4・デート当日

 デート当日、菜穂は約束していた時刻の5分前に、新宿に到着した。

 待ち合わせ場所は、某老舗大型書店の前とのことだったが、ざっと見回してみても、緒形の姿はどこにもない。とはいえ、スマホにも連絡は届いていなかったから、遅れるというわけではないのだろう。

 道ゆく人たちの流れを、菜穂はぼんやりと眺めた。

 自分でも驚くほど、気持ちが盛りあがらない。今ここで「やっぱり今日のデートは中止で」と告げられても、おそらく「そうなんだ、じゃあ、帰ろう」としか思わないだろう。


(1週間前とはぜんぜん違う──)


 そこまで考えたところで、菜穂は強くかぶりを振った。

 あの日の出来事は、もはやなにひとつとして思い出したくはない。特に、浜島に関しては、名前を聞くことさえも辛すぎる。

 そんな菜穂の心情と重なるように、空模様もひどくどんよりとしている。降水確率60%、いつ雨が降り出してもおかしくはない状況だ。

 知らずため息を飲み込んだところで「三辺」と声をかけられた。どうやらかりそめの恋人のおでましのようだ。


「待った?」

「ぜんぜん。どこに行くの?」

「映画とか考えてるけど、その前にどこか入らない? 俺、喉かわいててさ」


 それは構わないが、このあたりのカフェはどこも満席ではないだろうか。

 そんな菜穂の懸念に気づいたのか、緒形は「ちょっと歩いてもいい?」と訊いてきた。


「靖国通りまで行くと、入れる店があるはずだから」


 果たして、緒形が睨んだとおり、靖国通り沿いの喫茶店にはそれほど待たされることなく入店することができた。コーヒー1杯の価格帯がやや高めなのも、それほど混雑していない理由だろう。


「詳しいんだね」

「何が?」

「穴場のお店とか。このあたりよく来るの?」


 他の女性と──との言葉は、もちろん口にはしない。けれど、菜穂の言いたかったことは、緒形にはしっかりと伝わったようだ。


「たまたま部署の先輩から教えてもらっただけ。ここ、平日は営業マンで賑わってんだよ」

「へぇ、そう……」

「で、なに頼む? 俺はアイスコーヒーだけど」

「私は……ロイヤルミルクティーで」


 カフェオレと迷って選んだものだったが、緒形は「やっぱり」とにやりと笑った。


「三辺はそれだと思った」

「どうして?」

「彼氏の勘」


 含むようなその返答に、菜穂はキュッと唇を引き結ぶ。

 いつになく甘ったるい緒形の視線も、彼に好みを見透かされていたことも、なんだか気恥ずかしくていたたまれない。

 それでも、悪あがきのように「本当は、別のドリンクと迷ってたけど」と付け加える。


「カフェオレだろ?」


 今度こそ、菜穂は言葉を失った。


「三辺が頼みそうなの、なんとなく想像がつくんだよなぁ」


 それにどう答えるのが正解なのか、もはや菜穂にはわからない。ただ、胸がひどくザワザワして、奇声のひとつやふたつ発したいような気分だ。


(もう嫌だ、帰りたい……)


 そんな彼女を特に気にする様子もなく、緒形は店員を呼び止め、ふたりぶんの飲み物を注文した。

 それから、菜穂の気を引くように、トントンと中指で軽くテーブルを叩いた。


「三辺はさ、この3つのうちのどれが好き? 1・泣けるラブストーリー、2・ヒューマンドラマ、3・超絶怖いホラー」

「え……どれでもいいけど」

「あ、ホラーもいける感じ?」

「暴力描写がきつくなければ。どうして?」

「今日観る映画、どれにしようか迷ってて」


 ああ、そういえば映画がどうのと言っていたか。

 菜穂は少し考えこんでから「だったらヒューマンドラマかホラー」と返した。

 今は、とてもじゃないけれどラブストーリーを観る気にはなれない。しかも「お涙頂戴系」だなんて絶対にお断りだ。


「じゃあ、ホラー映画にしようか」


 席予約しとく、と緒形はスマートフォンを操作する。

 やっぱり慣れているな、と菜穂は感じた。これまでデートと呼べるものを数えるほどしかしてこなかった自分とは、なにもかもが大違いだ。

 それから1時間ほどカフェで時間をつぶして、映画館へと移動した。

 上映館は、大きな通りをはさんだすぐ目の前にあって、そういえばこのあたりには他にもいくつか映画館があることを今更のように思い出す。おそらく、そうしたことも踏まえて、緒形は先ほどの喫茶店を選んだのだろう。どの映画を観ることになっても、移動に時間がかからないように。


(やっぱり慣れてる)


 東京に戻ってきて、まだ2週間のはずなのに。それともこうした気遣いも、営業という仕事柄当然なのだろうか。

 週末ということもあって、館内のメインロビーはそれなりに混雑していた。

 とはいえ、ホラーを観たい人は少ないようで、指定されたシアター10は座席が半分も埋まっていなかった。


「怖かったら、遠慮なく抱きついてくれていいから」


 ポップコーンを摘みながら、緒形はにやりと笑った。


「そんなことしないよ」

「まあまあ、そう言わず」


 からかうような口調に「絶対にそんなことするものか」と菜穂が誓ったところで、館内の照明が落とされた。

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