002 出所します
今日も今日とて、出勤直後からハラスメント全開の毒坊劇場が開演していた。
「みーおーちゃんっ♪」
「おはようございます。萬谷部長」
慣れって怖いねぇ。
最初の頃はあまりのキモさに顔が引き攣って笑顔なんて作れなかったのに、今となってはお手本のような作り笑いを披露なさっておる。
毒坊もいい加減に分かれ。
笑っていない目が全てを物語ってるのに。
「もぉ〜っ! 堅いよっ!」
ハゲ、チビ、デブの逆三拍子が揃った恵体に、さらにほとばしる脂と唾。
視線は常に胸元と腰回りを舐め回すように彷徨わせ、距離感がバグったかのようにパーソナルスペースを無遠慮に侵略していく。
男性でも拒否感が表情に出るほど気持ち悪いのに、若い女性が笑顔を向けてあいさつをしてくれていることに感謝しろよと思わずにはいられない。
「部長、おはようございます」
独房は休憩室の隣の事務所だ。
こちらは監視カメラのモニターがあり、独房時間が拙いことには自覚があるらしく、毒坊は邪魔が入らないかモニターを常に確認している。
せっかく岩さんが御膳立てしてくれたのだから、人事部に毒坊のヤバさを確認させたい。そのためにはモニターがある事務所に行かれては困るのだ。
「──あぁ〜んっ?! ニートはお呼びじゃないのよっ。分からないかなぁ!? 無能なら無能なりに空気くらい読んでほしいんだけどっ!?」
「部長。空気は読むものではなく吸うものです」
ヘイトを俺に向けるためとはいえ、さすがに自分でも空気が読めないと思っている。
でも以前から言いたかった言葉を言えて、ちょっとすっきりしている。
「はぁっ!?」
ついでに殴ってくれないかなぁ? と思わなくもない。
「あと、私は働いているのでニートではないですよ? 言葉の意味がわからずに使っているならやめた方がいいと思います」
「馬鹿かよっ! お前がF級の無能覚醒者だってことを言ってるんだよ。クソみたいな【ニート】っていう職業持ちなんだろ?」
口角泡を飛ばし、俺を指さして捲し立てる毒坊。
「僕の部署から二人の昇格者が出たってのに、お前みたいなゴミがいるせいで僕の評価が上がらないじゃないかっ!」
「はぁ。でしたら、評価されるように仕事をなさればよろしいのでは?」
「だ〜か〜ら〜っ! 僕には澪ちゃんをスカウトするっていう大事な仕事があるんだから邪魔しないでよっ!」
「残念ながら、それは無理でしょう」
「何がっ!」
「私の覚醒者情報を無許可で公開したことについて話し合いを申し込むので、部長には同席してもらわないといけませんよ? 守秘義務というのも仕事の一つですので」
「はっ! 無許可? 僕にはその裁量権があるのっ」
やれやれと肩を竦めるという仕草をしながら俺に近づき、そして上目遣いで下から見上げてくる毒坊。
──キッツ。
「たまにいるんだよね? 個人情報保護法違反とか言って脅迫してくる無能。能無し金無しで大変だからって、選ばれた僕達に集らないでくれるぅ?」
ターンからの上目遣い。
だが、そこに俺はいない。
半回転で止まってしまったから、言われたのは毒坊の後方でニヤニヤしていた店長。
「店長、集ってるんですか? 犯罪だからやめた方が良いですよ」
──痛い。
ゴリラ再臨。
今度は左肩か。
「ん〜っ!?」
メスゴリラの体の揺れに反応するオスザル。
血走った目が一点を見つめて無言で迫ってくる。
はっきり言って怖い。
興奮を抑えきれないオスザルもだが、心内の暴言に反応したメスゴリラも怖い。
「先輩、何か失礼なことを考えてます?」
「いや……」
「退きたまえっ」
俺が横にずれると、肩を掴んでる雪平も横にずれる。
「退けと言ってるっ」
「退いてますよ。あなたの周りには誰もいないでしょう?」
孤独な人間ですね。
不憫な。
「痛いですよ」
「…………」
呼吸しづらいのか息が荒い雪平に、毒坊の興奮が収まらない。
ついにはデブの割に俊敏な動きで雪平の横に移動して、無遠慮に下から頭突きをかますように飛びついた。
接触を回避するため、仰け反るようにスウェイバックする雪平。
だが、豊かな胸が毒坊の目前に依然残った状態だ。
毒坊がそのような好機を逃すはずはない。
転倒回避のために手を出しましたという体なのか、胸目掛け両手を突き出す毒坊。
勝利を確信する毒坊の表情と、絶体絶命の状況に絶望する雪平の表情が同時に視界に入ってくる。それほど俺は近くにいるわけだ。
「よいしょっ」
一歩引いてズレた体を、また一歩ズラして元の位置に戻せば、雪平と毒坊の間に自然に体を挟むことになり、毒坊は両手から顔の順に俺に衝突した。
「せんぱーいっ」
後方からベアハグのように抱きつく雪平。
怖かったのだろうが、苦しいからやめてほしい。
覚醒者の自覚を持った力加減をお願いしたい。
「何をするっ! 覚醒者の暴行は重罪だぞっ!」
「暴行? 移動しただけです。私より階級が高い覚醒者が、底辺覚醒者の攻撃でダメージを負うのですか? だとしたらスライムにも負けそうですので、探索者になるのはやめたほうが良いのでは?」
