4・週が明けて……
週明けの制作部署は、たいていいつも忙しい。
進行管理を任されている菜穂は、朝から制作会社やクライアントに電話を入れ、原稿の進捗確認に追われていた。
『あのさぁ、最終締め切りが今週末なのはわかってるよ? けどさぁ、そっちも、この原稿を依頼してきたの、金曜日の夕方だったよね?』
挨拶もそこそこに厳しい口調をぶつけてきたのは、この日3件目の電話相手──とある制作会社のライターだ。
『それで、こんな午前中から原稿の催促されてもさぁ。……もしかして「週末つぶして仕事しておけよ」ってこと?』
「いえ、そんなつもりは……」
『だったら、とりあえず夕方までは待ってよ。そのころにはあがってるはずだからさぁ』
「わかりました。よろしくお願いします」
最後まで言い終わらないうちに、通話は切られた。
ついため息をこぼすと、隣で同じような作業をしていた千鶴が「もしかしてC社の小高さん?」と声をかけてくる。
「うん……『朝から催促の電話をよこすな』って怒られちゃった」
「なにそれ、小高さん、いつも締め切りぶっちぎってるじゃん。こっちだって、今週中にFIXさせないといけないから進捗確認してるってのに」
「でも、うちからの依頼が遅れたのも事実だから」
先週はじめに依頼するはずだった原稿が、ずれにずれこんだのは営業担当者とクライアントが揉めたせいだ。
予定していた出稿を取りやめると騒ぐクライアントに、営業部署のマネージャーまでが同行して頭を下げ、なんとか怒りをおさめてもらったのが金曜日の昼過ぎ。そこから資料を揃えたりなんだりで、制作会社への依頼が遅くなってしまったのだ。
「今月は全体的にバタバタだよね。隣のチームでも、いつもの大手クライアントが暴れてるみたいだし」
「大手企業の担当チームは大変だよね」
大手企業が出稿を取りやめるとなると、めまいがするような損失が発生する。
もちろん、紙面への影響も大きい。場合によっては、急きょ数ページを穴埋めしなければいけなくなる。
一方、菜穂や千鶴の所属チームが抱えているのは、金額が比較的安価な取引先ばかりだ。万が一、クライアントが出稿を取りやめるような事態が発生しても、大手企業の場合とは損失の桁がひとつ少ない。紙面の穴埋めも、かろうじてなんとかできなくはないだろう。
ただ、その分、担当するクライアント数はかなり多く、進捗状況を洩らさず把握するのはなかなか骨が折れる作業だ。特に今回のようにイレギュラーな事態が発生した場合、どの制作会社にどの仕事を頼むのか、その割り振りだけでも苦労する。
「千鶴のほうはどう?」
「うちは、今のところ順調かな」
「でも、金曜日に厄介な依頼がきたって言ってなかった?」
「ああ、あれね。クライアントの発言が意味不明なやつ」
でもね、と千鶴はファイルを開いた。
「見てよ、これ! A社の永野さんにお願いしたんだけど」
「すごい……ちゃんとわかりやすくまとまってる!」
「ね、永野さんってすごいよね。ほんと、彼女になら安心して原稿を依頼できるよ」
A社の永野には、菜穂も1本原稿をお願いすることになっている。こちらも営業都合で依頼がギリギリになりそうだが、彼女からは「大丈夫ですよ、ちゃんとスケジュールをあけていますので」と快い返答をもらっていた。
「ていうか、営業も営業だよね。むちゃくちゃな日程で依頼しすぎだっての!」
「自社制作なら、まだいいんだけどね」
「ね、外部にお願いする原稿くらい早めに依頼してほしいよ。制作会社から嫌みを言われるの、間に立つ私らなのに」
不満そうに椅子の背もたれを軋ませた千鶴だったが、ふいにギョッとしたようにその身体をまっすぐただした。
「どうしたの、千鶴」
「あ……え、ええと……」
気まずげに千鶴が視線を泳がせるのと、誰かが菜穂の両肩に軽く手を置くのが重なった。
「それは、申し訳なかったな」
突然のてのひらの感触と、週末さんざん耳にしたその声に、菜穂の心臓が大きく跳ねる。
それと同時に、千鶴が慌てている理由が理解できた。いくら担当違いとはいえ、営業部署の愚痴を緒形に聞かれたのはさすがに気まずいだろう。
「あ、その……緒形さんは関係ないんで」
「いやぁ、でも、俺も制作さんにはけっこう無茶な依頼をしてるから。──ギリギリまで先方と交渉しているせいなんだけどね」
「それは、よく、わかってますんで」
不自然に言葉を区切りながら、千鶴は取り繕ったような笑顔を見せる。
一方、菜穂はドクドクと鳴る心臓をなんとか落ち着かせようと必死だった。
(どうして、こんな真後ろに……)
今、緒形と会話をしているのは千鶴だ。菜穂ではない。
それなのに、緒形の両手はどういうわけか菜穂の肩の上に置かれている。特に深い意味はないのかもしれないが、菜穂としてはどうにも意識せずにはいられない。
「ところで、マネージャーの小山さんは?」
「あ、ええと……会議みたいですね。そろそろ戻ってくると思いますけど」
「そっか。じゃあ、またあとで来ようかな」
それじゃ、おつかれ──と朗らかな挨拶を残して、緒形は自分の部署に戻っていった。去り際に、菜穂の肩を軽く押すというおまけ付きで。
大げさに背中を跳ねさせた菜穂は、たまらず顔をうつむけた。
頬が熱い。今にも頭が沸騰してしまいそうだ。
たかだか肩を押されただけなのに──一昨日の夜などもっと深い部分に触れられたというのに、どういうわけか今のやりとりのほうが、菜穂にはどうにも気恥ずかしい。
「……菜穂?」
当然、そんな彼女を見逃す千鶴ではなかった。
「なになに、どういうこと? もしかして緒形さんと進展した?」
「べつに……そんなことは」
むしろ別れたから──そう続けようとした言葉は、千鶴の「嘘」という声に掻き消された。
「絶対なにかあったでしょ! ってことは、やっぱり──」
意味ありげな視線から逃げるように、菜穂は同僚から顔を背ける。
けれど、それであきらめる千鶴ではない。彼女は椅子ごとぴたりと身体を寄せると、好奇心に満ちた眼差しをぶつけてきた。
「ね、あとで詳しく聞かせてよ」
「そんなこと──」
「お昼と仕事終わり、どっちがいい?」
どうやら退く気はないらしい。
仕方なく、菜穂は「仕事終わりで」と答えた。ひそかに「今日は残業になりますように」と願いながら。
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