3・昔から彼女は
帰宅ラッシュまっただ中の電車のなかで、緒形はぽつぽつとスマホをいじっていた。
(都内のデートスポットも、ずいぶん変わったよなぁ)
関西に出向いていたのはほんの数年のはずだが、検索結果としてあがってきた「都内の人気デートスポット」の多くは、緒形が足を運んだことのない場所ばかりだ。しかも、このなかから菜穂の好きそうなところとなれば、さらに限られてくるだろう。
(無難に映画かな。それか、水族館か……プラネタリウムか)
プラネタリウムは、高校時代に菜穂と訪れた思い出の場所のひとつだ。緒形は途中で爆睡してしまったけれど、彼女はかなり楽しめたらしい。
(でも、それをなぞるのもなぁ)
菜穂が、当時の思い出を大切に思っているのならそれも有りだろう。けれど、今の彼女を見る限り、そんなふうには思えない。
そもそも、再び緒形と交際すると決めたのも、あまり良い理由ではないはずだ。
(ぜんぜん楽しそうじゃないしなぁ。絶対なにか裏があるだろ)
しかも「裏」とやらも、彼女が交際条件として突きつけてきた内容を思えば、おおよその想像はつく。
(絶対「脱・処女」したいだけだよなぁ)
その相手として自分を選んだことが、緒形としては何よりも信じられなかったが、彼女にしてみればそれだけ切羽詰まった状況なのかもしれない。
(いや、けど……それこそ、俺ともいろいろあったじゃん)
そのあたりを踏まえると、もはや「切羽詰まった」を通り越して「投げやり」にでもなっているのか。
(投げやり……なぁ。意外とそういうところがあるんだよなぁ、三辺って)
緒形の脳裏に、高校時代の出来事がよみがえる。
あれは、付き合いはじめて1ヶ月ほど経ったころだろうか。
いつもの公園のベンチで、ホット飲料で暖を取りながらおしゃべりをしていた最中、菜穂が鞄からお菓子のグミを取り出した。
『よかったら食べる?』
『──うん』
ぐにゃぐにゃな食感を楽しみながら「あ、今日はレモンか」とぼんやり考える。ちなみに、前日もらったのはグレープ味で、その前はオレンジ味だ。
(毎日、新しいのを買ってんのかな)
けれど、彼女が特にこのお菓子を好きだと聞いた覚えはない。そもそも、緒形におすそわけしてくれるようになったのも、この3日ほどのことだ。
『なあ、これって今の三辺のブーム?』
『え?』
『これ。グミ。一昨日から3日続けて食べてるだろ』
前から好きだったっけ、と訊ねると、菜穂は「ううん」と首を振った。
『実は、どうしても欲しいものがあって』
菜穂は、鞄から再びお菓子のパッケージを取り出すと、裏面のシールを見せてくれた。
『「ハズレなし、文庫本カバープレゼント」──なにこれ?』
『このグミ、先月から期間限定の味が2種類出ていて、通常のものとあわせると今は6種類買えるのね。その6種類のうち4種類のシールを集めると文庫本カバー、6種類ぜんぶ集めるとカバーとしおりがもらえるの』
彼女いわく「好きなデザイナーの非売品のものだから、絶対に欲しい」らしい。
『じゃあ、まずはあとひとつだな』
『ううん、3つだよ』
『でも4種類あれば、文庫本カバーだけはもらえるんだろ?』
『そうだけど、しおりとセットでほしいから』
そのときは「へぇ、そういうものか」と思っただけだった。
彼が「うん?」と首を傾げることになったのは、その数日後のことだ。
『緒形くん、肉まんたべない? よかったらご馳走するよ』
いつものようにコンビニエンスストアで飲み物を選んでいると、ふいに菜穂から声をかけられた。
『いや、肉まんは特に……』
『じゃあ、パンとかおにぎりはどう?』
『……それも別に』
本当はふたつ返事でOKしたかったが「彼女におごってもらうなんて」というつまらないプライドが、緒形に応じることを許さない。
とはいえ、なぜいきなりご馳走するなどと言い出したのか。臨時収入でも入ったのか。緒形がそう訊ねると、彼女は事もなげにこう答えた。
『グミのシール、集めるのやめたの』
なんでも期間限定でリリースされた2種類のグミのうちのひとつが、想定以上の売れ行きで生産が追いつかず、予定よりも早く販売終了となったらしい。
『埼玉とか千葉に行けば手に入るかなって思って、交通費分のお小遣いを残してたんだけど、都内近郊はもうどこもダメみたいで』
つまりは、その浮いたお金でご馳走してくれる気になったらしい。
『そっか、残念だったな。じゃあ、もらえるのは文庫本カバーだけか』
販売終了は1種類のみ、ということは残りの5種類は集められるはずだ。
ところが、彼女は「ううん」と首を横に振った。
『なんで? 欲しかったデザイナーのだろ?』
『でも、しおりとセットじゃないと意味ないから』
『じゃあ、文庫本カバーはいらないってこと?』
『……うん……まあ……』
歯切れが悪い。どうやら「欲しい」という気持ちが完全になくなったわけではないらしい。
『だったら、文庫本カバーだけでももらえばいいじゃん』
『……』
『なのに、そんな思いつきで俺に「おごる」とかさ。あとから「やっぱり欲しかった!」って後悔するかもしれないだろ?』
キツい言い方をしている自覚はある。それでも、ここまではっきり口にしたのは、彼女がどこか投げやりになっているように見えたからだ。
菜穂は、うつむいた。迷っているのは、緒形の目から見ても明らかだった。
けれど、しばし無言になったあと、彼女は「やっぱりいい」と顔をあげた。
『「いい」って……』
『もちろん「いらない」ってこと』
菜穂の唇に、苦い笑みが浮かんだ。
『なんか……もういいかなって』
あのときの菜穂と、今の菜穂はおそらく同じだ。
浜島とのあれこれがうまくいかなかった結果、彼女の「初体験」に対するこだわりが「もういいかな」に転じたのだ。
それを「据え膳食わぬは〜」とばかりに、のってくる男もいるだろう。実際、緒形も相手によっては「じゃあ、遠慮なく」と手を合わせたかもしれない。
けれど、相手は菜穂だ。緒形にとっては「多感な時期に付き合った元カノ」だ。
しかも、当時の彼女との思い出を掘りおこそうとすると、必ず苦いエピソードがつきまとう。
そうした複雑な存在であるうえに、当の彼女は未だ処女だという。
それを、他の誰かに奪われるのは――
(おもしろくない)
そう、つまりはその一言に尽きるのだ。
とはいえ、今のこの状況が正解かと問われると緒形はなんとも答えられない。
やはり、どう考えても褒められた話ではないし、緒形が誠実な人間なら、おそらく真摯な態度で「もっと自分を大事にしろよ」と彼女を拒絶していただろう。
そうしないあたり、自分も浜島と大差ない。それでも、やはり他の男に彼女のはじめてを奪われるのは不愉快なのだ。
(まあ、そのうち我に返るかもしれないし)
根はまじめな菜穂のことだ。そのうち我に返って「やっぱり付き合えない、ごめんなさい」と言ってくるかもしれない。それに、付き合う条件として出された「抱いてほしい」も、まさか今すぐというわけではないだろう。
(とりあえず、週末どうするかだけは考えておくか)
最初だし、やっぱり無難に映画か水族館にでも行って、ごはんを食べて、解散――そんなプランをたてながら、緒形はスマホで現在上映中の映画を検索しはじめた。
この時点で、緒形は菜穂の本気度をかなり低く見積もっていたわけだが、残念なことに彼はそのことにまったく気づいていなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます