第4話

1・最適解

 蚊の鳴くような声で「してくれるんだよね」と確認してきた恋人を、緒形はまじまじと見つめてしまった。

 なにを、と問うほど野暮なつもりはない。お互い20代半ばの、いい大人だ。

 そもそも、自分たちが交際するための条件が「それ」なのだ。


 ──「緒形くん、私のこと抱ける?」


 あのときの思い詰めたような菜穂の眼差しが、今一度、緒形の脳裏によみがえる。

 さて、どうするか。どうするべきなのか。


(まずは「提案」だよな)


 プライベート中にもかかわらず、緒形は「顧客の最適解」を導きだすかのように、頭のなかをフル回転させる。


「いや──ひとまず、今日はやめておかない?」

「どうして?」

「付き合って初めてのデートだろ。そういうのって、ふつうはもう少しデートを重ねてからするものであって──」

「ふつうなんて求めてない」


 ばっさり、切り捨てられた。


「世間一般的にはそうかもしれないけど、私には必要ない。そういうの、もうどうでもいいの」

「いや、けど……」

「そもそも、今の私がふつうじゃないんだから」


 この年で処女なんて──そんな言葉が、今にも聞こえてきそうだ。

 緒形は、ため息をのみこんだ。そういえば、三辺菜穂という女は、こう見えて意外と頑固なのだった。


(こうと決めたことは、なかなか譲らないんだよなぁ)


 では、どうするべきか。「据え膳食わぬは〜」との有名な言葉もあるが、この流れで事に及ぶのはやはりどうにも気が乗らない。あるいは「決まりが悪い」のかもしれない。

 つまり、今日はやめておきたい。

 後日、それなりに計画をたてて、それから──そういう方向に持っていくには、どう説得すればいいか。

 またもや、営業マンとしての自分が最適解を求めようとする。

 けれど、それらは彼女の放った一言で呆気なく霧散した。


「やっぱり、私じゃダメなんだ」


 心臓が、嫌な感じに跳ねた。緒形は、半ば反射的に「いや」と菜穂の言葉を否定した。


「そうは言ってないだろ」

「だったらいいよね、今日でも。もともとそういう約束だったんだし」


 挑むような眼差しが、緒形の胸に突き刺さる。


「けど、ホ……泊まるところとか、予約してないし」

「ビジネスホテルでいいよ」

「いや、でも……」

「それともうちに泊まる? それならお金がかからないよ?」

「そういう問題じゃなくて!」


 つい声を荒げてしまったのは、それがまごうことなき本音だったからだ。

 決して、ホテル代を渋っているわけではない。さらに付け加えるならば、緒形自身は場所なんてどこでもいい。一泊数万円のラグジュアリーなホテルだろうが、そのへんのビジネスホテルだろうが、繁華街の一画にあるラブホテルだろうが、お互いの家だろうが──それこそ人目につかない場所ならばどこでも。

 けれど、それは相手が当たり前のように一線を越えられるタイプだったときの話だ。

 菜穂は違う。彼女にとって、そのハードルはかなり高いはずだ。

 しかも、望んでそれを越えようとはしているわけではない。おそらく彼女なりの理想があったはずなのに、それは叶わないと決めつけて「だったら壊してやろう」と躍起になっているだけなのだ。


(ああ、くそ)


 緒形は、ややくせのある髪を掻きあげた。

 それでも菜穂は、険しい顔つきを変えようとはしない。

 これは、もう何を言っても無駄だ。もし、ここで緒形が断ったとしても、彼女は他の男を頼るだけだろう。


「わかったよ。本当にビジホでいいんだよな?」


 菜穂の眼差しが、ようやく緩んだ。

 小さな「いいよ」が返ってきたタイミングで、件の「枝豆のガーリック炒め」が運ばれてきた。


「食う?」


 菜穂が首を横に振ったので、緒形は皿ごと自分の前に持ってきた。枝豆は、塩気とにんにくがかなり効いていて、たしかに「そういうこと」の前に食べるものではなさそうだ。

 それでも、緒形は黙々と貪った。半ばやけくそだった。

 もう俺の知ったことじゃない、後は野となれ山となれ──

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