝相は、昔は悪かった。

 村にいた頃は、よくベッドから落ちて朝を迎えることも度々あったのだ。それが、王都に来てからは不思議と改善されている。

 環境が変わったからかなぁと考えつつ、ローザは部屋の中を観察する。

 アデル・ギレッド。寝台の主は大きな枕を背もたれに躰を起こしている。

 ローザはその横に椅子を用意してもらい、座っていた。クロードもローザの後ろで控えている。

 ローザはちらりと彼の姿を盗み見た。

 ローザの唯一の頼りとなる師は、横柄に腕を組み、室内の調度品を不躾に眺めていた。

 仕事慣れしているからか、彼本来の気性か。気後れをした様子を少しも見せない彼を、ローザはとても羨ましく思った。


「あなたが私の絵を描いてくれる、画家さんね?」


 アデルは品よく微笑んで訊ねた。ローザは控えめに頷く。


「はは、はいっ。あのあのあの、あたしっ、ローザって、言い、ます……!」


「ふふっ、緊張しないで。どうか自分の家だと思って、寛いでちょうだい。あなたの先生のようにね?」


 アデルは軽い調子で言う。どうやら嫌味ではないらしい。……と思いたい。


「あっ、そのっ、ご、ごめんなさい……」


「どうして謝るの?」


 すかさず問いかけたクロードに、先生の神経が太いからです、とは口が裂けても言えなかった。

 モゴモゴと口ごもるローザに、アデルは小鳥が歌うように笑う。


「ローザさん。あなた、〈星葬画〉を描くために、私のこと知りたいのでしょう? 礼を欠いて悪かったわね。本来であれば、応接室で出迎えるべきでしょうに」


「いいえ、その、体調が良くないのに、押し掛けてしまって、ごめんなさい……」


 しおしおと謝ると、クロードが不思議そうに言う。


「どうして謝るの? 絵を描くために押し掛けることの、何が悪いの?」


「せ、先生ぇ……」


 アデルはいよいよおかしそうに笑い声をこぼす。

 ローザはハラハラと、主にクロードが何か粗相をしないか、気が気ではない。せいぜい愛想笑いを浮かべるのでいっぱいだ。

 話した感触では、アデルは明るく、心の広い女性のように思える。

 アデルは儚げな容貌の女性だった。

 絹の寝間着を纏うのは、細く壊れそうな肢体。丁寧に櫛けずられた。黒く腰ほどまである髪は、結われもせず、艶がない。

 陽を浴びないためか、肌は不健康に白かった。血色を良く見せるために、濃い目に化粧が施されている。

 おそらく化粧をしなくても、顔立ちはとびっきりの美人だろう。

 病気を患って先の長くない人間を、ローザはこれまでに何人も見てきた。

 ラファエラとともに何人もみおくった。

 諦めているひと。諦めきれないひと。

 アデルは、どちら側の人間なのだろう。


「今日は体調がいい方よ。でもね、昔はまだ、元気があったの。コリン……私たちのこどもをね、産んでから。少し、体調を崩すようになって」


 自身を語るアデルの声は張りがない。

 ギレッド家お抱えの、今ではアデルの専属医に、長くは生きられないと通告されたらしい。

 一年後か、二年後か。長くても五年は生きられるか。彼女の身を蝕むのは、そんな病だという。


「ひどい話だわ。残酷な診断結果。だって、コリンは今年で七つ。まだとても幼い。大人になるまで成長を見守りたかった。受け入れるのに、時間がかかったのよ」


 微笑を浮かべるアデルは、今ではその運命に抗う体力も気力も、ほとんど残っていないように見える。

 それは、受け入れたのではなく、諦めたのか。ローザには違いが分からない。どちらも変わらないように、ローザには思えた。


「……あの子のせいではないの」


 ローザが何も言えず黙り込むと、ポツリと彼女は呟く。


「コリンを産んだことが直接的な原因ではないのだと、お医者様から言われたわ。でも、あの人はそう思っていない」


 あの人。名前をぼかしたそれが誰であるか、ローザにはすぐに分かった。


「……チェスターさま、ですか?」


「ええ」


 アデルは美しい顔を曇らせる。


「だからあの人は、コリンとは接したがらない。好いてはいないようにも思えるの。私がお腹を痛めて産んだ、誰のこどもだと考えているのかしらね?」


 チェスターがアデルを愛しているのは明白だ。だが、彼の口からは、息子コリンの名前が出たのは、指で数えるほどもなかった。

 彼は今それだけ、アデルのことしか目に入らないのか。それとも彼女が言う通り、息子の存在を疎ましく思うのか。

どちらにしても、コリンが可哀想だと、ローザは密かに同情する。


「幸いあの子はまだ小さいから……何も分からないでしょう。父親の不自然な態度にはね。私がいなくなったら、コリンにはあの人しか、残されていないのに」


 アデルは、自らがいなくなった後のことを、ひどく憂いていた。やりきれないように、何度も溜息をこぼす姿を見て、ローザは言葉が詰まって、どう慰めればいいか分からなかった。


「あの人を責めるつもりはないわ。私を大切に思う気持ち、あの人と積み重ねてきた時間が証となるから、分かっているの。でも私は、コリンの未来を一番に考えてほしい。未来のない私なんかのために、延命のために高価な薬に手を出したり、〈星葬画〉にお金をかけたりするよりも、ずっと、有意義なことはあるわ……」


 そこまで言うと、アデルはさっと顔を青ざめた。


「ごめんなさい。〈星葬画〉を描いてもらえること、私は嬉しく思っているの。取り繕って聞こえるかもしれないけれど、本当にありがたいことよね」


 アデルは長い睫毛を伏せて、謝罪を重ねた。


「……本当に、ごめんなさい。絵を描いてくれるあなたに、向ける言葉ではないわ」


 ローザは慌てて否定しようとしたのだが。


「本当にありがたいよね。その〈星葬画〉も、お金を払う必要はないんだし」


 それまで黙っていたクロードが、嫌味っぽく口を出してしまった。


(せ、先生!?)


 何で今、口を挟むのか。ローザは思わず、頭を抱えたくなった。

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