第25話:夜明けの翼
「……ん」
「ミライ、目を覚ましたか! なにが起こったんだ? 傷が塞がってる……!」
アステルの声は震えている。また泣いているのか、もう二度と見せないと言ったのに。無意識に彼の頬を優しく撫でていた。
意識を取り戻したとわかったからか、彼はあたしの手を握って表情を崩す。そんな顔、次に見せたら怒ってやろう。守りたい人の前でそんな顔をしないように、あたしが育ててあげなきゃいけない。
腹部に手をやると、確かに穴は塞がっていた。服までは治せていなかったようで、肌は見えたまま。関係ない。あたしはあたしのやるべきことをやるだけだ。
アステルが背中から声をかける。
「いまティオが時間を稼いでる。行けそうか?」
「……うん、行く。行くよ。だってそれが、あたしがここにいる意味だから」
立ち上がって、破壊された壁から庭を覗く。橙色の光が尾を引いて動き回っているのが見えた。だが、攻め込めていない。回避に徹するのに精いっぱいという様子だ。
行かなきゃ。
心臓が強く胸を打った。足は引き寄せられるように戦場へ。
あたしとティオはふたりでひとりのカウンセラーだ。どんな形かなんて関係ない、あたしとティオで一人前なんだ。ティオと一緒なら――
「できないことなんてないっ!」
歯を食い縛り、あたしは床を蹴る。高さは三階、重力に従って庭へと落下する。動揺したアステルの声が急速に遠退いていくが、関係ない。
ラムレッド現象が現実をハートリウムにするのなら、あたし自身はあたしの思うままだ。どんな無茶だって実現させられるはず。
疑うな、馬鹿になれ、ただ無邪気に信じ抜け!
思い描くのは、世界で一番自由な翼!
「あたしは……飛べるっ!
言葉は夢と現実を繋ぐ魔法。あたしの背中に朝日の輝きを放つ翼が具現化する。実際の翼ではなく、光の粒が形作っているようだった。
深くは考えない。そのままカイルさんに向かって流星のように突っ込んだ。
カイルさんが気付くより早く、あたしの拳が彼を吹き飛ばした。ティオの傍に着地するも、彼はあたしの戦線復帰に驚きを隠せていないようだった。
「お前、腹はどうした!? あんなでっけぇ風穴空けておいて……!」
「なんか治った! ティオ、やるよ!」
「ああもう、なんでもありか! わかったよ!」
余計な詮索はせず、目の前に集中する。やるべきことは言わずとも通じているようだった。
噴水も花壇も壊れ、粉塵の影からカイルさんが姿を見せる。
『アあ、そレです……ソの輝キが! ぼクも欲しイんダァ!』
胸に埋まるカイルさんが咆哮する。彼を取り込むシャドーは尾の数を増やし、腕から新たな腕が生えていく。あたしを捕らえ、自分のものにするために。
でも、それじゃ意味がない。あたしが眩しく見えるのは、彼自身が暗闇の中にいるからだ。あたしから奪わなくたっていい。闇の中にもあたしが見えるなら、手を伸ばしてくれるだけでいい。
あたしたちは駆け出す。襲い掛かる彼の飢えをティオと一緒に払い除けながら。何度も、何度も否定する。間違いを肯定しちゃいけない。道を違えたなら、連れ戻すのもカウンセラーの役目だ。
「あたしから奪わなくたっていい! 必要ない! あなたにだって掴める! そのために……! いま! あなたはあなたとお別れするんだよっ!」
背中の翼が呼応する。一際強い光を放ち、あたしを運ぶ。闇の底、心の奥深くまで。
腕を引き、力を溜める。永い夜に終わりを告げる、鮮やかな光を纏わせる。膨れ上がった負の感情を、圧し潰す!
