第37話 初めての殺人
相手は狂人とはいえ、行動自体は冷静さが感じられる。
まず薬を仕込んで動けないようにし、薬が効かないなら剣を用いてくる。
しかも人質の存在をあからさまなまでに知らしめることで、逃げようとするのを封じてくるという嫌らしさ。
リリィにとって、そして倒れているサレナにとっても非常にまずい状況だった。
「さて、どうする? 闇雲に仕掛けてきたところで、少しの隙をついて君のお仲間を水の中に叩き落としてしまうかもしれない」
「くっ……」
一対一の戦いなら身軽な動きと合わせてどうにでもなるが、倒れているサレナという存在はあまりにも無防備。
それゆえにリリィは、積極的な攻撃に出るのを躊躇していた。
水色の鱗を持つリザードの男性は、実力が未知数であり、守るべきサレナは意識を失っているので身動きができない。
かといって、このまま意識が戻るのを見逃してくれるような相手ではない。
「いい表情だ。人の生の感情というものは、滅多に味わえない。この時のために長く待った甲斐がある」
「はぁっ!」
ガギン!
「おっと、一撃が速いな。防ぐだけで精一杯だ。しかし力はそれほどでもない」
「だったら!」
ギン! ギン! ギン!
素早い攻撃により、少しの傷でもいいから相手を怪我させて出血を狙おうとするリリィだったが、人質のことを考えると位置を大きく変えることができず、難なく防がれてしまう。
「ふう……ふう……」
「全力で剣という金属の塊を何度も振るえば、息が上がってくるもんだ。もっと仕掛けてきてもいいんだぞ? 防ぐこちらも疲労は溜まる」
「どうだか。そう言うけど、こっちを疲れさせるのが目的でしょ」
全力での攻撃は、体力を大きく消耗させる。
わずかに息が上がるリリィだが、相手の挑発に乗ることなく息を整えた。
そのあと無言で突きを行うも、あえなく回避されてしまう。
だが、剣をわずかに捻るとそのまま横に斬った。
ガギッ
「むっ……鎧をしてなかったら危なかった」
横に斬る一撃はリザードの男性の胴体に当たるも、身につけている鎧によって防がれてしまう。
即座に反撃が来るので避けるも、倒れているサレナを相手の手に届かせないため、あまり下がることはできず、追撃は剣で受けて防ぐしかなかった。
「ぐっ……!」
成人したリザードというのは、同年齢の人間などと比べて平均的に力が上回っている。
獣人は人間よりも多少は身体能力が上だが、それほどの差はない。個人の努力次第で覆る程度。
大人のリザードと子どもの獣人。その差は歴然としていた。
たった一撃を防ぐだけでリリィの姿勢が大きく崩れると、リザードの男性は怪我を恐れずに体当たりを仕掛ける。
だが、危ういところでリリィは避けると、相手の背後に回ることができた。
ザシュッ
鎧で守られていない脚部を斬りつけると、わずかながらも動きを鈍くすることに成功。
追撃を行うが、これは対応されてしまう。
「ウサギのお嬢ちゃん。なかなか素早いじゃないか」
「だから今まで生きてこれた」
「生意気な目を向けてくるじゃないか、孤児のガキ風情が」
先程までの余裕はどこへやら。
怪我をしたからか、舌打ちをすると一気に攻めてきた。
大振りながらも素早く、強靭な肉体によって力任せに振るわれる剣は、実戦で磨かれた独学の技。
それは多くの人々を犠牲としてきたことに他ならない。
「そらそら、一歩、また一歩と下がるたびに、水の中に落ちやすくなるぞ」
「く、くそっ……」
防いでも衝撃で腕が痺れる。
剣同士がぶつかり、お互いの顔が近づくと、リザードの男性は口を開く。
「仲間を見捨てる勇気があれば勝てただろうになあ。そうすれば結果的に救えたかもしれないぞ?」
剣による攻撃の他に、言葉による揺さぶりを仕掛けてくる。
揺らげば一気に危うくなるため、リリィは耐えるが、自分一人だけでは劣勢な状況を覆すのは難しい。
「サレナ! 起きろ! このままじゃ二人一緒に死んで終わってしまう!」
「無駄だよ。そこまで大量に入れたわけじゃないが、声程度じゃ起きない」
剣での打ち合いが続くと、少しずつ後退していくリリィであり、あと一歩でも下がれば水の中に落ちてしまうところまで追い込まれた。
