第30話 旅の始まり
「だ、ダメよ! 外にはどんな危険が待っているか……!!」
娘によるまさかの発言を受けて、エリシアは震える声で止めようとする。
さっきまでの冷酷さを感じる態度は見る影もない。
まるで別人のように思えるほど、うろたえていた。
「家にこもってばかりではいけない。かつてお母様が言ったことです。なので、この二人と一緒に行動し、世の中を見て回ろうかと」
「認めません」
「行商人として活動しながら、経験を積んでいくつもりです。いつか、お母様と一緒に商会を大きくしていくために」
明らかに、急いで作ったのが見え見えな理由だったが、娘からそんなことを言われたことが嬉しいのか、エリシアはかなり苦悩しながら考え込む。
大事な一人娘を危険な目にあわせたくない。
けれど、将来的に商会の一員として活動するなら色んなところに向かうため、危険とは常に隣り合わせ。
その胸の内では二つの感情がせめぎ合う。
一人娘を失う恐怖、娘が未来に向けて自ら羽ばたこうとすることへの喜び。
途中、唸るような声が出てくるが、オーウェンが横から声をかける。
「エリシア殿といえど、自分の娘には勝てないようで」
「本当は、ずっと手元に置いて危険から遠ざけたい。でも、それでは成長できない。危険を乗り越える力も養われない。ううう……」
迷った末に選んだものは、娘の可能性を信じるというもの。
エリシアはレーアを抱き締める。
茶色い大きな翼で包み込み、表面上は優しさに満ちているが、レーアの少し苦しげな表情を見るに、かなり力が入っている様子。
「お、お母様、もう少し緩めてください」
「ダメです。しばらく会えなくなるのだから、しっかりとその存在を感じていたい」
「うぐ……」
ミシミシ……
ハーピーという種族は、人間よりも身体能力に優れている。大人ともなれば、なおさら。
思いっきり抱きしめられたら、相当苦しいわけだ。
数分後、かなり強力な抱擁から解放されたレーアだが、ややふらついていた。
「とても心苦しいですが、娘の旅立ちを応援します」
「で、では、今後の旅路についてリリィたちと話すことがあるので別室に」
ここからは、大人を除いた子どもだけの話し合いとなる。
全員が集まっていた応接間から、次はレーアの寝室に移動すると、扉の鍵が閉められる。
途中で乱入されないようにするためだ。
「ふう……次は、これからどう動くかですが」
「レーアのお母さん、かなり寂しそうにしてたけど」
「いいんです。どうしようもなく寂しくなったら、勝手に向こうから来ますから」
なかなか親に対して冷たい部分があるが、ある種の信頼と言い換えることもできる。
レーアは近くの棚から地図を取り出すと、床に広げた。
それはアルヴァ王国の地図であり、王国全域が大雑把ながらも描かれている。
「この地図は、わたしたちがいる国の地図ってこと?」
「そうなります」
「あたしたちが暮らしているヴァースは、ここか」
サレナは、王国の左下辺りに指を置く。
そこには簡易的な町の絵と名前が記されていた。
「一番近い町は、北の方か」
「どこに行きますか? 稼げるのは都会です。面倒事も多いですが」
「あたしはどこでもいい。そっちに任せる」
まずはどこを目指すべきか。
リリィは地図を見ながら考えるが、ポケットに手が触れた時、その中にあるものを思い出す。
それはワイズから手に入れた小さな鍵。
『王都アールムに行く機会があれば、一番大きい銀行に行くといい。そこでこの鍵を見せれば、一つの金庫に案内される』
わざわざ消える直前に渡してきた。
いったいどのような代物が保管されているのか気になって仕方ない。
自然と好奇心が沸き上がり、向かう場所は決まる。
「王都アールムに行ってみたい」
「王都ですか……」
「確か、何日か前に王都から役人と兵士が来てたな。一ヶ月後に新王の即位式があるとか」
サレナがそう言うと、リリィは畳み掛けるように続ける。
「参加者は豪華なご馳走を楽しめるし、旅費の補助とかもある。これはもう行くしかないでしょ」
「滅多にない機会ですから、わたくしとしても目的地に不満はありません。ただ、陸路と海路のどちらにすべきか。という部分が」
レーアは地図の一点を示す。
そこはヴァースの町。
そして次は、一番大きな絵と文字で王都アールムと記されている部分を示す。
位置的には、かなり右上に移動する形。
二つの距離はだいぶ離れており、まっすぐ陸路を進むのか、地図の左側に大きく描かれている海を経由するのか、二つの選択肢があった。
「お金はどっちがかかる?」
「陸路では三週間。海路では二週間。ただ、船に乗る場合はそこそこお金がかかるので、最終的な費用は同じぐらい」
「なら、海路にしよう」
お金はどちらも変わらない。
しかし、一週間も時間が短縮できるということで、リリィは海路で向かうことを決めた。
あとは純粋に、海というものが気になっているのも理由だったりする。
「話には聞いたことあるけど、海ってどんなところだろう」
