第36話 狂人
ヴェセにあるダンジョンの最下層たる地下十階。
そこは一つの広い空間で、辺りは湖となっていた。
水面より上となっているところは、中央部のやや広い円形の広場とそこに繋がる通路だけ。
全体の一割にも満たない範囲しか、歩けるところは存在しない。
「これは……」
他に特徴的なものとして、水場の底、壁、さらに天井までもが淡い光を放ち、水中を泳ぐ魚らしき存在が照らされるのと合わさり、どこか幻想的な光景を生み出していた。
「あれって光る石?」
「魔力か何かに反応してるのかもしれない」
「おかげで明るいからいいけど……この水もしょっぱいから海水か」
「とりあえず口にするのやめろ。お腹を壊すぞ」
「ならないよ。わたしもサレナも、色々食べてきたでしょ? 孤児としての生活の間」
「……あまり思い出したくないな。ろくなものを食っていない。それよりも、あそこに人がいる」
過去の話はあまりしたくないのか、サレナは遠くを指差す。
遠くからでもはっきりとわかる、鱗のある異質な肌と、太く大きな尻尾。
水色の鱗を持つリザードの男性が、一人で水場の近くに座っていた。
冒険者なのだろうが、何をしているかは近づくとすぐに判明する。
チャポン
釣竿が振られ、水面が揺れると同時に小さな音がする。
驚くことに、目の前のリザードの男性はダンジョンの最下層で釣りをしていた。
「うん? これはまた、小さい冒険者たちだ。二人だけで最下層まで来たのか」
「ええと、はい」
「運が良いのか、実力があるのか。あるいはその両方か」
「あなたはここで何を?」
「見ればわかるだろ。釣りだよ釣り」
「ダンジョンのコアを手に入れたりとかは」
「コアね。それならあそこだ」
人間とは異なる指が示す先は水中であり、水中にある壁のくぼみに、コアは半分ほど埋まっていた。
結構な距離があるため棒でつついて取るようなことはできず、水中なので飛んで取りに行くこともできない。
どうしても泳ぐ必要があった。
「わたしたちが泳いで取りに行っても?」
「俺はコアに興味はない。ギルドの職員もいないし、好きにしたらいい。ただ、干し肉なんかがあれば、泳ぐ前に水の中に投げ入れてみるといい」
「は、はぁ……」
大金が手に入るダンジョンのコアに対し、興味がないと口にするリザードの男性。
変わり者だなとリリィは思いつつも、言われた通りに保存食から干し肉を取り出して投げ入れる。
すると恐ろしい光景が浮かび上がる。
バシャバシャバシャ!
干し肉の近くを泳いでいた魚が一気に集まると、固いはずの干し肉を瞬く間に食い千切り、数秒もしないうちに干し肉は消え去った。
「泳いでいくかい?」
「……やめときます」
対策のないまま水の中に入れば、魚のモンスターに食べられて死んでしまう。
一目見るだけで理解できたリリィは、サレナの方を見る。
「依頼の水を採取したら、戻ろう」
「そうだな。戻る頃には、船の予約も済んでるだろうし」
二人は釣り人であるリザードのの男性から離れたところに向かうと、水の中に落ちないよう注意しつつ、ビンの中に水を満たしていく。
完全に中身が満たされたあとは蓋をする。
「よし」
水中にあるダンジョンのコアを手に入れる方法は皆無なので、あとは帰るだけ。
しかし、このまま帰るというのもやや味気ない。
リリィは、釣り人の方へ向かうと声をかけた。
「いつもここで釣りを?」
「ああ。基本的には毎日だ。簡単な依頼をこなして金を稼いだら、眠くなるまでここにいる」
「海の方で釣ったりとかは」
「上は人が多くて騒がしい。ダンジョンの最下層なら滅多に人が来ず、とても静かだ。……まあ、ここで会ったのも何かの縁、この水の中にいる魚を食ってみるかい?」
「いいんですか?」
「口に合うかは知らないが」
会話の直後、水中から袋状の網を引き上げると、中には五匹も魚のモンスターが入っていた。
水の中ではよくわからなかったものの、こうして間近で見ると、そこそこの大きさをしていてとても色鮮やか。
赤、青、緑、それら複数の色が、かなりはっきりとした色合いを保って一匹の中に存在し、もはや毒々しいと言っても過言ではない。
釣り人であるリザードの男性は、自らの荷物から簡易的な調理道具を取り出すと、手慣れた様子で捌いていく。
あっという間に身だけを器に入れると、それ以外の食べない部分を水の中に投げ捨てる。
バシャバシャバシャ!
