【7】『国一番の画家』

 それから数日後。クロードの弟子となって、ちょうど七日目を迎える。

 ローザは彼の指導を受けるより先に、彼の仕事に同行する運びとなった。

 ローザとクロードは、依頼主の屋敷に向かう馬車に揺らされている。

 送迎の馬車は依頼主が手配したものだ。四人掛けで、大きな窓硝子はピカピカに磨きあげられている。赤く厚みのあるカーテンを束ねるのは、金糸が惜しげもなく使われたタッセル。座面に張られた布はしっとりと柔らかく、素手で触れたときの感触はなめらかだ。どうやら依頼主は、だいぶ羽振りがよいらしい。

 クロードは道すがら、依頼主について簡単な説明してくれる。

 依頼主はチェスター・ギレッド。妻の名はアデル。年の頃はどちらも三十ほど。夫婦には幼い一人息子がいる。

 妻アデルは昔から躰が弱く、現在は病床に伏しているそうだ。チェスターはアデルの〈星葬画〉を求めているらしい。

 生前に〈星葬画〉を描くことは、そう珍しいことではないのだという。死後に赴く絵の世界に問題がないか、みずからの目で確かめることを望む人間は少なくはない。

 ラファエラが描く〈星葬画〉は、そのどれもが逝去した魂のために描かれたものだ。

 何故ならラファエラは、生前の〈星葬画〉を描くことをよしとしていなかった。


「まだ生きているひとに、死を想像させるのは、ひどく酷な行いでしょう?」


 と、口にしていたのを思い出す。よほど嫌だったのだろう。かつて一度だけ依頼されたときも、頑として受けつけなかったほどだ。

 生きているうちに〈星葬画〉を描いてほしい。それはアデルだけではなく、チェスターからの強い要望でもあるそうだ。

 貿易業で成功を治めた彼は、愛妻家としても名高いらしい。

 そのため、通常の相場以上の金を積んででも、『国一番の画家』と名高いクロードに〈星葬画〉を頼みたいと、画家組合〈ミュトス〉の親方のもとへ話が舞い込んだとのことだった。

 こうした依頼は、往々にしてあるのだとクロードは教えてくれる。


「でも、国一番は、過大評価が過ぎる」


 クロードは心底嫌そうにぼやいた。

 はす向かいに座る彼は、長い脚を組み、いつもと変わらぬ無愛想な顔つきながら、どことなく憂鬱な雰囲気を醸し出している。

 ローザはそっと、彼の姿を盗み見た。


(先生は今日も、素敵だ。素敵すぎるぅ……)


 ローザは内心、溜息をこぼした。

 今日の彼は、珍しくめかしこんでいる。

 白いシャツのボタンは首元まできっちりと留め、深い紺色のタイにはエメラルドのピンが控えめな輝きを添えていた。黒い上衣の袖口には金のカフスボタンが縫い付けられ、ときおり太陽の光をキラリと跳ね返す。

 普段はそのままにしている銀髪を丹念に梳かし、緩く纏めるのは、濡れたように艶のあるタイと同じ、紺色のリボン。

 普段では見られない気品ある装いに、ローザは本日幾度となく、見惚れている。


(本当に素敵……! 今日の先生は、『妖精の騎士』さま、というよりは『妖精の伯爵』さまのよう!)


 昔、ラファエラが話してくれた『妖精の伯爵』さまも、確か似たような装いをしていた。これでステッキを持てば完璧な紳士である。

 興奮したローザだったが、自分の心のうちに留めておいた。『妖精の伯爵』さまみたい、と褒め称えたら、おまえって幼いこどもみたいだね、と呆れられると思ったからだ。

 めかしこむのは、クロードだけではない。同伴するローザも同じように、外出用の特別な衣服を身に纏っている。

 レースとフリルがふんだんに縫いつけられた白いワンピースは、先日、ジョヴァンニが贈ってくれたものだ。

 髪はクロードによって、複雑な形に結い上げられている。彼は意外と、器用らしい。

 クロードは満足そうにしていたが、ローザは目元が開けて、落ち着かない。ソワソワしながら、彼に訊ねた。


「い、一番ですよ。とても、すごいことだと思います。ほまれでは、ないのですか?」


 クロードは優れた画家だと、ジョヴァンニは高く評価していた。

 しかし一番、とまで評されるとは初耳だ。それは兄弟子であるジョヴァンニを、超えるということでもある。

 彼は呆れたように嘆息した。

 どうやら褒めたつもりが、彼の癪に障ってしまったらしい。


「いちばん、ね」


 ローザは肩を縮こまらせて、先生のありがたいお言葉に耳を傾けた。


「それは、多々ある意見の一つだよ。捉える人間によっては、ジョヴァンニが最優と主張する者もいる。彼が抱える弟子の一人が、ついぞ師を超えた、と唱える者もいれば。死してなお僕たちの師トラヴィスこそが偉大、頂に立ち続けると、信じる者もまたいるだろうに」


 ちらり、とクロードは挑戦的に、視線を投げかけた。


「そういうおまえはどうなの? おまえが考える、一番の画家は、誰?」


「えっ? あ、あたしですか……?」


 問いかけられ、狼狽える。彼はなかなかどうして、ローザを相手に容赦のない質問を投げかけてばかりだ。


(弟子入りをしたから、本来であれば、先生の名前をあげるべき、だよね……?)