「お、お前っ! 明日から居場所があると思うなよっ?!」
「明日からも当たり前のように出勤してもらえると思っているところがおめでたいですね」
「辞めるつもりなら面倒なことをせず、さっさと辞めろよっ」
「面倒なこととは?」
「このやり取りだよっ」
「仕事の邪魔をしているのは部長ですよ? あなたが来る前までは普通に営業できてましたからね。今はお客様がスマホ片手に部長の勇姿を記録してくれていますよ」
「映像の流出は然るべき処置をするからなっ」
うわぁ。
客も脅迫するのか。
「えっ? 先輩、辞めちゃうんですか!?」
漸くバックハグ拘束を解除してくれた。
しかし、未だ猿型モンスターの危機から脱していないためか、左腕を命綱代わりに拘束されている。
天然でやっているのかは不明だが、店長含むガチ勢からのヘイトが凄まじい。
「うん。流れ的にそうみたい」
「えぇぇぇぇっ! じゃあ、私も……」
「ダメダメダメっ! 澪ちゃんはっ、ダ〜メっ!」
「そうだよっ! 雪平くんにやめられたら困るよっ!」
店長たち雪平大好き派閥が反対を主張する。
賛同者を味方と勘違いした毒坊がドヤ顔で雪平の近くに移動するが、雪平はバックハグ状態に戻って俺を盾にした。
俺の背中で形を変える胸を見たらしい男性陣から、羨望と殺意の篭った視線を向けられる。
先程のドヤ顔に対する意趣返しをしようと思い、アルカイックスマイルで余裕を見せて見たところ、殺意が増した気がしないでもない。
「おはようございます」
「「「──おはようございますっ」」」
やっと来た。
待ってましたよ、人事部さん。
「いやぁ〜、すごいですねぇ。少し前から見させて頂いて、部長室とこちらの事務所の証拠保全の指示をしている間も、ずっと行われているとは思いませんでしたよ」
「──はっ?」
「全員に面談を行いますので、閉店作業を進めてください」
毒坊もついに年貢の納め時か。
老後も頑張れよ。
◆
その後、面談時に証拠の提出や聴取を行い、退職手続きや賠償金の手続きを進めて無事に退職した。有給に関しては【萬屋グループ】が買い取る形で、当日付の退職となった。もちろん、清掃員の仕事も完全に退職した。
雪平も本当に退職し、セクハラの賠償金なども受け取ったため、すぐに転職せずにしばらくはゆっくりしつつインフルエンサー活動を開始するそうだ。
退職の際に、雪平の住所などを悪用したことを含めて全て報告したところ、雪平は引っ越しをすることになり、それに伴う費用全てを【萬屋グループ】が負担してくれることになったそうだ。
まぁ当然だろう。
ちなみに、毒坊はダンジョン事業部から清掃員などの萬サービス事業部への移動となり、役職もなしの平社員から教育し直すらしい。
それから、客が撮影した動画はしっかり流出した。
覚醒者情報の漏洩問題と、俺の【ニート】という職業がネットニュースになっていた。
コメント欄を見ると、やはり誤解をしている人がほとんどだった。
まず、この【ニート】というもので有名なものは、ステータスに表示されている称号に同名のものがあり、そちららがかなり有名である。
覚醒したのにもかかわらず、全く攻略をしていないと【ニート】という称号が付与されるらしい。
俺は不名誉な称号を付与されないように、バイトの合間を縫ってスライム狩りをしていた。
何故そこまで頑張るかと言うと、この不名誉な称号は解除されるまで鬼畜のような重複デバフを味わい、パーティを組んだ場合はお荷物くんを同行させることになるから。
これと混同されているせいで、最初からダンジョン攻略をしない者として扱われているし、測定も適当でF級とされてしまった。
この測定、【九龍塔】の専用機器を使用して測定するため、本来ならLv五以上にならないと正式な評価として明記されない。
それゆえ協会が製作した機器で、暫定的な測定をして評価をしている。
暫定的でも進学や就職、Lv五未満で受ける仕事など様々な場面で重要な判断基準となっている。それを先入観のせいで適当にされた瞬間、俺の協会に対する信用は完全に消失した。
なお、一番下はG級だ。
障害者や観光目的の者に特別に発行する免許証みたいなもの。
つまり、実質F級が最低ランクというわけだ。
覚歴としては最下層の人間で、そのような人物が企業相手にどうでも良いようなレベルの情報を漏洩したからと慰謝料を請求するとは云々と、コメント欄には多く記載されていた。
予想できていたことだけど、胸糞悪いことには変わりはない。
コメントに返信しても炎上するだけなのは目に見えているので、ただただ我慢しストレスを溜め込むのみ。
「──そうだ、キャンプに行こう」
そう、ストレスが溜まったら発散すればいいのだ。
コメント欄を炎上させるよりも生産的だと思う。
「よし。行こうっ」
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