【8】クロードの一世一代の覚悟

 チェスターとの顔合わせには、ジョヴァンニも同席することになっていた。

 彼はローザ達よりも一足先に着き、依頼主と世間話を楽しんでいるようだった。

 出迎えた執事に訪問の旨を伝えると、応接間に通される。

 ローザ達の到着に気づいたジョヴァンニは、他の者からは見えないように、こっそりと手を振った。

 まさか手を振り返すわけにもいかないので、ローザはコクコク、と小さく頷いてみせる。


「ようこそ来てくれた。此度は依頼を引き受けてくれて感謝する。私が、チェスター・ギレッドだ」


 チェスターは栗色の撫でつけた髪と、綺麗に整えられた顎髭を持つ、ジョヴァンニと同世代の男性だった。

 身に着けるものはどれも一等級であることに、無知なローザでも気づいた。

 ジョヴァンニと話し込んでいたチェスターは立ち上がると、丁寧に一礼する。


「君が、国一番と謳われる画家、クロード・スノウだね。ジョヴァンニ殿には以前から何度か打診していたが、ようやく引き受けてくれて嬉しいよ」


 彼は喜びも露わに、クロードに手を差し出した。

 しかしクロードはくちびるをへの字に曲げて、握手に応じた。


「どうも」


 そっけなさすぎるクロードの挨拶を耳にして、ジョヴァンニの営業用の笑顔がサッと抜け落ちた。幸い、チェスターはクロードの無礼に気分を害した様子はない。

 その裏でローザはひとり、モヤモヤと気分を害していた。

 一番。国一番。

 クロードはその言葉を嫌っている。

 でもそれ自体は、チェスターは知らない。だから、仕方がないことなのだけれど。

 同じ画家であるジョヴァンニがこの場にいる。それも兄弟子である彼が。

 ジョヴァンニの格が劣るかの言い様は、ひどく無神経ではないか。

 しかしジョヴァンニは、特段気にしていないらしい。

 仕切り直しとばかりに、上品な微笑みを浮かべて頷く。


「ええ。ありがたいことに、クロードは国外からも高い評価を得ています。何か月先まで、仕事の予定が入っていて、これがなかなか調整が難しく」


「そうか。大人気の画家が描いた〈星葬画〉だ、期待ができる」


 チェスターは上機嫌に頷く。

 クロードは今にも言い返しそうだった。冷たい美貌で、くちびるを開きかける。

 だが、何よりも先にジョヴァンニが口を挟んだ。


「そうですとも。クロードはとても優れた画家です。私も兄弟子として鼻が高いですよ。彼であれば、奥方のために素晴らしい〈星葬画〉を描くでしょう」


「ふむ。それは喜ばしいことだ」


 嬉しそうな顔をするチェスターに、クロードはなおも言いたげな雰囲気だったが、ジョヴァンニが、凄みのある笑顔を浮かべつつ、ローザを示す。


「そしてこちらが、彼の唯一の弟子ローザ。彼女もまた、〈妖精画〉の才能を持つ、非常に優秀で展望のある、若き画家です」


 ローザの紹介を受けて、チェスターは分かりやすく顔を顰めた。

 隠し切れない嫌悪が滲む表情を前に、ローザはもう既に、帰りたくなっていた。


(うわぁ、このひと、嫌だなぁ。『異端』のあたしが、悪いのかもしれないけど……)


 ローザの悪評は、早くも広まっているらしい。

 臭いものを前にしたときのように、彼はそっと、ローザから距離をとる。


「ああ……話は窺っているよ。この、可愛らしい少女が、〈異端画〉を生み出したと。しかしどうして、『国一番の画家』に、弟子入りすることになったのか……」


 チェスターは『国一番の画家』に、ローザのような問題児が弟子についた事実に、納得がいかないのだろう。悪い影響を及ぼすと懸念しているのかもしれない。


 その口調は不満げで、ただでさえ狭いローザの肩身は、より縮こまるばかりだ。


「私が推薦したのですよ。彼女の行いはどうあれ、あの唯一の称号、〈妖精國の宮廷画家〉を別名に持つ、偉大な画家ラファエラ・モッロの孫娘。その才能が受け継がれていることを、私はこの目で見たのですから」


