話しかけて良い人

ポテろんぐ

第1話

 (上野の地元の駅)


   電車の警笛。

   電車が駅のホームを出ていく。

   数名のサラリーマンの足音と一緒に上野が歩いてくる。

   上野、仕事が終わった開放感で伸びをする。


上野「ん?」


   上野、立ち止まる。


上野「今日もいるのか、あの若者」


上野N「先月くらいからだろうか、いつも利用している地元の駅前に、おかしな若者が現れるようになった」


   通行中の人々に呼びかける中村。


中村「(通行人に呼びかける)こんばんは。僕は『話しかけてください屋』です。

 何か人に話したい事とかありませんか? よろしければ、僕が聞きますよ。

 愚痴でも自慢話でも、なんでもオッケーです!」


上野N「その若者は『僕に話しかけください』と書かれた看板だけを持って、毎晩駅前に立っているのだが……」


上野「(呆れている)全く、ふざけた若者だ。真面目に働かずに、楽に金を稼ごうとして」


   上野、ため息交じりに歩きだす。


中村「(呼びかける)あ、お兄さん! 何か、聞いてほしい愚痴とかありませんか? 僕が話し相手になりますよ。

 お姉さん! もし一人で入りづらいお店とかあったら、僕が付き添いますよ!」


   上野、中村の側を通り過ぎる。


中村「(上野に)あ、オジさん! 何か会社の愚痴とかありませんか? よろしかったら、僕が聞きますよ」


上野「別にないよ」


中村「あ、そうですか。すいません!」


   上野、中村の前で止まる。


上野「君、それ、趣味でやってるの?」


中村「いえ。あの、僕、劇団に入ってる役者なんです。

 舞台だけじゃ食べていけないんで、『自分の特技を生かして、何かできないかな』って考えて始めたんです。

 あの愚痴とかありましたら、夕飯を奢ってもらうくらいで聞きますので、いつでもお願いします」


   上野、愛想笑いを浮かべる。


上野「ふざけた事をしてないで、真面目に働いたらどうだい?」


中村「え?」


上野「まだ若いからいいが、歳をとってから後悔しても知らないぞ」


中村「あ……すいませんでした」


   上野、しばらく歩く。

   そして、ため息。


上野「全く、職場の奴らといい、最近は世の中を舐めている若者が多すぎる」


   上野、ムッとして、歩いていく。


上野N「と、その若者をバカにしていた私であったが、翌日……」


   (上野の会社 オフィス)


    オフィスの喧騒。


上野「申し訳ありませんでしたあああ!」


上野N「仕事で新人ですらやらないような大きなミスをしてしまった。

 久しぶりに上司に叱られ、それだけならまだしも、

 普段から偉そうな事を言っていた部下達の前で頭を下げる辱めを味わう事となった」


(職場の休憩室)


   自販機からコーヒーが出てくる。

   それを飲む上野。

   ため息。


上野「やってしまった」


   部下がやってくる。


部下「課長、ドンマイっす。切り替え、切り替え」


上野「ああ……ありがとう」


   上野、コーヒーの残りを飲む。


上野「そうだ、お前、仕事終わったら暇か?」


部下「うっす。爆裂に暇っす」


上野「そうか、なら、どうだ、たまには飲みにでも付き合え」


部下「いえ! マジ勘弁っす! 自分、仕事とプライベートは分けるタイプっすから!」


上野「あ、そう」


   上野、大きなため息。


上野N「久しぶりに落ち込み、クタクタの状態で帰路に着いた」


   (帰りの電車の中)


   電車が進む音。

   この世の終わりのように落ち込んでいる上野のため息。


上野「(疲れてる)明日もまた取引先に謝りに行かないとなぁ」


   上野、「あああ」と頭を抱える。


上野「昔ならなぁ、先輩か同僚が飲みに誘ってくれたのになぁ」


   上野、「あーあ」と途方にくれる。


上野「飲みに行く相手がいつの間にかいなくなってたんだなぁ」


   (上野が利用する駅)


