5・映画も終わり……
結論からいうと、緒形の思惑とは真逆の結果となった。
映画のエンドロールが終わり「思ってた以上に楽しめたな」と満足していた菜穂の隣で、緒形はうつむいたまま、なかなか動こうとしない。
「緒形くん? どうしたの?」
「……いや……」
答える声は、いつになく頼りなげだ。営業職のせいか、普段の彼は聞き取りやすいはっきりとした物言いをする。つまり、こうしたか細い声は実にめずらしい。
「もしかして具合が悪い? 動けない?」
とはいえ、次の上映もあるので、このまま居座るわけにもいかない。
いったん劇場の外に出てベンチで休むか、あるいは映画館のスタッフに声をかけて──そこまで考えたところで、緒形に左腕を掴まれた。
「ほんと大丈夫……具合が悪いとかじゃないから」
「でも……」
「いや、ほんとに! ちょっと驚きすぎたっていうか……この映画、B級ホラーだと思ってたのにぜんぜんガチガチの本格的なやつだったから心構えができていなくてそのせいで一発目の壁から顔が出てくるところで心臓への負荷がちょっと大きすぎて──」
いきなり頭をあげたかと思うと、今度は勢いよくまくしたてる。それで、ようやく気がついた。
「つまり、怖かったんだ?」
「いや、ぜんぜん!?」
そのわりに声が裏返っている。
「そんなわけないだろ、ホラー映画が怖いなんてそもそもチョイスしたの俺だしべつに怖いとかそんなはず……」
「でも、たしかに本格的だったよね。緩急の付け方が上手だったし、見せ方もすごく工夫していて、今晩夢に出てきそう」
悪気なく口にしたその感想に、緒形は「ひっ」と声をあげた。
「やめて! マジで俺、ひとりで寝られなくなる!」
メガネの奥の目が、水を張ったように潤んでいる。高校時代でさえも見たことがなかった彼の一面に、菜穂はたまりかねて吹きだしてしまった。
当然、緒形は目を剥いた。
「なんだよ、笑うことないだろ!」
「ごめんごめん。でも……」
少しばかり愉快な気分になって、菜穂はにっこりと笑みを浮かべた。
「そんなに怖かったなら、遠慮なく抱きついてくれても良かったのに」
「……っ、それ……」
上映前の自分の言葉であることに気がついたのか、緒形は拗ねたように顔を背けてしまった。
「三辺って昔からそんな意地悪だったっけ」
「そうだね、わりとこんな感じ」
「知らなかった。……まあ、いいけど」
劇場内では、映画館のスタッフが清掃をはじめている。さすがに、そろそろ出ないとまずいだろう。
菜穂は、からかい半分で緒形に手を差し伸べた。
「どう? 動けそう?」
「さすがにもう大丈夫だって」
そうだよね、と引っ込めかけた右手を、緒形は当たり前のようにすくい取った。
「このあとどうする? さすがにそろそろ腹が減ってきたんだけど」
つまりは、夕食のお誘いだ。時間帯からすれば当然の流れだし、実際菜穂もそうなるだろうと思っていた。
なのに、うまく答えられない。どうしても、つながれたばかりの右手に意識が向かってしまう。
「──三辺?」
怪訝そうに名前を呼ばれて、菜穂はハッと顔をあげた。
「夕食だよね? 私はどこでも」
「じゃあ、隠れ家っぽいビストロと半個室のある居酒屋、どっちがいい?」
「居酒屋かな」
深く考えることなく答えたあとで、ふと「ビストロのほうが良かったかも」と思い至った。
本音をいうと、騒がしい店はあまり好きではない。半個室といっていたから居酒屋でも問題ないかもしれないが、ゆっくりおしゃべりを楽しむなら隠れ家のようなビストロのほうが合っているのではないか。
けれど、そこまで考えたところで、菜穂は緩く頭を振った。
(なにを考えているんだろう、私)
緒形とゆっくりおしゃべりを楽しみたいなんて、どうかしている。彼は、目的を果たすための手段に過ぎなかったはずではないか。
動揺する菜穂に気づいているのかいないのか、緒形はつないだままの手を軽く揺すってきた。
「本当に居酒屋でいい?」
やっぱりビストロで──そう答えるチャンスだ。
けれど、菜穂は小さくうなずいた。
(だって、どこで食事をするのかなんてどうでもいい)
大事なのは「そのあと」なのだ。
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