第2話 ヌードへの強い憧れ

朝の光がカーテンの隙間から差し込み、晴人は小さな部屋で目を覚ました。昨夜、田代さんからもらった煮物の優しい味がまだ口の中に残っているような気がした。新しい街での生活は、昨日から始まったばかりだ。


晴人は机に向かい、スケッチブックを開いた。これだけは、彼がどこに行くにも必ず持っていくものだ。スケッチブックの中には、描きかけのデッサンがいくつも並んでいる。人物の顔、手、そして……ヌード。何枚かは大胆な構図の女性の体が描かれていた。


「俺、本当にこれでやっていけるのかな……。」

鉛筆を手に取りながら、晴人はつぶやいた。


ヌードデッサン。晴人にとって、それはただの興味や趣味ではなかった。彼が初めて人間の体を描きたいと思ったのは、中学生の美術の授業だった。教室の隅で、石膏像のデッサンをする中で、彼は気づいたのだ。人間の体が持つ線や陰影、そしてその中に隠された感情の美しさに。


しかし、その興味はすぐに周囲から誤解された。「エロい」とからかわれ、笑われることもあった。彼の心に傷が残ったのは、その言葉ではなく、それに対する自分の反応だった。反論することもできず、ただ黙り込むしかなかった。


それ以来、彼は自分の関心を誰にも言わなくなった。そして、自分が異質だという感覚を抱えたまま、心を閉ざしていった。


「でも、俺にはこれしかないんだよな……。」

鉛筆を走らせながら、晴人は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


突然、窓の外から子どもの声が聞こえた。数人の子どもたちが、広場で遊んでいるのが見える。晴人はスケッチブックを閉じ、ため息をついた。あの笑顔のような無邪気さは、彼にはもう手に入らないものだと思っていた。


その時、ふと思い出したのは高校時代の美術部の先生だった。

「晴人、お前の絵は真剣だ。誰が何を言おうと、お前がその絵を描き続けたいなら、それが正解だよ。」


その言葉に支えられた日々。けれど、卒業とともにその言葉も現実の厳しさにかき消されてしまった。あれから晴人は、ただ過去の記憶にすがるだけの日々を送ってきた。


「ここで変わらないと……。」

晴人は椅子を蹴って立ち上がり、スケッチブックをバッグに詰め込んだ。この街には、きっと何かがある。何かが変われる場所だと信じたかった。


外に出ると、陽の光が強く降り注いでいた。街を歩きながら、晴人はある場所に足を運ぶことにした。地図で見つけた、小さなアートギャラリーだ。そこで何かのヒントを掴めるかもしれない。


ギャラリーの扉を開けると、そこには静かな空気が流れていた。白い壁に飾られた絵画や彫刻たちが、静かに彼を迎えるようだった。その中で、一枚の大きなヌードデッサンが目に入った。


「……すごい。」

晴人は絵の前で立ち尽くした。大胆なタッチで描かれたその絵は、ただ美しいだけでなく、生々しい感情や力強さが込められているように感じた。まるで、絵そのものが彼に語りかけてくるようだった。


「絵を描くことが、こんなに人の心を動かすものだなんて……。」


晴人の中で、何かが動き始めた。それは恐れとも希望とも言えない、不思議な感情だった。この街でなら、自分もこんな絵を描ける日が来るのだろうか。


小さな決意を胸に、晴人はギャラリーを後にした。そして、歩きながら自分に言い聞かせた。


「描こう。この街で、俺の絵を描こう。」


その言葉は、まだ不安定な夢のようだった。しかし、晴人にとってそれは、長い間閉ざしていた扉を開くための第一歩だった。

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