7・土曜日、ハチ公前(その1)
千鶴が指摘していたとおり、土曜日のハチ公前はひどくごった返していた。
お喋りに興じる女子高生の隣では、観光で訪れたのだろう外国人カップルがあちらこちらにスマートフォンのレンズを向けている。先ほどから周辺をウロウロしている男性は、いわゆる「キャッチ」なのだろう。
そんななか、菜穂もまたそわそわしながら何度も時刻を確認していた。
待ち合わせの18時まで、あと15分──やっぱり少し早く来すぎたかもしれない。けれど、浜島を待たせるよりはきっとマシなはずだ。
(もし、今日誘われたら……)
今度こそ、応じようと決めていた。そのための準備もしてきた。恥ずかしすぎるから、誰にも知られたくはないけれど。
スマートフォンの暗い画面には、早くも緊張した様子の自分が映っている。
ダメだ。今日会う目的は、あくまで観劇なのだ。
(いつもどおり、いつもどおり)
強ばった顔つきの自分に言い聞かせたところで、画面にメッセージが表示された。
――「駅ついたよ。もういる?」
菜穂は、キュッと唇を噛みしめた。
――「そろそろ着きます。浜島さんはゆっくり来てください」
ああ、いよいよだ。いよいよ、今夜こそ。
スクランブル交差点が青になったのか、ハチ公前広場にいた人たちがぞろぞろと移動しはじめる。
一方、駅舎からは新たな集団が吐き出され、そのなかに菜穂は待ち人の姿を見つけた。
目が合い、浜島が軽く手をあげる。
それに応じるべく、菜穂も会釈をしようとした──そのときだった。
「なーほ!」
いきなり親しげに名前を呼ばれたかと思うと、背後から強い力で抱きしめられた。
「よかった、間に合って」
「えっ」
「あーもしかして、まだメッセージ見てない? せーっかく予定がキャンセルになったから、速攻で送ったのに」
予定? キャンセル? なんのことだ? この人物は、いったい誰と話をしているつもりなのだ?
混乱した頭に、次々と疑問が浮かんでくる。けれど、どれも喉元で詰まって、表に出てきてくれない。
だって、背後の人物の声には聞き覚えがありすぎる。
(まさか……)
でも、そんなはず──青ざめる菜穂の耳に、今度は「三辺さん?」と怪訝そうな声が届いた。
そうだ、浜島だ。今は彼と待ち合わせをしていたのだ。
「浜島さん、これは……」
けれど、弁明しようとした菜穂の声は、背後から聞こえた「ああ、ハイハイ」にあっさり遮られてしまう。
「あんたが、俺の代理のひとだ?」
「……は?」
「なんか、ごめんね? 見てのとおり、俺、間に合っちゃったから、代理のあんたはもう必要ないってことで。それじゃ、おつかれー」
なめらかな口調で嘘ばかりを並べたてた男は、菜穂を腕に囲い込んだままヒラヒラと浜島に手を振ってみせた。
冗談じゃない。菜穂は、なんとか腕のなかから逃げ出すと「違います!」と声をはりあげた。
「違うんです! この人と私は、なんの関係も……」
「またまた〜菜穂ってば照れちゃって」
軽い口調とは裏腹に、またもや強い力で左腕を掴まれる。
ギョッと振り返った菜穂が目にしたのは、思っていたとおりの人物――緒方雪野で、けれど彼女がぶつけるはずだった抗議は、思ってもみなかった形でふさがれてしまった。
まさかの、キスという行為によって。
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