   電車が駅を出ていく。

   上野、ぶらぶらと歩く。


上野「このまま帰って寝たら、すぐに明日になっちゃうぞぉ」


   上野、ため息。


上野「一人で飲んでもなぁ、虚しいだけだよなぁ」


   上野、「あーあ」と天を仰ぐ。


中村「(呼び込みをしている)あ、お兄さん! 仕事の愚痴とかあったら、僕が聞きますよぉ!」


上野「ん?」


   上野、立ち止まる。


上野「……」


   上野、意味深な咳払い。

   上野、また歩き出す。


中村「あ、おじさん。こんばんは」


上野「こ、こんばんは」


   上野、通り過ぎていく。


中村「(呼び込み)あ、お姉さん。カップルが行くお店とか、僕でよかったら付き合いますよ」


上野「(あれ?)ん?」


   上野、立ち止まる。

   上野、咳払い。

   踵を返して、また歩く。


上野「誰でも、僕に話しかけてくださぁい!」


   上野が歩いてくる。

   上野、咳払い。

   上野、咳払い。


中村「おじさん、風邪ひいたの?」


上野「え! いや、ちょっと」


中村「(呼び込み)あ! お父さん! あの、仕事の愚痴とかありましたら、僕が……」


   上野の大きな咳払い。

   咳払い。


中村「……もしかして、なんかあったの?」


   上野、咳払い。


   (居酒屋)


   居酒屋の喧騒。

   上野と中村のグラスが重なる。


上野・中村「かんぱーい!」


   二人、ビールを一気飲みする。


上野・中村「プハー」


中村「なんかあるなら、話しかけてくれればいいのに」


   上野、照れる。


上野「でも、なんであんな変な事やってるんだ? 他に色々あるだろ?」


中村「いや、俺、役者やってますから、世間の人達がどういう気持ちで生活してるかとか、勉強したいんですよ。

 ホストとかはなんか違うし、もっと生活感のある話が聞きたくて」


上野「それで『話し掛けてください屋』か。なるほど」


中村「名前がふざけてるから、遊んでるって思われちゃうんですけど」


   中村、苦笑い。


上野N「話してみれば、彼、中村君は思っていたのとは違い真面目な若者であった」


   × × ×


   ベロベロに酔っ払った上野。



上野「(愚痴)それで、部長の野郎! 俺をな、部下とかも見てる前で怒鳴るんだぜ! コラー、上野ぉ! って」


中村「そりゃ、酷いよ。誰だってミスはするんだし」


上野「(愚痴)そうだろ? 俺様だってたまにはミスくらいするんだよ! なのに、あの野郎! 俺に大恥をかかせやがってよぉ!」


   上野、ビールを飲む。


中村「でも、それってオジさんが優秀だからじゃないの?」


上野「なにぃ! どういうことだ! 言ってみろ、中村!」


中村「オジさんが優秀だから、自分の地位を脅かすと思って、意地悪してるんだよ」


上野「そうか、そうだな! あの部長の野郎! 怒鳴っておきながら、俺のことが怖いのか、あいつ」


上野、褒められて馬鹿笑い。

   上野、ビールをまた飲む。


上野「中村君、知ってるか? あの部長のやつ。俺が新人の頃な、先輩にいじめられて、あいつ、トイレで泣いてたんだよ」


中村「ええ! そうなの!」


上野「それで俺がその後、居酒屋に付き合って愚痴を聞いてやったのによ、恩知らずだよ、あの部長は!」


   上野、中村に焼き鳥の皿を持っていく。


上野「おお、もっと食いなさい。お腹空いてるんだろ!」


中村「いただきます!」


   中村、美味そうに焼き鳥を食う。


上野「(愚痴)ほんと、最近は、中村くんみたいな素直でカワイイ若者もいなくなっちゃったよ。

 上司の俺様が叱られて落ち込んでるんだからよ、励ましてくれてもいいじゃねぇか、あいつら。

 それを『プライベートと仕事は分けてますから』って、馬鹿野郎が。ゴミの分別じゃねぇってんだよ」


   上野、ビールを飲む。


中村「オジさんがさ、仕事できるオーラが出てて、近寄り辛いんだって」


上野「そ、そうかな? どの辺から出てるかな、オーラ?」


中村「耳の裏とかから、もうプンプンに出てるよ」


上野「馬鹿野郎、そりゃ加齢臭じゃねぇかよ!」


   二人、バカ笑いする。


上野N「で、中村君は太鼓持ちがとても上手く、何を言っても私を褒めてくれるので、私は大変気分が良くなってしまい、エステでも行ったように、気持ちがリフレッシュしてしまった」


   (帰り道)