 事実はクロードが求めたからだが、表面上は、彼が推薦したことになっているらしい。その方が色々と都合がいいのだと、ジョヴァンニは言っていた。


「だからといっても……」


 胡乱気な表情で、チェスターはローザを値踏みするように見る。その視線はひどく心地が悪くて、ローザは隣に立つクロードの袖の端を、気づけば掴んでいた。

 手がかすかに震えている。自覚はあった。

 クロードはちらりと一瞥したのち、不満げにぼやく。


「ねぇ、そろそろ座ってもいい? さすがはギレッド大商会御用達の馬車だ。乗り心地は悪くなかったけれど、朝も早いから、疲れちゃった」


「こら、クロード!?」


 ジョヴァンニは目をひん剥いて、クロードを咎めた。

 だが、チェスターは「こちらこそ、気が利かなくてすまない」と、どこか拍子抜けした顔で頷く。


「ほら、座ろう。長話で疲れているのは、おまえも同じだし」


 クロードに手を引かれて、ローザは戸惑いがちに、ちょこん、と腰を下ろした。


「お菓子、どれから食べようかな」


 クロードが菓子に手を伸ばす頃には、チェスターからはすっかり毒気が消え失せていた。

 長い足を優雅に組んで、事もなげな態度をとるクロードが隣にいれば、何も怖いものなしに思えるのが、不思議でならない。


「……では改めまして、お話をお聞かせいただけますか?」


 ジョヴァンニが上品な笑みを浮かべて促す。チェスターも落ち着いたらしい。小さく咳払いしたのちに、語り始めた。

 幼いころから躰が弱く、体調を崩しがちだった、妻アデル。子を産んだことで、さらに寝込むことが多くなった彼女は、心臓の病を患っている。

 現代の医術では、治療法が確立されていない。

 そして彼女を蝕む病の進行は想像以上に早く、医者が言うには、長くは生きられないとのことだ。

 だから、彼女が生きているうちに、〈星葬画〉を描いてほしい。彼女の望む世界を作り上げてほしい。

 彼の語った内容は、事前に聞いていた通りの話だった。

 その視線は常に、ジョヴァンニか、クロードのほうに向けられていた。当然、ローザのことなど見向きもしない。そんなものだろう。ローザはおまけでついてきたにすぎない。


「わかった」


 クロードは神妙な面持ちで頷く。


「アデル・ギレッドのために、最高の〈星葬画〉を用意すると約束しよう」

 クロードの声音はやけに自信が込められている。

 他人の評価を気にする彼にしてはなんだか意外だなと思いながら、次に続く言葉を聞いて。

 ローザは耳を疑った。


「彼女の〈星葬画〉は僕の弟子、ローザが描く」


「…………えっ!?」


(あたしが、描くの!?)


 キッパリと言い放たれて、その場に集った面々は誰もが唖然とした。

 最初に声を出せたのは、その名を出された張本人、ローザである。

 いきなり何を言い出すんだ。意味が分からないながらも、ローザは震えあがる。事前に聞いてすらいない。クロードに視線で必死に追いすがる。


(噓でしょ、嘘だよね?)


 彼はそういう性質の人間ではないけれど、何かの冗談であって欲しかった。

 しかし、クロードはローザを見下ろすと、いたって真面目な顔で口にするのだ。


「聞こえなかった? アデル・ギレッドの〈星葬画〉は、おまえが描くんだよ?」


(嘘でしょ!? 本気で言ってるの!?)