「ほうら、それ以上足が下がると水の中だ」
「まだ、終わらない」
もはや倒れている少女は眼中にない。
目の前にいる少女を水の中に叩き落とし、仲間を守れない絶望と共に食われるのを眺める。
リザードの男性はそんな目的を優先しているのか、声は興奮に包まれ、目はギラギラとした欲望に輝いていた。
相手のそんな様子にリリィは険しい表情となるが、それはあることを隠すためでもあった。
「……うる、さいな」
声にならない声、小さすぎて聞こえないそれは、ウサギの耳にかすかに響く。
意識を失っていたサレナだが、リリィが時間を稼いだことで、少しずつ体の自由を取り戻し、今は立ち上がる。
だが、腕が震えていて剣をまともに引き抜けないことに気づくと、さっさと上の階層に繋がる階段へ向かった。
今の状態では、足手まといにしかならないことを理解しているために。
「おい! こっちを見ろ!」
「む、この短時間に目覚めるだと!?」
階段にいくらか近づいたあと、サレナは叫ぶ。
これにより、リザードの男性は思わず振り向くと驚きに満ちた表情を浮かべる。
そしてリリィは、相手に生まれた特大の隙を見逃さず、首を狙って剣を突き刺す。
ドスッ……
鋭い一撃は外れることなく喉に突き刺さり、リリィは剣を引き抜いたあと、すぐにその場を離れた。
「ぐっ……ごっ……」
致命傷を受けたせいか、もはや立っていられないようで膝をつく。
言葉もまともに話すことができないが、まさか自分が負けるとは思わなかったという驚きは、遠目からでもよくわかる。
「ペラペラと喋り続けてくれてくれてありがとう。それに、子どもであるわたしを脅すために演技にも気合い入ってたね。おかげでサレナが起き上がる時間が稼げた」
「おまえたち、ただの、がきじゃ」
「孤児をしてたから、色々食べてきたよ。傷んでるものも。だから、毒の効果が薄かったんだと思う」
「なら、なんでおまえは……」
「わたしだけ効かなかった理由? さあ、知らない。まあ、心当たりはこれぐらいかな」
リリィは首にかけているペンダントを持ち上げる。
それはオーウェンから貰った、特殊な効果のあるアクセサリー。
「これは、魔法による被害を少し抑えてくれるってやつ。魚のモンスターの毒って、魔法的な効能があったのかも。だから、装備してるわたしには効かなかった」
「た、たすけ」
「うるさい、死ねよ。面白がって殺そうとしたくせに」
レーアやセラの前では見せたことのない態度となったリリィ。
その目はどこまでも冷たく、荒んでおり、冷酷さに満ちている。
喉を手で押さえているリザードの男性を蹴ると、そのまま突き落とした。
食欲旺盛なモンスターに満ちている水の中へと。
バシャバシャバシャ!
流れた血は、既に水中へと落ちていた。
それは大量のモンスターを引き寄せ、落ちてきた哀れな存在を瞬く間に食い尽くした。
残るのは赤く染まる水だけ。
それも時間と共に拡散して薄れていき、やがてそこには何も残らなくなる。
「……はあ、なんとか終わった」
何も得るものがない戦いであり、リリィは上の階層に通じる階段へと向かう。そこではサレナが待っていた。
「やっぱり、お前はそっちの方がいい。にこやかにしているよりも」
「昔のわたしと今のわたしは違うから」
「ふっ、どれくらい違ってるんだろうな? まあいいさ。冷酷なお前を知っているのがあたしだけってのは、気分がいい」
基本的に固い表情を崩さないでいるサレナだったが、昔のリリィを詳しく知っているのは自分だけという優越感から、今は柔らかな笑みを浮かべていた。
孤児という過去を持つ者同士。
この部分も、いくらか影響しているのだろう。
そして上の階層へ向かおうとするのだが、階段には人が立っていて進めない。
「素晴らしい。幼いながらも仲間のために必死に立ち向かう姿。そして意外なほどに高い実力。垣間見える冷酷さも、物事を成すことを考えると悪くない。素質があります」
そこにいるのは、見覚えのある水色の髪と目をした女性。
寂れた漁村において、自らを救世主教団と名乗った人物が、他にも数名を従えて階段の前にいた。
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