   夜道。

   自転車を引いている中村。


中村「じゃあ、おじさん、ごちそうさまでした」


   上野、なぜか酔いが覚めて、キリッとしている。


上野「(キリッとしている)ああ、気をつけて帰りなさい!」


中村「はい。また、連れてってください」


上野「もちろんだ!」


中村「じゃあ、おやすみなさい」


   中村、自転車に乗って、去っていく。


上野「いい役者になれよ!」


   上野、しばらくボーッと立っている。


上野「『また、連れてってください』か……」


   上野、鼻歌が大きくなる。

   スキップで帰る。


   (取引先)


上野N「翌日、中村君に愚痴を聞いてもらったお陰で、私は生まれ変わった」


   机をものすごい勢いで叩く上野。


上野「申し訳ありませんでしたあああ!」


   土下座。カッコイイ効果音。


上野N「取引先に謝罪に行くと、いつも以上に土下座が冴え渡り、許して貰うどころか。

 謝り方が信頼できると言う理由から、むしろ取引する量が倍になると言う活躍ぶり」


部下「課長の土下座、マジで尊かったっす。謝りって、逆に取引の量が増えるって、アリエねぇっす! まじ神っす。すげーっす!」


上野「『凄い』とか言うな、聞き飽きたぜ。よし、次! 行くぞ」


部下「ちーっす」


   上野と部下、次の取引先へ歩いていく。


上野「全く、部長は大袈裟なんだよ。これぐらいの事で焦るなんて。やっぱり、私が部長になる日は遠くないようだな」


   上野、豪快に笑う。


   (上野の使う駅)


   電車が出ていく。

   上野が伸びをしながら歩いてくる。


上野「今日は久々にいい仕事をした。(中村を見つける)おっ!」


   上野、立ち止まる。


中村「(呼び込み)『話しかけてください屋』です! 何か悩みとかありましたら、僕に話しかけてください!」


   上野、歩み寄る。


上野「中村君!」


中村「あ、上野さん! こんばんは。仕事どうでした?」


   上野の勝ち誇った笑み。


上野「許して貰うどころか、むしろ取引の量を大幅に増やしてやった」


中村「え! 凄いですね!」


上野「部長の奴、昨日、俺を怒鳴った手前、報告を聞いて、目を丸くしてたよ!」


   上野、勝ち誇った笑い。


上野「よし! 今日は祝杯だ! 付き合ってくれよ!」


中村「はい! ありがとうございます!」


上野「部長のとっておきの失敗談を電車で思い出したんだよ」


中村「えぇ、楽しみだなぁ! 聞かせてくださいよ!」


   二人、歩いていく。


   (居酒屋)


   居酒屋の喧騒。

   すでに上野は酔っている。


上野「そしたらさ、あの部長がさ、寝言で言ったんだよ。『もう、こんなに働けないよぉ』って、ヨダレを垂らしながら」


   上野の話に中村、大爆笑する。


中村「なんですか、その寝言!」


上野「だろ? 社員旅行でビックリしたよ。『こいつ、夢の中でも働いてるよ』って。

 もう、真面目すぎて、仕事しかすることがないんだよ。だから旅行先で寝てても働いちゃうんだよ」


   中村、笑う。


中村「上野さんの話は面白いなぁ」


上野「その、『上野さん』っていうのは他人行儀だから、止めないか」


中村「なら、なんて呼べばいいんですか?」


上野「……課長ってさ。呼んで欲しい」


中村「……課長」


   上野、嬉しくて、ビールを一気飲み。


上野「よぉぉし! じゃあ、次はあの部長のとっておきの秘密を教えてやる!」


中村「え? なんですか、それ?」


上野「それは……教えない!」


中村「ええ、ズルいですよ、教えてくださいよ、課長!」


   上野、笑う。


上野「また今度聞かせてやるよ」


中村「課長、絶対ですよ!」


上野「ああ、絶対だ! 約束だ」


上野N「そう言って、私たちは約束して、その日は別れた」


   (街中)


   街中の喧騒。

   上野と部下が歩いている。


上野「急げ、次の会議まで時間ないぞ!」


部下「ちっす」


上野「ったく、なんで目黒と目白を聞き間違えるんだ」


部下「面目ねぇっす」


上野「あっ」


   上野、立ち止まる。

   車がそばを通り過ぎて行く。


部下「かちょー。どうしたんっすか?」


上野「この『目黒と目白を間違えた』ってネタ、中村君、笑ってくれるかな?」


部下「中村君って、誰っすか?」


上野「俺の大事な……いや、命より大切な部下だ」


部下「そんなやつ、ウチには居ないっすけど」


上野「(気付く)あ! いかんいかん。会議に遅れる。行くぞ!」


   上野、また歩き出す。


部下「あ、課長。俺、今日、バチクソに暇っす」


上野「ああ、じゃあゲームでもして楽しめよ!」


部下「いや、令和史上最大に暇なんすけど」


上野「わかってるよ。安心しろ! お前は金輪際飲みになんか誘わないから。なぁ!」


部下「あ、そっすか」


上野「ほら、とっとと仕事を終わらすぞ!」


   上野、高笑い。


   (上野の地元の駅)