「行けばわかるでしょう。お母様が言うには、港町は荒くれ者が多いとか」
「財布には気をつけないとな。ヴァースでは自警団を頼れるが、見知らぬ土地ではそれも難しい」
行き先や経由するところが決まったあとは、旅に備えた買い物をする必要があるが、これについてはラウリート商会にお金を渡せばすべて整えてくれる。
いつ出発するかについては、今すぐ町を出ることもできたが、三人で相談した結果、そこまで急ぐ必要もないので明日ということになった。
「さてと」
リリィは二人と別れたあと、今まで寝泊まりしていた安宿へ荷物を取りに戻る。
そして重要なことに気づいた。
「……この大量に残ってる券、どうしよう」
オウルベアを丸ごとギルドに売った際に得られた、一年分の食事券。
まだ数日分しか減っておらず、大量に存在している。
ヴァースの町を出れば利用できなくなるため、どうしたものかと考えるが、これは自警団へ寄付することで解決した。
リリィは食事券を持って、自警団の団長室に向かう。
そこでは大量の書類を相手に苦労しているオーウェンがいた。
「これどうぞ。わたしは町を出るので」
「お、おう。助かるには助かるが」
「ところで、何か装備品と引き換えてくれませんか」
「そうきたか。ちょっと待ってろ。何か残ってるはず」
約一年分ともなれば、金額的にはかなりのもの。
タダで渡すよりは、何か装備品に引き換えたい。
幸い、余っている装備品があるようで、オーウェンは団長室の棚をごそごそと漁り始めた。
数分後、取り出されたのは小さなペンダント。意外と大きな宝石がついている。
「これは?」
「魔法による被害を少し抑えるアクセサリー。深い階層に潜ってると、たまーに宝箱から得られる」
「少しだけですか」
「一つ面白いことを教えてやる。……こういうアクセサリーはな、複数装備したら効果が積み重なるんだよ」
「つまり、十個くらい同じペンダントをするというのも……」
「ありだ」
「追加のペンダントください」
「欲張りな奴め。持ってないから、ダンジョンで手に入れてこい」
大量の食事券と引き換えに得られたのは、アクセサリーとお得な情報。
「それじゃ、また会う日まで。オーウェン団長」
「ああ、死ぬなよ。お前の才能は、失うには惜しい。いつか何かでかいことをやれる。そう思えるほどだからな」
大量の書類仕事のせいで外には出られないということで、この場で別れの挨拶を済ませたあと、リリィは町を軽く巡る。
次の日、レーアの屋敷の前に全員が揃う。
馬車が用意され、旅に必要な荷物などは既に積み込まれている。
見送りはそこまで多くない。
まず娘のことが心配なエリシア。従者や門番たち。一部の自警団員。
それだけだった。
「何かあったら、お母さんに言ってね。もし傷つけるような不届き者がいれば、あらゆる手段で殺してあげるから」
「お、お母様。それは色々なところに問題が起きるので……」
親子の別れは、なんともいえないやりとりが続いていた。
「あーあ、隊長行ってしまうのか」
「町に戻る時はお土産とか持ってきてくださいよ」
「わかってる。そっちこそ、あたしがいなくてもちゃんとするように」
自警団の者たちは、ありふれた会話をしていく。
「わたしは、いないか」
自分だけ、誰も見送りに来る者はいない。
そのことにやや寂しさを覚えるリリィだが、遠くに見覚えのある姿を見つける。
それは紫がかった色をしたヘビの尻尾と、大きな三角帽子。
最初は歩くような速さで進んでいたが、やがて屋敷の前に人が集まっていることに気づくと、少し急いで接近してくる。
「なになに、この集まり。リリィ以外に色々と人がいるけど」
「町を出て王都に向かおうかなって。途中で港町に寄って海路で」
「へーえ……私も同行していい? 他のところに向かおうと思ってたけど、一人旅は戦力的にしんどいし」
「いいよ。二人はどう?」
「魔術師はいた方が戦い方の幅が広がるのでいいと思います」
「同意見だ。それに大人がいた方がいい場面もある」
子どもだけの旅は不安が残る。
そこに大人が加わるのは、色々と心強い。戦力として以外に、各種手続きの面でも。
「リリィ・スウィフトフット。あの人物は信用できるのですか?」
「一緒にダンジョンで行動することは何度もありました。信用できると思います」
「……そうですか」
相手が見知らぬラミアということで少し怪しんでいたエリシアだが、最終的には許可を出した。
これにより四人旅となるが、それでも不安というのはある。
「いってきます」
町の門を通り抜ける際、リリィは振り返って呟いた。
そして馬車に揺られながら、町の門が遠ざかっていくのを静かに見つめる。
生まれ育った場所、馴染みのある風景、人々の声、それらすべてが少しずつ遠くなっていく。
胸の奥にわずかな寂しさを感じながらも、それを表に出すことはない。
新たな始まりへの期待と不安に、リリィは静かに拳を握ると、後ろではなく前を向いた。
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