【5】問答

「ラファエラ殿と我が師トラヴィス・ブルーは古くから交友を深めていました。君が生まれるずっとずっと昔の話で、私もまだ、生を受けていない頃になります」


 ローザはジョヴァンニの顔をじっと観察した。彼は三十代に届いていないように見える。少なくとも、三十年以上前になるのだろう。


「先日〈ミュトス〉に、ラファエラ殿より手紙が届きました。手紙は彼女の近況から始まり……『孫娘が独り立ちするまで、面倒を見てほしい』、と書かれていました」


「おばあちゃんが……手紙を?」


 にわかには信じられず、ローザは聞き返す。

 病床に苦しんでいた彼女が、いつの間に出したのだろう?

 それに、ローザ本人を置いてけぼりにして、知らないところで物事が進んでいるのは、なんというか、歯がゆい思いがしてならなかった。


「そう。かのラファエラ・モッロたっての願いであれば、私も無碍にはできません」


 ジョヴァンニは高級そうな鞄から手紙を取り出すと、ローザの目の前に差し出した。


「これが彼女からの手紙です。ご自身で、確かめてみます?」


 ローザは横に首を振る。

 ローザは文字の読み書きができない。村では必要としなかったので、教わる機会がなかったのだ。

 ジョヴァンニは手紙を戻すと、話を続けた。


「本来の目的を果たすのであれば、私は君が画家として健やかに成長するよう、手厚く支援するつもりでした、しかし」


 彼の表情に憂色が混じる。

 青い瞳を伏せると、長いまつげが小さく震えた。


「ローザ。私は君をこれから、王都の神殿へ連れていきます。そして、君が〈異端画〉を描いたと告発する。君が異端審問にかけられるのは必至。……判決次第では、君には極刑が下されるでしょうね」


 極刑。

 彼は直接的な表現を避けたが、つまり――死ぬということだ。

 〈星葬画〉にひとの姿を残すのは罪深いことである事実は知っている。

 けれど、それがそこまでの罪であることは、ローザは知らなかったのだ。

 ローザは暖かい上衣の下で躰をぶるりと震わせた。

 声も震えていただろう。


「あたしのしたことは、それほどの罪、なの……?」


「無知ゆえに、急に恐ろしく感じましたか? けれど、君の行いは、知らなかったでは済まされないことなのです」


 何も知らないことが免罪符になるとは、ローザも思わない。

 ジョヴァンニは小さく溜息をこぼした。


「しかし、君はその行いが異端であることは知っています。……教えてくれたのは、ラファエラでしょうか?」


「う、うん。それは、いけないことだって、おばあちゃん、言ってた……」


 ローザは昔のことを思い出しながら、どもりながら、口にする。


「小さい頃……まだ絵を描き始めたばかりだから、六歳くらいのとき。おばあちゃんの描きかけの〈星葬画〉に、死者の姿を描いたの……。そのときは、〈異端画〉のことなんて、あたし全然、知らなくて」


「ローザ。君って、とんだいたずら娘だったんですね?」


 ジョヴァンニは軽く茶化したが、これは決して笑い飛ばせるような問題ではない。

 何も知らないこどものイタズラであっても、それは処罰の対象になり得る。

 状況によっては、保護者であるラファエラが罰せられてもおかしくはないのだ。


「うん。絵を見つけたおばあちゃんに、すごく、怒られたの……」


「それはいけないことだと、そのときに、知ったんですね?」


 ローザはこくりと頷いた。

 ローザのイタズラを目にした彼女は、ローザをこっぴどく叱った。


「おばあちゃん、普段は心穏やかで、優しくて、あたしには、すごく、甘くて……。いつでも笑っている人だった。……でもそのときは、ひどく悲しい顔をして、怒ってた」


 幼いローザは、彼女が怒る理由がわからなかった。言い諭されても、その罪の重さはいまいひとつ理解できなかった。

 それよりも、悲痛な面持ちをするラファエラがどうしたらまた笑ってくれるだろう、そんなことを必死に考えていたと思う。

 大好きなラファエラを悲しませてしまった事実が、ひどく辛かった。だから、悲しい思いはさせるまい、と幼心に刻み込んだのだ。


「……なるほど、ね」


 ジョヴァンニは口の端を歪めると、問う。


「しかし、君は〈異端画〉を描きました。祖母の教えに背いて。それは裏切ってはいけないひとを、裏切ったということでは、ありませんか?」


 ローザはそっと目を伏せて黙り込む。彼の指摘は、あまりにも正しい。


「幸いにも、君はまだ年若く、画家組合にも属していない画家の卵です。それが過ちであると素直に罪を認めれば、情状酌量の余地は残されている。もう二度と、その筆を持つことは許されないかもしれない。それは画家によって、ひどく屈辱的なことでしょうが……」