   電車がホームを出て行く。

   上野がルンルンにスキップをしてくる。


上野「この部長の秘密を聞いたら、中村君、きっと驚くぞぉ。その前に前菜で、昼間の『目黒と目白』のネタも話してみるか」


中村「(呼び込み)何か、悩みなんかがあったら、聞きますヨォ」


   上野、中村を発見する。


上野「あっ、いたいた。おーい、中村……」


片岡「おい! 中村君!」


中村「あ、片岡店長! こんばんは!」


   二人から少し離れている上野。


上野「片岡? 店長?」


   上野から離れた場所で話す、片岡と中村。


片岡「久しぶりだな。ちょっと、最近、仕事が忙しくてなぁ」


中村「お店、繁盛してきてよかったですね」


片岡「ああ、また面白いお客が来たんだよ。これから話を聞くか」


中村「本当ですか! 是非聞かせてください!」


片岡「じゃあ、飲みに行くか!」


中村「はい! ありがとうございます!」


上野「おい! ちょっと待て!」


   歩き出した片岡と中村、立ち止まる。


片岡「ん? なんだ、お前?」


中村「あ、上野課長」


片岡「課長?」


   上野、革靴で歩み寄る。


上野「片岡店長とか言ったな。店長……さては、飲食店だな」


   片岡も歩み寄る。


片岡「そういうお前は課長……会社勤めのようだな」


上野「安心しろ、営業だ」


片岡「そうか」


   二人、立ち止まる。


上野「お前、中村君の何だ?」


片岡「中村君は俺の命より大切な、部下だ」


上野「なっ!」


片岡「どうやら、俺が忙しい間、部下を食わしてやってくれたようだな。それは感謝する」


上野「貴様っ!」


片岡「『話しかけてください屋、鉄の掟』

 客は先に中村君に話しかけたものが客となる。

 先に話しかけたのは、俺だ。そういうことだ」


   片岡、中村に歩み寄る。


片岡「またせたな、中村君、行こうか」


上野「ま、待ってくれ、中村君! ぶ、部長のとっておきの話があるんだ! あんなに聞きたそうにしてたじゃないか!」


中村「すいません。ルールなんで。失礼します」


中村、片岡、歩いていく。


片岡「じゃあ、行こう。久しぶりに焼肉を食いに行こう」


中村「本当ですか! ありがとうございます、片岡店長!」


上野「なっ!」


上野N「『片岡店長』その一言が俺の心臓にグサッと刺さった」


   上野、その場にヘタリ込む。


上野「くそお」


   上野、泣き始める。


上野N「分かっていたことだ。彼にとっては仕事なのだ。

 しかし……カワイイ部下だと思っていた青年が、別の男にも同じ笑顔を見せていたという事実が私にはショックだった」


上野「あいつ、魔性の部下だったのかぁ」


   田口が歩み寄る。


田口「あ、おじさん。中村にフラれたんですか?」


上野「ん? 誰だ、君は!」


田口「あ、俺、田口って言います。最近、中村の真似で『話しかけください屋』を始めたんです」


上野「なに?」


上野N「よく見ると、駅前は中村君の真似をして、『話しかけてください屋』をやりだす若者が増えていた」


上野「気付かなかった。まるで、一昔前の路上ライブのようだ……」


田口「あの、俺でよかったら、話聞きますよ」


上野「え?」


   (居酒屋)


   上野のグラスと田口のグラスがぶつかる。


上野・田口「かんぱーい!」


   二人、一気飲み。


上野・田口「ぶはー」


上野「そうか、君は中村君と同じ劇団なのか」


田口「はい。で、中村にアドバイスもらって。最近、あいつ、演技が凄い上手くなってて、秘密を聞いたんですよ」


上野「そうか」


上野N「田口君も、中村君と同じで、物分かりのいい若者であった」


   × × ×


   上野、ベロベロに酔っている。


上野「で、そしたら隣で寝てた部長が寝言で言ったんだよ。『もう働けませーん』って」


   田口、大爆笑!


