第6話 パーソナリティ障害との向き合い

ヌードデッサンのセッションが終わった翌日、晴人はスケッチブックを開けずにいた。部屋の隅に置かれたそれを横目で見ながら、体が動かない自分に苛立ちを覚えていた。


「何をやってるんだ、俺……。」


せっかく挑戦したのに、スケッチブックを見返す勇気が湧かない。頭の中では「下手だ」「恥ずかしい」といった声が渦巻いている。それは過去の自分を縛りつけてきた、無数の記憶から生まれたものだった。


晴人は幼い頃から、何かが「普通」とは違う自分を感じていた。学校では周囲に馴染めず、友人関係もうまくいかなかった。人と話すたびに、何かが間違っているような気がしてならなかった。パーソナリティ障害の診断を受けたのは高校を卒業した後だったが、それまでの人生は自分自身を「異質」だと感じることの連続だった。


診断が下りたとき、晴人はほっとした自分と、絶望する自分の二つを感じた。「自分は病気だったんだ」という理解が救いであると同時に、「普通にはなれない」という現実を突きつけられる感覚だった。


「晴人くん、どうしたんだい?」

昼下がり、アトリエ「空」を訪ねてきた遠藤が、ぼんやりとした顔で座っている晴人に声をかけた。


「……なんでもないです。」

晴人はかすれた声で答えたが、遠藤はそれ以上詮索しようとはしなかった。ただ、そっとコーヒーを淹れて晴人の前に置いた。


「絵を描くことは、時々つらいことでもある。でも、それをやめる必要はないよ。」

遠藤はそう言って、晴人の目をじっと見つめた。


その一言に、晴人の中で何かが動き出した。遠藤には何も言わなかったが、晴人の胸の奥にあった重い塊が少しだけ小さくなった気がした。


帰り道、晴人はふと思い立って広場に向かった。そこには、アートイベントで出会った女性がまたキャンバスに向かって絵を描いていた。


「君も描いてみる?」

彼女は笑顔で晴人に筆を差し出した。


晴人は少し迷った後、その筆を受け取った。そして、キャンバスに向かい、ただ無心で線を引き始めた。頭の中の声を振り払うように、何も考えずにただ描く。


描き終えると、晴人は少しだけ笑った。キャンバスの中には不格好でも、確かに自分の手で描かれた線があった。


「いいじゃない。それが君の絵だよ。」

女性の言葉が、晴人の心をふっと軽くした。


その夜、晴人は部屋に戻り、スケッチブックを開いた。デッサンセッションで描いた絵を見つめながら、彼は小さくつぶやいた。


「俺の絵……これでいいんだよな。」


完全ではない。でも、今の自分を描き出したもの。それでいい。それが晴人の絵なのだと、少しずつ自分を受け入れる気持ちが生まれ始めていた。


夜空を見上げると、月明かりがやさしく部屋を照らしていた。その光の下で、晴人は新しいスケッチブックを開き、また一つ線を描き始めた。

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