 もう二度と、絵が描けなくなるのは、辛い。

 けれどそれ以上に、ローザはラファエラの〈星葬画〉が過ちであると、認めたくない気持ちが大きい。

現に、妖精たちはラファエラを守ってくれているのだ。

 ローザは訥々ながらも、口を開く。


「……あたし、間違っているとは、思えない。大好きなひとを、『永遠』に残したいという気持ちは、嘘じゃない、から……」


 ローザは顔をあげて、ジョヴァンニの顔をしっかりと見つめた。


「おばあちゃんは、教えてくれた……。大切な、愛したひとの安寧を祈るために〈星葬画〉はあるんだって……。そして同時に、残されたひとたちに、寄り添うものでも、ある」


 ひとは死から逃れることはできない。

 なぜならば、『永遠』とは、〈妖精國〉にしか存在しないから。

 ラファエラは教えてくれた。

 ひとが『永遠』を求めるとき、〈妖精國〉の扉が叩かれるのだと。


「あたしはおばあちゃんのこと、忘れたくない。あたしに向けてくれた笑顔を。できることなら、『永遠』のものにしたい。だから、あたしは、〈星葬画〉に、おばあちゃんの姿を閉じ込めたの……」


 ジョヴァンニは静かに、ローザの言葉に耳を傾けていた。


「もし、あたしの行いが過ちだと言ってしまったら、あたしはもう一度、おばあちゃんを失うことになる……!」


 ジョヴァンニはしばらくの間、黙り込んでいた。

 どれくらい経っただろう。

 彼はようやく、かたちのいい、薄いくちびるを開いた。


「ローザ。君の主張は理解しました。しかし、君が死んでしまっては、その願いは叶わず、閉ざされます」


 ジョヴァンニは窓枠に腕を置いた。

 曇るガラスの向こうの景色に、そぞろと視線を向けるその表情は、ほろ苦い。


「ラファエラ殿に頼まれている身です。〈ミュトス〉の親方としても、君をみすみすと死なせるつもりはありません。君が何を考え、何を言おうとも。君の意に反してでも、私は君を守ります」


「あたし、嘘は――」


「君は知る由もないでしょうね」


 おずおずと口を開いたローザの言葉は、ジョヴァンニの張り上げた声で打ち消された。

 ローザは勢いに気圧されて、口を噤む。


「田舎の村育ちの小娘が、世にまかり通っている常識が不条理だと喚きたてたところで、それが覆ることはありません。耳を貸す人間がいるものですか。私のような立場でさえ、そうなのですから」


 ジョヴァンニは口角をわずかに上げて、続けた。


「誰であろうと自分が正しいと思いながら、それでも自分を殺しながら生きている。私は君のそういった潔癖な生き方は嫌いではありません。むしろ好ましく思います」


 彼はニッコリと、甘くとろけそうな笑みを浮かべたが、その瞳は笑っていない。


「しかし同時に、愚かだとも思う。君のその身勝手さは、『自分がいなくなったのちも、ひとりで生きられるように』と願ったラファエラの想いを否定する行為では、ありませんか?」


 ローザは思わず、黙りこくった。

 ズキズキと痛みだした胸元を押さえる。


(でも、でも。あたし、嘘はつきたくない……)


 それでも、祖母ラファエラの気持ちを裏切るような行いができるものなのか。

 どうして。ローザの描いた〈星葬画〉は〈異端画〉になるのだろう。〈悪しき獣〉に襲われても、小さな友人、妖精たちがラファエラを守ってくれるのに。

 何かを言い返したくても、くちびるはハクハクと、荒い呼吸を繰り返すだけだ。

 頭が痛くて、何も考えられない。


「……この話は、これでお終いにしましょうか」


 不意に、彼の声音が柔らかくなる。

 ローザに視線を戻したジョヴァンニは、気遣わしげな表情を浮かべていた。

 彼はおもむろに胸元から白いハンカチを取り出すと、ローザの顔や首まわりの汗を甲斐甲斐しく拭き始める。


「すみません。体調を悪化させてしまったようですね。尋問や説教をするつもりは、ありませんでしたが」


「ごめん、なさい……」


「謝らないでください。無理をさせたのは私の方なのですから」


 汗を拭き終えたジョヴァンニは、最後にローザの頭を軽く撫でた。


「おやすみ、ローザ。今はただ、眠ってください。君のことは、私が守ると約束します」

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