【6】可愛げのない、手の焼ける弟弟子
〈異端画〉を描いた事実があっても、あの『ラファエラ・モッロの孫』である、ローザの利用価値は非常に高い。
若くして画家組合の長を務めるジョヴァンニの手駒に、彼女の存在は有用となるだろう。
だから、ジョヴァンニはローザを死なせるわけにはいかなかった。
けれど、守ると口にしたものの。後者の望みを果たすのに、予想以上に難航している。
王都に着いて早々、ローザの身柄は神殿へと引き渡された。
それから、二週間が経つ。
ジョヴァンニは徹夜で業務を終わらせたのち、明朝から神殿へと足を運んでいた。
「いかがですか、ローザの様子は」
応接室に通されたジョヴァンニが問いかけるのは、神官服を身に纏った男だ。
裁判の事前準備として、ローザには審問官による尋問が数回に分けて行われる手はずとなっている。
尋問を行うものはいずれもジョヴァンニの手の内の者だ。彼らとの情報のすりあわせのために、こうして密やかな会合の場を設けていた。
「すべては貴方の指示通りに進んでいます」
審問官の男が言うには、ジョヴァンニの指示通り、彼女は罪を認めて深い反省を示していると、偽りの申告をしたとのことだ。神殿の一室に軟禁され、外部との接触がほぼ断たれたローザ自身は、その事実を未だ知らないだろう。
「順調ですね。よろしい。引き続き頼みますよ」
無言で頷く審問官を確かめ、ジョヴァンニは保護観察室へと向かう。ローザとのこまめな面談の時間も作っているのだ。
村から王都へと戻る馬車に乗っていたときから、彼女の体調の悪さは、目に見えてひどいものだった。
ラファエラの〈星葬画〉を一心に描き続けていたこと、慣れない馬車での旅路など要因はいくつか考えられるが、中でも精神的なものが大きく影響を及ぼしたのだろう。
愛していた祖母ラファエラを亡くし、その傷も癒えぬうちに〈異端画〉を描いて、結果、拘束されたのだから。
神殿に着いた彼女は高熱を出し、その後、一週間は寝込み続けた。
今朝にはついに、寝台から起き上がれるほどローザは回復したらしい。
「良かった。だいぶ、快復したようですね」
ローザが無理をして起きようとしたので、ジョヴァンニは養生するよう、しっかりと言い含めた。まったく、手がかかるのはクロードの可愛い弟弟子といい勝負である。
元々肉付きの薄い躰は、ここ数日でことさら痩せ細ったようにも思えたが、ジョヴァンニはとても安堵した。
ほのかに笑う彼女に、希死念慮はないだろう。
幼い画家の未来が脅かされないようするためには、それこそ手段を択ばずにはいられない。
王家という最強のパトロンが背後にいる状況でも、彼女の扱いには、とりわけ注意を払わなければならない。たったひとりの少女を守るだけで、自身の進退にも危険が及ぶ。辛い役回りだった。
いっそ投げ出してしまった方が楽なのだ。
『異端』を受け入れる者はいない。ジョヴァンニの弟子の中にも、ローザは裁かれるべきだと糾弾する者がいる。
噂はジョヴァンニが手を下さずとも自然と広まるだろう。
『異端』の娘は、忌み嫌われる。彼女を正しく使えないのであれば、手放すべきなのだ。
それでも。
優しかった、師の、皺だらけの横顔を思い出す。
(ああ、確かに。『永遠』に残せるものであれば、残したいと思う気持ちも、分かるな)
ジョヴァンニはほろ苦く笑う。
『永遠』に残すことが叶わずとも、その想いを受け継ぐことはできる。
そして、亡き師の信念を裏切ることは、ジョヴァンニにはできそうになかった。
***
神殿から帰宅する頃には疲労困憊に陥っていても、〈ミュトス〉の親方であるジョヴァンニには、休むという選択肢はなかった。
仕事が途切れないのは、本当に有難いことなのだ。仕事がなければ、若い画家たちを養うことも叶わない。
日々溜まっていく仕事を、少しでも片付けようとジョヴァンニは重い躰に喝を入れて、椅子に腰かける。
