第5話 足が速いということ

 その顔に満ちているのは怒りだった。

 最初こそ困惑していたものの、時間と共に塗り替えられていったのだ。

 借金を返すために稼いだお金を盗まれる。これは比較的温厚なリリィであっても激怒する出来事。

 ダンジョンの中にいる時以上の集中力をもって、辺りを探していく。


 「くそー、どこ!? どこ行った?」

 「まさかスリとは。こういう場合は、解決のためにギルドへ依頼を出すか、町の自警団に相談することが必要です。今回はわたくしのせいでもあるので、返済期限の延長と、必要な経費を代わりに出します」

 「そんなのいらない。見つけた」


 人が大勢いるとはいえ、それゆえに周囲とは異なる動きをしている者は見つけやすい。

 早足で市場から去っていく者の中に、自分の財布を持っている者を見つけたリリィは、人を掻き分けながら追いかける。

 幸い、一日の中で最も混んでいる昼間ではないため、すぐに市場を出るも、財布を盗んだ相手はかなり遠くにいた。

 地の利と足の速さがそれを可能としているのだろう。


 「逃がすか」


 だがしかし、ヴァースの町で生まれ育ったリリィにも地の利はある。

 そして最も重要なことに、足の速さにおいて匹敵する者はいない。

 直線では距離をどんどん縮めていき、相手が曲がり角を利用して姿を隠そうとも、ウサギの耳は細かな音を聞き分ける。

 逃げようとする足音、走ったせいで荒くなる呼吸、それらが聞こえてくる方へ向かうと、逃げる相手を発見した。


 「足の速いガキめ。あれをやるしかないか」

 「わたしの財布を返せ!」

 「言われて返す奴がいるかよ!」


 スリの犯人はただ者ではないのか、突然走る速度が増した。

 特別な薬か、魔法か、いずれにせよ足を速くするなんらかの手段を用いたようだ。


 「お、追いつけない……!」

 「へっ、悪いな。お前さんの財布は俺の」


 最後まで言葉は出なかった。

 一時的とはいえ、犯人は後ろにいるリリィを見ていたせいか、前方への注意が疎かになっていた。

 そのため、人の行き交う通りに出たはいいが進行方向にいる人物に気づかず、すれ違い様に取り押さえられてしまったのである。


 ドン!