「はっ……、話が。違うではないか……!」


 ようやくチェスターが口を開く。

 彼は顔を赤く染め、ブルブルと震えていた。


「私は、あの天才〈星葬画家〉クロード・スノウが描くというから、依頼したというのに! その『異端』の娘に大枚をはたいて、妻の未来を委ねるわけではない!」


 チェスターの怒りは、依頼の窓口であるジョヴァンニに向いている。

 もちろんジョヴァンニだって虚をつかれたのだ。不自然な笑みを咄嗟に顔に貼り付けて、クロードに優しく問いかける。


「クロード。私は、依頼内容を伝え間違えてはおりません。まさか、聴き間違えてはいませんよね? 私は君に〈星葬画〉を描いてほしいと」


「事前の段取りではそうだった。でも、僕が変えた」


 ジョヴァンニが言い終わるのを待たず、クロードは軽い調子で言う。


「ジョヴァンニも依頼人も、いつも『一方的』だし、たまには僕も『一方的』になるのも悪くないかなって、思った」

「僕が変えたって……」

 ジョヴァンニは絶句した。

 それはお金を貰って仕事を受けているからでは……とローザは思ったが、とてもではないが口を挟める雰囲気ではなくなっていた。


「安心して。おまえたちが求めるものを、彼女は生み出せる。それは僕が保証する」


 方々から責められても、クロードの顔は涼しげだ。

 臆した様子もなく、持ってきた麻袋から二枚の包みを取り出した。

 どちらもひとの頭ほどもない。丁寧に包まれた布を取り外されて。

 ローザは「えっ」と驚きの声を上げる。


「先生、それ……ムグッ!?」


 クロードはイタズラを目論む男の子のような顔をして、ローザのくちびるに人差し指を押しあてる。

 どうやら、事が終わるまで黙っていろ、とのことらしい。


「数日前、僕の弟子に一枚の絵を描かせた。題材は『妖精の踊り子』だったかな。僕も真似して描いてみたけど、どう?」


 彼は自信ありげに微笑んだ。


「何だっけ。『国一番の画家』、が描いた絵だもの。素晴らしい出来だと思うけれど」


 二枚のキャンバスには、いずれも妖精の少女が描かれていた。

 同じ衣装で、同じポーズ、表情までもが同じだが、絵の雰囲気はわずかに異なる。


「チェスター・ギレッド。どちらが僕の描いた絵だと思う? いや、僕が描いていない絵を当てられるかな?」


「クロード……」


 ジョヴァンニは何かを察したか、非難するようにクロードの名を呼んだ。


「ジョヴァンニは黙ってて」


 クロードはすかさず、彼の言葉を遮った。


「ねぇ、チェスター・ギレッド。僕は、『国一番の画家』なんだってね。大人気で、優れた画家で、あと何だったかな? とにかく、僕はすごい画家で、一週間前に引き取ったばかりの弟子とは比べ物にならない絵が描ける、と過分なほどに評価されている」


「……何が言いたい?」


 チェスターは呻くように訊ねた。

 クロードは楽しげに微笑むと、言う。

 ローザは恐ろしさを感じ、震え上がる。


(笑ってるのに、全然、笑ってない……)


 ぼやいていた。愚痴っていた。本当は腹の底からぐつぐつと怒りを覚えているのだ。

 自らの扱いに。


「評価される側の僕だって、依頼人のことを評価してもいいよね、ってこと。すごいすごいと持て囃される僕の絵の、真贋さえ見抜けない人間の依頼なんて、受けたくないもの」


「クロード、仕事に私情を持ち込んではいけません。君のそれは、こどもじみた我儘です」


 ジョヴァンニにも画家だ。クロードの理屈は理解できるのだろう。

 しかし、立場上、寄り添えない。彼は怒るのではなく、聞き分けのないこどもに、言い諭すように口にする。


「ジョヴァンニ。これは僕の、画家としての沽券に関わるんだ」


 クロードはすぐに言い返す。


「もし仮に、チェスター・ギレッドが不正解を口にしたら、僕はたった一週間にして弟子に負けたということになる。その時は、躊躇いなく画家をやめよう。弟子に劣る師に、価値はないものね」


 その覚悟の重さに、ジョヴァンニは絶句しているようだ。

 ローザも開いた口が塞がらなかった。


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