9・10年前の答え合わせ

 突然の緒形からの土下座に、菜穂はぽかんと口を開けた。


「えっ、あの……緒形くん?」


 呼びかけてみたものの、緒形は頭をあげようとしない。布団に額をこすりつけたまま、再度「ごめん」と繰り返す。


「10年前、俺、三辺にひどいことを言った。──覚えてるよな?」


 どくん、と心臓が嫌な感じに跳ねる。もちろん覚えている──忘れたくても忘れられなかった。けれど──

 なんて答えるべきかしばし迷って、菜穂はようやく「うん」とうなずいた。土下座したままの緒形の肩が、どういうわけかわずかに震えた。


「あのときのアレ、三辺が悪いんじゃない。俺がめちゃくちゃ緊張しすぎて、それで、うまくできなかった──ぜんぶ俺のせいなんだ」

「……え」

「なのに、そんなカッコ悪いこと認めたくなくて、ぜんぶ三辺のせいにした。三辺がダメってことにした。本当にダメだったのは俺なのに。ごめん、本当にごめん。ごめんなさい」

 

 緒形は未だ頭をあげることなく、ただただお詫びの言葉を繰り返す。

 菜穂は、困惑した。突然差し出された10年前の真実を、どう受け取ればいいのかわからなかった。


「あの……ええと……」


 ひとまず口から出たのは、真っ先に脳裏に浮かんだ疑問だ。


「結局、それも『私だとダメ』ってことにならない? 私が相手だから、その……反応しなかったってことで……」

「そんなことない。その──」


 緒形は、何やらボソボソと訴える。けれど、顔を伏せたままなので、何を言いたいのか、ニュアンスすらも伝わってこない。

 やむを得ず、菜穂は緒形の肩に手を置いた。


「とりあえず、顔あげてもらってもいい? 声、聞こえないし、いつまでも土下座されてるのもちょっと……」

「あ……う、うん、そうだよな」


 緒形は、ようやく顔をあげた。

 なにかと女性社員たちの目を引きやすいその顔貌も、今この場では魅力3割減といったところか。冴えない顔つきな上、菜穂とまったく目を合わせようとしてくれない。


「それで? どうして『そんなことない』なの?」


 先ほどの質問に話題を戻すと、緒形は「あー」だの「うー」だの、呻くような声をあげた。


「だからさ、その……なんていうか……つまり」

「うん」

「──けてたから」


 また、声が小さくなった。菜穂は、申し訳なく思いつつも「ごめん、聞こえない」と正直に返した。


「……っ、だから!」


 緒形の声のボリュームが、一気に3段ほど跳ねあがった。


「俺、ぜんぜん抜けてたから! 三辺で! 余裕だったから! だから、あれは三辺の問題じゃなくて俺の問題! あのとき、緊張しすぎた俺のせい! わかった?」


 最後はやけくそのように同意を求められて、菜穂は半ば反射的に「あ……うん」とうなずいた。

 それから、今告げられた内容について考えてみた。「ぜんぜん抜けたから」──それは、つまり……

 理解したとたん、じわりと頬が熱くなった。

 そうか、彼は「抜けた」のか、私で──といっても、あくまで高校時代の、いろいろ血気盛んな年頃の話だろうけれど。

 どんな顔をすればいいのかわからぬまま、菜穂はちらりと緒形に目を向けた。

 緒形は、これまで見たこともないような表情をしていた。情けないような、それでもなんとか意地を張りとおそうとするかのような──

 その様子が、10年前の彼と重なった。菜穂が、本当に好きだった「あのころの緒形」と。

 ようやく、肩の力が抜けた。

 菜穂は、ゆっくりと息をついた。


「緒形くん、それ取ってもらえる?」

「え?」

「バスローブ」

「ああ……うん」


 渡されたパイル生地のそれを素早く羽織り、紐をしっかり結んだところで、改めて緒形に向き直る。


「これからどうしよっか」

「……え?」

「始発までまだ時間があるよね。映画でも観る?」


 有料コンテンツの案内表に手をのばすと、緒形は「あー」と気まずげに頭を掻いた。


「その──続きは、ない感じ?」

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