2・菜穂の答え
緒形は、すぐには返答できなかった。
本音を言うなら、まさに「そのとおり」。10年前、自分が投げつけたひどい言葉のせいで、彼女はなんらかのトラウマを抱えたのではないか──そんな懸念が常にあったのは事実だ。
けれど、それを正直に口にするのはためらわれた。なぜなら、今の菜穂の口振りだと、このあと続くのはおそらく否定の言葉だ。「あなたのせいじゃない」──そう言われたが最後、緒形の懸念はただのうぬぼれになってしまう。
それだけは避けたい。あまりにも格好悪すぎる。
だからといって最適解も見つけられず、結局緒形が口にしたのは「まあ……ちょっとは……」という、実に中途半端な返答だった。
『そっか』
菜穂は、小さく呟いた。その声には、どういうわけかかすかな憤りがにじんでいた。
『つまり、同情と責任?』
『……えっ』
『自分のせいでこうなった元カノに、とりあえず責任だけは果たしておきたいって感じ?』
『それはない』
今度はすぐに返した。実際、そんなことはまったく考えていなかった。
すると、菜穂は彼女らしからぬ皮肉げな笑みを浮かべた。
『じゃあ、リベンジ? 今度こそ「ちゃんとできる」って証明したい?』
緒形は、目をみひらいた。まさか、彼女からこんな毒のある言葉をぶつけられるとは思ってもみなかった。
さすがに、自分でも言いすぎたと思ったのだろう。菜穂は、小さく息をつくと「ごめん」と眉尻を下げた。
『今の、すごく嫌な言い方だったね。ごめんなさい』
『いや……まあ……』
たしかに彼女らしからぬ言葉ではあったけれど、緒形としてはあまり責める気にはなれない。
本音を言えば、そうした気持ちがまったくないとは言いきれなかった。つまらないプライドなのだろうが、自分は彼女を問題なく抱けるのだ、と示してみたい気持ちは少なからずある。
(ただ、それだけじゃなくて……それがすべてってわけじゃなくて……)
そう続けたい気持ちを、緒形はひとまず飲み込んだ。今は、彼女の答えを待ちたかった。だって、自分はすでにボールを投げたのだ。次は、菜穂がそれを投げ返す番じゃないか。
しばらく続いた沈黙のあと、菜穂はようやく口を開いた。
『私のことは、気にしなくていいよ。たぶん、そのうちなんとかなると思う。ちゃんと、誰かと……なんとかなると思うから』
誰かと──つまりは「自分以外の『誰か』」と。
そう認識したとたん、緒形の胸に意地の悪い気持ちが芽生えた。
『誰かって?』
『えっ』
『すでに気になる相手がいるってこと? 社内? 社外?』
『それは……今はまだいないけど……』
『じゃあ、これから探すってこと? マッチングアプリにでも手を出すとか?』
それはないだろう、と思いつつ口にしたのに、菜穂は「マッチングアプリかぁ」と意外にも好意的な反応を見せた。
『……え、三辺、興味あるの?』
『興味というか……そういうのもひとつの手段なのかなって。使ってる人も多いって聞くし』
いや、けど……と緒形が口ごもっていると、菜穂は「大丈夫だよ」と口元をほころばせた。
『とりあえず、ここから先は自分でどうにかするから。心配してくれてありがとう』
『……』
『それより、緒形くんって、私以外とはその……』
濁した言葉の先は、なんとなく想像できた。
『そのあたりは平気』
もちろん三辺とだって──そう続けようとしたけれど、先に彼女が「そうだよね」とさえぎった。
『だったらお互い問題ないよね……私も、緒形くんも』
『……』
『だから、無理に交際を続けることはないと思う』
それが、菜穂の出した結論だ。
そんなわけで、緒形は今、ひとり屋外喫煙所で煙草をふかしている。
(やっぱり、去る者は追ったらダメだよなぁ)
そもそも、なぜあんなことをしてしまったのか。はっきり「交際は続けられない」と言った彼女に、なぜあんな追いすがるようなまねをしてしまったのか。
つくづく自分らしくない。
緒形は、煙草の煙を吐きだした。白い煙は、ため息とともに晴れた空の下に消えていった。
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