11・過去のひと
そのあとは、かなり遅い時間までふたりでおしゃべりに興じた。
高校時代の思い出話はもちろん、現在の仕事のこと、職場の人間関係、さらには緒形の様々な失敗談まで、一度話しはじめると意外にも話題は尽きなかった。
「そういえば、今日の映画、どうしてあのチョイスだったの?」
「ああ……『泣けるラブストーリー』と『ヒューマンドラマ系』と『ホラー』?」
本音を言えば、緒形が「ラブストーリー」を選んだ理由はわからなくはない。世間一般的に、デートで観る映画といえばやはりそのあたりが定番なのだろう。
菜穂の指摘に、緒形は「まあな」とうなずいた。
「そのへんを選んでおくと無難だしさ。……俺は、あまり好きじゃないけど」
「ラブストーリーが?」
「お涙ちょうだい系が」
「あ……それ、高校時代も言ってたよね。『感動系の映画は苦手』って」
ふと思い出して口にすると、緒形は「そうそう」と肩をすくめてみせた。
「だって、あのテの映画って、ほんと露骨だろ? 『ハーイ、ここ感動ポイントですよ〜』『ハーイ、ここで泣いてくれていいんですよ〜』って感じでさ」
「でも緒形くん、動物が出てくる感動系の映画は好きだったよね?」
「そこは別枠だろ! 犬絡みの話は泣いていいって決まってんの!」
「──犬限定なんだ?」
「いや、まあ……ネコとか、他の動物でも泣くときは泣くけどさぁ」
ふてくされたように唇をとがらせる様は、まるで小学生くらいの子どものようだ。
(そっか……こういう顔もするんだ)
高校時代の緒形は、どちらかというと大人びた印象があった。教室で皆とはしゃぐよりも斜に構えてそれを眺めているようなタイプで、菜穂自身、何度も「緒形くんって大人っぽいな」と思ったものだった。
けれど、あれは彼なりの精一杯の背伸びだったのかもしれない。
(そっか、背伸び……)
気がつくと、ふふ、と笑みをこぼしていた。
その声を、隣に座る緒形に聞きとがめられた。
「なんだよ、いきなり笑ったりして」
「ごめんなさい、その……緒形くんはえらいなぁと思って」
「エラい? 俺が?」
「だって、苦手なタイプの映画でも、彼女が好きそうなら一緒に観てくれるんでしょ?」
「それは、まあ……デートなんて、相手を喜ばせてなんぼだし」
「その考え方、営業マンっぽいね」
「あーそうかも、デートって営業活動っぽいとこがあるよなぁ」
人によっては、引っかかりを覚える発言だ。少なくとも10年前の自分なら「どういうこと?」と胸をざわつかせたに違いない。
けれど今、ビジネスホテルのベッドの上でおしゃべりに興じている菜穂は、あっさり「そうだね」と同意した。
それが、おそらく今の自分たちだ。菜穂のなかで、緒形雪野は、ようやく本当の意味で「過去のひと」になったのだ。
やがて、ヘッドボードに埋め込まれた時計が「3:00」を示したころ、菜穂のもとにゆるやかな睡魔が訪れた。
あいづちが緩慢になったせいだろう、緒形が「もしかして眠い?」と顔をのぞきこんでくる。
「ん……ちょっと」
「だったら寝ろよ。始発の時間になったら起こすから」
始発か……と、菜穂はぼんやり考えた。それだと2時間──下手すれば、1時間すら眠れない。できれば、もう少しぐっすりと眠りたい。最低限の疲れがとれるくらいには。
「チェックアウトって何時だっけ?」
「たしか10時だけど」
「じゃあ、8時に起きるね。目覚ましは……」
「いや──それくらい俺がセットしておくけど」
スマートフォンに手をのばした緒形の横顔は、どことなく複雑そうだ。
「え? まだ喋り足りない?」
「いや、そうじゃなくて……三辺、危機感ないなと思って」
「危機感?」
「だって、8時までって……4時間もここで寝てるってことだろ?」
「そうだね……それくらいだね」
まわらない頭でとろとろとそう答えると、緒形は「いや、だからさ」と強く唇を引き結んだ。それで、ようやく菜穂は彼が何を言いたいのかをうっすらと理解した。
「もしかして『無防備すぎる』ってこと?」
「うん、まあ……」
「でも、何もしないでしょ」
するりとそう口にした菜穂に、緒形は「うわ、牽制された」とおどけたように笑った。
「違うよ、牽制とかじゃなくて……緒形くんは、そういうことしないよねって……」
「……」
「私……知って……」
──ダメだ、もう限界だ。「ちゃんと知ってるから」──そう続けたつもりだったが、最後まできちんと言葉にできただろうか。
それらを確かめることすら億劫で、菜穂は睡魔に身を任せた。こめかみのあたりに「うわ、マジかよ」とため息が落ちてきたが、ひとまず気のせいということにしておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます