第1話 新しい街への引っ越し
電車が静かに終点の駅に滑り込む音で目が覚めた。晴人は重いまぶたを開け、窓越しに見える駅の看板を見つめた。名前も知らない地方の街。ここが、彼がこれから暮らす新しい場所だ。
「降りるぞ。」
小声で自分に言い聞かせるようにつぶやき、晴人は立ち上がった。小さなキャリーケースを引き、ホームに足を踏み出す。空気が少しひんやりとしていて、都会にはない清々しさがある。けれど、それ以上に漂う静けさが、晴人の胸を締めつけた。
駅前は簡素な作りで、人通りも少ない。大きな交差点もなければ、コンビニさえ見当たらない。「こんなところで本当に暮らせるのか?」心の中でつぶやきながら、晴人は用意していた地図を取り出した。
新居は駅から徒歩10分ほどのアパート。生活費の大半がベーシックインカムで賄われるため、家賃の安さが決め手だった。地図を片手に歩き出すと、街の風景がゆっくりと目に入ってくる。色とりどりの花が咲く小さな庭、窓辺に干された洗濯物、そして通りを行き交う穏やかな顔の人々。どこか、時間の流れがゆっくりしているようだった。
「ここが……そうか。」
目的地のアパートに到着すると、古びた外観が目に入った。木造2階建てで、少し傾いているように見える。けれど、この場所が晴人にとって新しいスタート地点だ。深呼吸をひとつしてから、ドアを開けた。
中に入ると、部屋は思ったよりも狭い。窓際に置かれたテーブルと椅子、薄い布団だけが備え付けられている。けれど、晴人には十分だった。過去の重荷を少しでも軽くしたい。そんな思いで、この街にやってきたのだから。
荷物を整理していると、ドアをノックする音が聞こえた。晴人が戸を開けると、そこには初老の男性が立っていた。眼鏡をかけた穏やかな顔が微笑んでいる。
「君が新しく引っ越してきた人かな?隣に住んでいる田代だよ。よろしくね。」
「あ、はい……よろしくお願いします。」
晴人はぎこちなく頭を下げた。こういう日常のやりとりさえ、彼にとってはハードルだった。田代は特に気にする様子もなく、鍋に入った煮物を差し出してきた。
「これ、うちのかみさんが作ったんだ。よかったら食べて。」
「ありがとうございます……。」
受け取った鍋の重さが、ほんの少しだけ心を温めた。
その夜、煮物を食べながら、晴人は窓の外を眺めた。遠くから聞こえる犬の鳴き声や風の音が、都会とは違うリズムを感じさせる。
「この街で、本当にやっていけるのかな……。」
胸の奥にある不安は消えない。それでも、晴人は自分に言い聞かせた。この場所が、自分を変えるための最初の一歩だと。
窓の外に見える月は、どこかやさしく彼を見守っているようだった。
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