干し肉よりも食いつきは悪いが、それでも食欲旺盛な魚のモンスターたちはすぐに食べ尽くしてしまう。
「楽なもんだ。内臓とかのゴミはこうして食べて掃除してくれる」
「……そうですね」
最初は気にしないでいたリリィだったが、同族であろうとも容赦なく食べてしまう水中におけるモンスターの様子に、どこか嫌なものを感じた。
目の前に見知らぬ他人がいることから、表情には出さないよう努力していたが。
やがて、たき火が用意されると香ばしい香りが漂い、ちょっとした食事が出来上がる。
並べられるのは、焼いた魚を塩と香辛料で味付けしただけの代物だが、釣り人自身は生で魚の身を食べていた。
「どうして生のを?」
「食べ慣れてるからだ。あんたらにいきなり生のを出しても、食べる気はそこまで湧かないだろう?」
「まあ、はい」
「否定はしません」
色鮮やかというよりも毒々しさが目立つ姿を思い出すと、さすがに生で食べる気力は出ない。もう少し地味な色合いならともかく。
とりあえず焼いた身を食べてみると、見た目は魚の身であるのに、まったく違う食感のせいで二人の顔は驚きに包まれる。
「なんというか……弾力があって変な歯応えがある? 少なくとも焼いた魚の食感じゃない」
「鶏肉や豚肉とも違う。美味しいことは美味しいけれども、毎日食べたいかと言われると悩む」
「結局はモンスターだからな。普通の魚の方が高く売れるから、ヴェセの漁師からは忌み嫌われてる」
「へー、大変なんですねえ」
「ま、今からもっと大変なことが起こるんだが」
適当に相槌を打つリリィだが、相手の雰囲気が途中で変わるのを感じ取ると、さりげなく距離を取った。
それを見たリザードの男性は、軽く笑うとリリィの背後を指差す。
「お仲間が倒れそうになっているぞ」
「え?」
どういうことなのか振り向くと、サレナは苦しそうな表情を浮かべてうずくまり、立っていられないのか地面に倒れた。
呼吸しているので生きてはいるようだが、明らかな異常事態にリリィはすぐさま剣を引き抜くと、釣り人であるリザードの男性へと向ける。
「いったい何を?」
「塩と香辛料の他に、毒を少々。そこのモンスターからわずかに得られる。微量でも集めればそこそこの量になる。……君にだけ効かなかったのは驚いたが。親に教えてもらわなかったか? 見知らぬ相手が出す食べ物を気軽に口にしてはいけないと」
「物心ついた時から親はいない」
「おっと、孤児だったか。ははは、悪い悪い」
リザードの男性も剣を引き抜くと立ち上がる。
使い込まれた剣を見る限り、それなりの腕前はあるようだ。
「どうしてこんなことを」
「釣りみたいなものだ。獲物がかかるまで、じっくりと待つ必要がある。食いついても焦ってしまえば逃げられる」
「釣り……?」
何を言っているのか理解できない様子でリリィが聞き返すと、白い棒のような代物が取り出された。
「これはなんだと思う?」
「……何かの骨」
「人の骨だ」
その言葉のあと骨は水の中に投げ入れられ、すぐに魚のモンスターが群がると、噛み砕いて食べてしまう。
それを見たリリィは、剣を握っていない手で口元を押さえる。
「まさか、さっき食べた魚のモンスターは」
「ああ、それについては安心していい。なかなか人を食べさせる機会というのは来ないもので、だから釣りと同じなのさ。年に一度か二度、それぐらいしか機会はない。確か、数ヶ月前にドワーフの冒険者を叩き落とした程度だ」
「あなたは、何が目的でこんな……」
端的に言って相手は人殺し。
もはや敵対以外の可能性は存在しない。
「生きたまま人が食べられていくのを見たい。一応言っておくが、死体じゃダメだ。それなら適当に骨のついた肉塊で済む。なんといっても、絶望と共に足掻きながら命が失われていく様子は、言葉にできない満足感がある」
「……狂ってる」
ダンジョンの最下層にいたのは常軌を逸した狂人であり、今まで誰にも知られていないことがおかしいほどの行為であった。
「どうして誰もこのことを」
「時には、釣糸を切るように諦めることも必要だ。自分の手でどうにかできる者にだけ仕掛けることで秘密は漏れない」
「すぐに逃げて報告をする」
「いいのか? お仲間を置いていっても? 助けたいなら戦うしかないぞ。無論、命を奪わない程度に叩き潰して餌にするが」
「なら、あなたを殺すしかない」
「おお、ただの少女かと思いきや、冒険者をするだけの覚悟はあるようだ。何かあった時、相手を殺せる覚悟がないと冒険者として大成しない。ああ、だが、ここで終わるのだから関係ないな」
「…………」
挑発するような相手の言葉に耳を貸さず、リリィは無言のまま剣の柄を強く握る。
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