 「がはっ……なん、だと……!?」

 「おいおい、指名手配されてた窃盗犯が目の前に現れるたあ、いやあ、なんとも運が良いことだ」


 足を引っかけて宙に浮かせ、首を掴んでそのまま床に叩きつける。

 一歩間違えれば死んでしまいそうな一撃だが、頭が石畳にぶつからないよう、もう片方の手で支えており、上手く加減しているのか苦しげなうめき声が聞こえてくる。

 少し遅れて追いついたリリィは、捕まっているスリの犯人を見下ろすと、その手に握られている財布を取り戻した。


 「ふう……疲れた」


 全力で走って追いかけたため、汗をかいていて呼吸は荒い。

 来た道を戻ろうとしたその時、財布を盗んだ人物を取り押さえている男性から声をかけられる。


 「待ちな。取られたものを取り返して、はいさよならってのは、さすがに冷たいんじゃないか? リリィ」

 「……いやもう、わたしは自警団とは関係ないんで。オーウェン団長。捕まえてくれたのは感謝します」


 リリィは名前を呼ばれた瞬間、露骨なまでに気まずそうにする。

 相手はヴァースの町の治安を守る自警団の団長。

 名前はオーウェン。

 人間の男性である彼は、顔に目立つ傷痕が存在し、頭に巻いているバンダナも含めると、自警団の団長というよりは、熟練の冒険者と言った方が似合う人物。


 「つれないな。お試し程度の期間しかいなかったとはいえ、自警団の一員だったのに」

 「誘われても入りません。そもそも合わなかったわけで」


 一時期、リリィは自警団の世話になったことがあった。レーアと出会うよりも前の話である。

 当時は幼く、成長した今よりもダンジョンで稼ぐのは難しい部分があった。身体能力、経験、どちらも不足していたために。

 食い繋ぐために入ったようなものだが、組織に所属することはどうも肌に合わず、三ヶ月ほどで辞めてしまう。

 短い間とはいえ、自警団で得られた経験は冒険者としての活動に役立っているため、悪い思い出は特にない。

 ただ、すぐに辞めてしまった気まずさというのはあるわけだ。


 「そうかい。誰よりも足の速いお前さんが入ってくれたら色々と心強いんだが、無理強いはしないでおこう。ま、昔の知り合いに顔を見せるくらいはやってくれよ?」


 スリの犯人は手足を縛られると、自警団の団長であるオーウェンに引っ張られながら移動していく。

 リリィはそんな光景をしばらく見ていたが、屋根の上を移動してきたレーアに見つかり、呼び止められた。


 「やれやれ。ようやく追いつきました」

 「どうやって? 結構速く走ったけど」

 「自ら飛んで、あとは最短経路を走りましたが」


 レーアは、自らの翼となっている腕を広げると、バサバサと動かしてみせた。

 自らの肉体で飛ぶというのは、半人半鳥なハーピーだからこそ可能な手段。

 とはいえ、あまり高くを飛んでいると悪目立ちするため、屋根に上がったあとは普通に走ったとのこと。


 「屋根を走るのは、家の方に文句入りそう」

 「外のうるささにより相殺されるはずです。というか、今さっき話してた相手って、町の自警団の団長ですよね? どのような関係が?」

 「ちょっと昔、自警団に入ってた時期があって。すぐ辞めたけど」

 「ふむふむ。自警団の団長であるオーウェン。彼はお母様も一目置いているほどの実力者。そのような人物に、あなたは目をかけられている。なるほどなるほど」


 何か納得したかのように、レーアは何度も頷く。


 「なになに」

 「いえ、お母様と一緒にいる時、たまにあなたの話題が出されるんです。内心、妙に気にしてるなと思っていましたが、自警団の団長が諦めきれない逸材ということなら、理解できました」

 「そう……」

 「なんですか、その反応は。自警団で何かやらかしましたか?」

 「すぐ辞めたからちょっと気まずさが」


 この言葉に対する返答は、盛大なため息だった。これに呆れ混じりの視線も加わる。


 「はぁ、ただ早く辞めた程度で気まずいとか。あのですね、わたくしのお母様が率いているラウリート商会ですが、入ったその日に金庫のお金を盗んで去っていくような者がいたりするんですよ。お母様の指揮する私兵に捕まりましたが。そういう者と比べれば、悩むのは無駄だと思えませんか」

 「そういうことする人は、気まずさとか感じないんじゃないの。あと、盗んだ人ってどうなるわけ?」

 「それはもう、見せしめとしてひどいことに。言葉にはできません。うぅ……」


 一度、見せられたことがあるのか、レーアはわずかに体を震わせながら話す。

 彼女にとっての母は、大事な家族であり、商会を一つに束ねる恐ろしい権力者でもある。

 その恐ろしさは、数回会っただけのリリィでも同意できるほど。


 「レーアのお母さんって怖いよね。会ったのは数えるほどだけど」

 「くれぐれも目の前で言ったりはしないように。巻き添えを受けたくはありません」


 話が一段落すると、次どうするかに話題は移る。

 市場での買い食いも、そこでスリが発生したのでは楽しめない。可能性は低いとはいえ、もう一度盗まれるかもしれないからだ。

 そこで今日はもう解散することになった。

 明日、借金の回収をする際、嫌でも会うことになるからということで。


 「……もう少し色々食べたかったな」


 育ち盛りな子どもとしては、市場で買って食べた量はそこまで多くはないので、どうしても物足りなさを感じてしまう。

 ただ、今日はまだ昼食と夕食が残っている。

 その時に足りない分を食べればいいやということで、リリィは冒険者ギルドへと急いだ。

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