馬車の中で仮眠を取ったが、十全とは言えなかった。
以前は、多少のやんちゃも多めに見てくれたこの肉体も、三十を前にしてままならない。
このまま私生活を蔑ろにし、仕事に没頭するようであれば。師トラヴィスよりも早逝してしまうだろうか、とジョヴァンニは自らの今後を憂いた。
ジョヴァンニが悲愴の溜息をこぼしたその時、執務室の扉が叩かれる。
ぼんやりとした頭で、窓の外に視線を走らせた。陽はすっかりと落ちている。作業場に通う画家たちは、もうとっくに帰宅した時間帯だ。
こんな夜分に顔を出す無遠慮な人間は、ひとりしか思い当たらない。
ジョヴァンニが眉間の皺を揉み解している間に、扉はバンと、勢いよく開かれた。
「ジョヴァンニ。おまえに依頼された絵を、持ってきた」
嵐のような来客者は、ジョヴァンニの予想に違いない。
邪気のない、こどものように澄んだ声色。
艶やかな銀色の髪と、獣じみた金色の瞳の青年。
彼は、目にするすべての人間を狂わせる、端麗な美貌を持つ。
クロード・スノウ。過去に、家名を捨てた青年だった。
『国一番の画家』として、若くも高い評価を得ている、新進気鋭の画家でもあり、ジョヴァンニの憎らしくも可愛らしい弟弟子でもある。
しかし、随分と長いつきあいになる兄弟子に対して、愛想のかけらもなかった。
彼は来客用の長机に歩み寄ると、大きな麻袋を置いた。依頼した〈星葬画〉が納められているのだろう。
用は済んだといわんばかりに、彼は返事も待たず、すぐにでも帰りそうだった。
急ぐ用事もないだろうに。
ジョヴァンニはせっかちな弟弟子を、苦笑しながら引き止める。
「わざわざ届けていただき感謝します。しかし、珍しいですね。君が〈ミュトス〉に顔を出すなんて。たまには元気な顔を見せるよう、口を酸っぱくして言っても、弟弟子想いの兄弟子の願いなんて、聞いてはくれないでしょう?」
クロードはひどい出不精で、用がなければ、だいたい家に引きこもっている。
そんな彼が〈ミュトス〉を訪れるのは、年に数回とないし、頼んでも、先触れのひとつも出さないので、ジョヴァンニはいったいどうしたものかと、度々悩んでいた。
「納期が近い。昨日あたり来るだろうと踏んで、僕は一日家にいた。でも、おまえは一向に来やしない。それにも関わらず、なんて言い草なの?」
クロードは憮然とした表情で、来客用の長椅子にぞんざいに座る。
お願いしなくても君はいつだって家にいるだろうに、ジョヴァンニは軽口を叩きかけてやめた。
いつもより素っ気ない態度に、彼の静かな怒りが見える。
今回は確かに、ジョヴァンニにも非があるのだ。
「すみません。仕事に忙殺されて、つい、君への依頼を忘れていました。届けてくれた手間賃です、依頼料にいくらか色をつけましょうか?」
「別にいいよ。まさか、他の画家たちに配達料を渡しているの? 僕だけが特別に恩恵を受けるわけにはいかない」
弟弟子であるクロードを贔屓することで、ジョヴァンニが悪評を受けるのではないかと考慮した発言ではないだろう。そんな優しさが少しでもあったら、ジョヴァンニは悪評なんて気にせず、弟弟子を所かまわず溺愛している。
クロードは金銭にまるで興味がない。それに、特別扱いを誰よりも好まない。
どうも『国一番の画家』と評されて、同世代の画家とは異なる扱いをされるのは釈然としないらしい。
その言葉を耳にするたびに、玉の美貌も台無しに、不格好にしかめているほどだ。
「忙しいのは事実のようだし。綺麗好きのおまえにしては、派手に部屋を散らかしているね」
クロードはおもむろに、長机に置きっぱなしになっていた書物を手に取った。
彼の興味を惹かないであろう、経営に関するそれだが、ペラペラと読み進めている。
彼は学習意欲が高く、本を読むことが好きなのだ。中身を理解しているかは、また別ではあるが。