「
シャドーの頭部に、渾身の一撃を叩き込む。全身を駆け巡る力は膨張した感情を急速に抑えつける。
唸り声をあげて暴れるシャドー。その巨躯もみるみるうちに萎んでいく。だが、カイルさんの体は吞み込まれたまま。露出した上半身をあたしは優しく抱き締める。
「カイルさん、大丈夫だよ。大丈夫だからね」
強過ぎる感情を一時的に抑圧されたことで、カイルさんの自我が帰ってくる。
彼は泣いていた。幼気で、か弱い子供のように。
「……っ、ぼく、は! あなたが……!」
何度も顎をしゃくり、涙を流すカイルさん。言いたいことがある、だけどそれを言ってしまえばみっともない自分を嫌いになってしまうかもしれない。情けない自分が嫌われてしまうかもしれない。
そんな葛藤を口から漏らす彼を見て、あたしは囁く。
「言いたいことなら言えばいい。あたしはそれを否定しないし、全部受け止めるよ」
カイルさんは嗚咽を漏らす。言いたくない気持ちと、言ってしまいたい気持ちがせめぎ合っているのだろう。言えばみっともないと、情けないと思っているのだと思う。
いいんだ、みっともなくたって、情けなくたって。それだって自分自身なんだ。あたしは彼の言葉を待つ。
カイルさんはしばしえづいた後、思いの丈をぶちまけた。
「羨ましい……!」
「うん」
「あなたがっ! 羨ましいんですよ!」
「うん」
「ずっと笑顔でっ! 楽しそうで! なんで……そんな顔で生きられるんですか……!」
カウンセリングが終わってからも、カイルさんの病室には顔を見せていた。読んだ漫画のことを語る彼は楽しそうだったが、どこか申し訳ない気持ちも滲んでいた。あたしの顔を見て、どこか冷めた表情を見せていたのも覚えている。
あれは羨望だったのだ。手に入れられなかったものを惜しげもなく見せられれば、穏やかな気持ちでいるのも限度があっただろう。カイルさんは続ける。
「……僕だって……あなたのようにっ、自由で、いたかった……! 好きなことっ、やりたいことっ! 全部やりたかった! 全部! 全部っ! 笑顔でいたい……! 笑って生きていたいっ! どうしてっ、ぼくは……! ぼくだけがっ!」
ぼろぼろと大粒の涙を流し、よだれも垂れるほど咽び泣くカイルさん。漫画が読みたい、だなんて氷山の一角だったのだ。
本当は、ただ自由でいたかった。やりたいことを思う存分楽しみたかっただけなのだ。言葉にすることさえ憚られるほど、心が鎖で縛られていたのだろう。
あたしはカイルさんの頭を撫でる。いままで頑張ってきたのだ、これくらいは許されていい世界のはず。世界がどれだけ厳しく冷たくても、人は優しく温かくいられることを教えてあげなければならない。
「いまからだって遅くないんだよ。大丈夫。あなたがやりたいことを全部やれるように助けてあげたいよ」
これだけの想いを閉じ込めて、どんなにつらかっただろう。あたしたちには知る由もない。この苦しみはカイルさんだけのものだ。あたしはそれを尊重する。
「でもね。あたしたちも人間だから、暗闇で泣いてるだけじゃ気付けないんだ」
カウンセラーは受動的な仕事だ。ハートリウムが生まれてから動かなければならない。だから、助けようにもいつだって一歩遅くなる。
だが、その一歩を埋める手段がある。たった一つだけ。だけどとても勇気が要ること。それでも、あたしたちはそうしてほしい。見失いたくないから。
「だからお願い。手を伸ばして。助けて、って声をあげて。そうしたら手を取れるから。絶対に見失ったりしないから」
助けて、の一言。それさえ言ってくれれば、あたしたちは必ず助ける。約束は絶対に守る。神様なんかじゃなく、カウンセラーの誇りに誓って守ってみせる。
カイルさんはぐちゃぐちゃになった顔で、叫ぶ。
「……助けてくださいっ!」
「――絶っ対! 助けてあげる!」
触れ合う体からカイルさんに力を注ぎ込む。彼の上半身が少しずつ剥がれていく。シャドーの絶叫が夜を切り裂くが、関係ない。ただ安らかに、心を鎮める力を流し続ける。
どろりと溶け出していくシャドー。その体からカイルさんの腕が抜け、あたしの体を抱き締めた。そのまま彼の体はシャドーから切り離される。寄る辺を失ったシャドーはそのまま溶けて消えていった。
空模様も変わる。不安を煽る黒い雲はすぐに消え失せ、静かな夜の帳が帰ってくる。
あたしたちは抱き合ったまま庭に倒れる。笑顔は絶やさない、それもまたカウンセラーの務め。
「おかえりなさい、カイルさん。本音、ちゃんと言えたね。おかげで見失わずに済んだよ」
「ミライさん……うっ、うううぁあっ……! わああああ……!」
泣きじゃくるカイルさんの背中を叩く。大丈夫だよ、と。子供をあやす親のように。こんなことさえ、彼にとっては特別なことなのかもしれない。
事態が収録したことで続々と人の気配が集まっていることに気が付いた。人の声がうるさい。足音も。
――疲れた。
体は重たいし、心もまぶたを閉じている。このまま眠ってしまう。
後のことは大丈夫だ、みんなに任せておけばいい。あたしは睡魔に心を委ね、深い闇に意識を融かしていった。
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