 あるいは彼の兄弟子であり、画家組合の親方を務めるジョヴァンニの顔を立てるのが、正解だろうか。

 頭の中に思い浮かぶ顔は限られている。

 だが、〈星葬画〉を見たことがあるのは……一人しかいないと、ローザは気づく。

 ローザが気難しい顔で頭をうんうんと悩ませていると、クロードはわずかに目元を和らげて言う。


「村にいたころ、そして今のおまえにとっての一番は、ラファエラを差し置いて、他にいないね」


「……はい」


 ローザは迷いながらも、素直に頷いた。

 彼の言葉に相違はない。

 あなたが一番ではないですと、ローザは答えてしまった。

 それでも、クロードは気を悪くしたようには見えなかった。

 むしろ心なしか、愉快そうに続ける。


「王都に出て、おまえはこれから多くの画家と出会うことになる。それでもなお、これからもずっと、おまえの一番はラファエラ以外にいないよ。僕はそれで、かまわない」


「……先生、その……。ごめんなさい……」


 師匠に、そのように言わせたのが忍びなくて。ローザは情けない声で謝罪する。

 クロードは何が楽しいのだろう。クスクスと、小さく笑い声を上げる。


「何も気に病むことはないよ。それだけ彼女は、おまえにとって偉大で、最も影響を与えた画家ということなのだから。それは……優劣をつけるだとか、番号で表すとか、そういう類の話ではないと、僕は考えているけどね」


 彼の言葉は少し、理解が難しい。

 けれど、なんとなく、言いたいことは薄々とわかる。

 クロードは美しい金色の眼差しを細めて、穏やかな口調で言う。


「そして彼女の〈星葬画〉は、おまえにとって、すごく特別なもの。そういう一番であれば……。僕も少しだけ羨ましいと、思うな」


 みんなの一番ではなく、誰かの一番になりたい、ということだろう。


(……先生にも、特別に思うひとはいるのかな?)


 クロードは私的なことについては、ひどく寡黙になる。

 家族や友人、恋人など近しい間柄の人間について示唆されたことは、一度としてなかった。

 家からはほとんど出ないし、この一週間、誰もひとも呼ばない。

 バセットの村では毎日のように、近所の人間とお茶をしていたのに。王都という土地がそうなのか、あるいは彼が特殊なのか。

 厭世、とまではいかずとも、ひと付き合いに消極的な彼でも、誰かの特別になりたい、とごくごく人間らしい感情を抱いているのだ。

 意外な一面に、ローザは思わず微笑みをこぼした。

 途端にクロードは窓の方にプイと顔を逸らし、小さく咳払いをする。


「勘違いしないで。僕は何か、誰かの一番になりたくて、〈星葬画〉を描いているわけではないよ。これは僕に限らず、画家が絵を描く理由ではないかな。おまえには、分かる?」


 ローザは考える。思いつくのは、一つしかない。


「絵を、描きたいから……ですか?」


 質問に対して、答えは同じだ。自信がないような回答であっても、クロードは満足そうに頷く。


「その通り。そして僕たちは、〈星葬画〉を描かなければ、食いつなげない。ジョヴァンニは常々、憂いているよ」


 生きるために絵を描く。それは、まだローザの知らない世界の話で、これからはローザもその世界に身を置かなくてはならない。


「絵を描くことは好きだ。だけど、この仕事をしていると、絵を描くのが、たまに嫌になるときもある」


 クロードは顔をわずかに顰めると続けた。


「僕の知らないところで優劣がつけられているんだもの。一番、二番。彼奴らは、僕が描いた〈妖精画〉や〈星葬画〉を求めていない。僕が描いたという事実にこそ、価値を見出しているんだ。それってすごく、馬鹿らしいよね」


 クロードは再び、ローザに視線を戻した。人外じみた美貌は、どことなく寂しげだ。


「『おまえが一番上手に〈星葬画〉を描くから』と言われて、画家本人はどう受け取ればいいのかな。僕たちはただ、絵を描くことが好きなだけなのに」


「それ、は……」


 ローザは口ごもる。

 優劣はつけられるものなのだ。当事者たちを、置いてきぼりにして。

 悲しいけれど、田舎者でものの道理も知らないローザでも、そういう風に社会は成り立っていることは、なんとなく、分かってしまう。

 クロードは言葉が少ない方だ。言葉で語らず、突飛な行動で表す。

 それでもこうして多くを語れば、彼が人間らしく、様々な感情を胸の内に秘めていることが分かる。行動の裏に隠れがちだが、目に見えない表情も豊かで、鮮やかなのだ。

 そして、絵のことになると、より一層繊細な面が見える。

 今まで多く、傷ついてきたのだろうか。

 ローザの不思議で奇妙な、先生となったひとは。


「それに……」


「……それに?」


「いや、……何でもない。おまえにそれを求めるなら、僕も同じような存在だからね」


 思わせぶりに口を開きながら、クロードの言葉はプツリと途切れる。

 ローザは彼の続く言葉を待ったが、彼はこれ以上、話を広げるつもりはないようだ。深い拒絶の色を見せていた。

 結局あれから、先日の話の続きはできていない。

 彼の言う、確かめるとは、どのようなことなのだろうか。

 不意に、クロードが窓の外に視線を投げる。

 ローザも釣られて、顔を向けた。

 豪奢なつくりの、お屋敷が建ち並んでいる。彼はそのうちのひとつを睨みつけるように、金色の美しい眼差しを向けていた。

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