「とにかく時間が足りなくて。部屋の片づけまで、手が回りません」
愚痴りながら、ジョヴァンニは麻袋から絵を取り出した。〈妖精画〉ではないが、いつも通り、問題のない仕上がりだった。特に直しも不要だろう。
確かに納期は迫っているが、こうして彼が持ち込むほど、差し迫っているわけではない。
完成して、すぐに見せたかったのだろうか。素直ではない弟弟子のいじらしさが、愛おしく思えた。
最近はローザのことにかかりきりになって、弟弟子についてはおざなりになっていた。依頼を任せた事実はかろうじて覚えていても、いざ出来上がったものを受け取りに行く約束は、すっかり忘れてしまっていたくらいだ。
頭の悪そうな表情で書物を抱えるクロードの姿を眺めて、ふと、疑いが浮上する。
おおよそ人間らしい生活とは無縁の弟弟子は、ジョヴァンニが面倒を見ないと、本当に自分のことには無頓着になってしまう。
彼の思考は〈妖精國〉で支配されていると言っても、過言ではない。
こちらが何も言わない限りは、絵画や〈妖精國〉に関する書物を黙々と読み漁るか、ひたすらに絵の修練を続けるかのいずれかだ。せっかくの整った相貌をしていても、髪や衣装はおざなりで、食べ物も腹が膨れればいいと、目についたものを拾い食いする始末だ。
現に今も髪は適当に結われ、着古したシャツは皺だらけだ。おまけにブーツには、絵具がべっとりとこびりついている。
ジョヴァンニであれば人前に出るのも忍びない、常識はずれな格好だ。これで彼は王都の街を闊歩できるのだから、信じられないし、一向に理解できないし、全く受け入れがたい。
以前よりも痩せたように思えるクロードの躰に視線を向けながら、ジョヴァンニは苦い表情で訊ねた。
「クロード。食事はきちんと、摂っていますか?」
「そういえば、昨晩から本を読んでいたから、今日はまだ何も食べていない」
クロードの言葉を裏づけるように、ぐう、と彼の腹の虫が鳴った。
ジョヴァンニは天を仰いだ。ひたむきな彼の集中力は褒められるべきだ。だが寝食を忘れ自らを二の次にするのであれば、手放しに称賛することはできない。
呆れたジョヴァンニの視線に気づかないのか、クロードは続けた。
「料理は手間だし、外に食べに行くのが一番いい。でも、疲れていて夜の街を出歩く気力がないから、明日また、考えるよ」
彼が口を開く間も、グウグウと、腹は不協和音を奏でている。
ジョヴァンニはついに耐え切れず、椅子から立ち上がった。
「休憩室の戸棚に、差し入れのケーキがあるので、持ってきますよ」
「いいね。お酒はある?」
「ここをどこだと思っているんです? 机の上の書類は荒らさずに……いいですね、いい子ですから、お願いですから。絶対に、おとなしく、待てますか?」
「うん」
執務机の上に視線を向けるクロードに不安を抱きつつも、念入りに釘を刺して、ジョヴァンニは部屋を出た。
クロードは今年十八になる頃合いか。
若いが、年の割には十分すぎるほどの収入と蓄えがある。家庭を持つにはいささか早すぎるが、経済的には安定している。
ずぼらな彼の面倒を見る女性――できれば、生涯を支える、つまり彼の『妻』を見繕うべきか、ジョヴァンニは以前から考え始めていた。
ジョヴァンニが過労死する前に、飢え死にする弟弟子を目にした師は、さぞや天上で嘆くことだろう。
ただ、クロードは厄介なことに、極度の『人間嫌い』を拗らせている。
見知らぬ女性と同棲など、できるはずもない。
彼の心の扉を開ける人物が、奇跡的にも見つかればいいのだが。
あるいは、彼が自ら扉をこじ開けるような、存在が。
(こちらの問題も、どうしたものか……)
手のかかる弟弟子の将来を憂い、ジョヴァンニは深い深い、溜息をついた。
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