田口「夢の中でも働いてるんですか!」


上野「もう、仕事しかすることないから、寝てても働いてるの」


田口「すごい仕事人間ですね」


上野「だろ?」


   上野、勝ち誇った笑い。


上野N「だが、豪快に笑ってはいるのに、心はどこか寂しい」


   (上野の地元の駅)


上野N「しかし、片岡とのやり取りを見てしまって以来……」


   電車がホームを出て行く。

   上野が歩いている。


中村「(呼び込み)そこのオジさん! 何か愚痴があったら僕が聞きますヨォ!」


   上野、立ち止まる。


上野「中村君……くそっ!」


   上野、早足で過ぎ去る。


田口「あ、上野課長」


上野「田口君。実は……部長のまた面白い話ができたんだ」


田口「え! なら聞かせてくださいよ!」


上野「ああ、じゃあ、飲みに行くか!」


上野N「私は、中村君に話しかける勇気が出なかった」


   (居酒屋)


   居酒屋の喧騒。

   ベロベロの上野と田口が飲んでいる。


上野N「そんなすれ違いの日々が過ぎた、ある日のことだった」


上野「そうしたら、そのバカな部下がなっ! 俺にこう言ってきたんだよ!」


田口「(冷めている)もう、いいですよ」


上野「何?」


田口「その話、前も聞きましたよ」


上野「そ、そうか……じゃあ、この前、会議で部下がやらかしたミスの話でも」


田口「それも。この前、聞きましたよ」


上野「田口君? ど、どうしたんだ、急に」


田口「上野課長が、毎日、部下のネタを作ってきてくれるのはありがたいんですけど。

 『部長のとっておきの秘密』ってのは、いつ聞かせてくれるんすか?」


上野「え?」


田口「今度、聞かせてやるって言って、もう一ヶ月、あれからずっと部長じゃなくて部下の愚痴ばっかりですよね?」


上野「そ、それは……」


田口「課長は、俺じゃなくて、中村に話したいんでしょ?」


上野「え」


田口「……実は、中村、劇団を辞めたんです、この前」


上野「なんだって!」


   上野、驚きで立ち上がる。



田口「実家のお父さんが病気で、仕事を手伝うことになったそうです。明日、実家に帰っちゃいますよ」


上野「そんな……」


田口「行ってくださいよ、上野さん」


上野「田口君……」


田口「安心してください、今日は俺が奢りますよ。中村の為に」


上野「田口君……君、いい役者になるよ!」


   上野、走って店を出て行く。


上野N「田口君に言われ、私は店を走って出て行った」


   (道中)


   息を切らして走る、上野。


上野N「余談だが、上野君はこの後すぐテレビドラマの出演が決まり、たちまち売れっ子の俳優になった」


   (駅前)


   電車がホームを出て行く。

   上野が走ってくる。


上野「中村君!」


中村「上野、さん?」


上野「中村君。よかった」


中村「あ、すいません。もう、『話しかけてください屋』は廃業したんです。だから……」


上野「部長のとっておきの秘密だ!」


中村「え?」


上野「部長のやつ、いつも偉そうにしているけど、アイツは……カツラなんだ!」


中村「え?」


   中村、無理に爆笑する。


中村「アイツ、カツラだったんですか!」


上野「あ、部長はカツラだああ!」


   上野、中村に歩み寄る。


上野「実家に帰っても、元気でな」


中村「え? ……ありがとうございます」


上野「何かあったら、ここに来なさい。愚痴なら私がいくらでも聞いてやる」


中村「はい。ありがとうございます!」


上野「ありがとうはこっちのセリフだ。今までありがとう」


上野N「それ以来、私は中村君とは一度も会っていない。便りがないのは元気な証というが、きっと彼もそうなのだと思っている」


   (街中)


   飛行機が空を飛んで行く。


部下「課長、どしたんすか? 飛行機なんか見て」


上野「俺は飛行機が好きなんだ」


部下「そっすか」


   二人、並んで歩く。


部下「あ、課長、俺、今日、マジでありえないくらい暇です」


上野「そうか……なら、飲みに行くか」


部下「あ、さーせん。俺、酒飲めねぇっす」


上野「……そうか!」


   上野、歩くのが早くなる。


上野「会議に遅れるぞ!」


部下「あ、でも、焼肉なら行きやす」


上野「……そうか、なら仕事片付けて行くぞ!」


部下「あざーっす」


                           (終わり)






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話しかけて良い人 ポテろんぐ @gahatan

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