第24話:『いってらっしゃい』
『――てっ! 放してよっ!』
『馬鹿! 落ち着け! 冷静に考えろ!』
やんちゃな少女の声と、青年の声が響く。閉じていた世界が開けていくが、古びた写真のように色褪せた世界だった。
――ここ、どこだろう?
思考を巡らせようにも、目の前の光景がそれを許さない。セントリアの街を眼下に据え、赤髪の少女が身を乗り出そうと藻掻いていた。そしてそれを必死に止めようとする白髪の青年。
どういう状況なのだろう、これ。
知らない世界に、ぽつんと置き去りにされているような感覚になる。そんなあたしなどお構いなしに舌戦が繰り広げられていた。
『あたしはまだ飛べるか飛べないかを実践してない! つまり、飛べないと結論付けるにはまだ早い! 実践してからじゃなきゃ諦められない!』
『だとしたら高さを考えろ! こんなところで飛び降りたら死ぬだけだろ!』
『……! 確かに、失敗したときのことは考えてなかった……! さてはあんた、賢いな?』
『本気で言ってるのかキミは……そうだよ、僕は賢いんだ。わかったなら戻って、押さえ付けるのも重労働なんだぞ』
『はーい。次はもう少し低いところで試すよ』
『そうしてくれ。それなら僕も止めはしないさ』
ずるずると引っ張られる少女。危なっかしい子だなぁ、などと思う。話に聞いたママのようだ。
この場所、この角度は見覚えがある。ここはきっとカウンセラーの本部なのだと思う。ということはこの二人もカウンセラーなのだろうか? あるいはガードかもしれない。
二人で座り込むや否や、白髪の青年はがっくりと肩を落として呟いた。
『また“クマバチの羽”?』
『そうだよ、あれってすっごく素敵なことわざだと思うんだよね。できないことを知らなければできる、いい言葉じゃん』
瞳に真っ直ぐな光を灯す少女に、青年は深々とため息を漏らす。何遍言えばわかるんだと言いたげに。
『……あのね、人間に羽はない。どれだけ頑張ったって飛べやしないんだよ。それに、後の研究でクマバチが飛べる仕組みは解明されたんだ。ロマンチストの言葉に夢を見て、実現しようとしなくていいんだよ』
『夢を見て実現しようとすることのなにが悪いの? 空を飛びたい人は空を飛ぶ鉄の翼を作った。海の底を知りたい人は深く潜れる魚を作った。どうして作ったかわかる? 夢を諦めなかったからだよ』
少女は再び立ち上がり、空に向かって手を伸ばす。セピアの空を掴んで引っ張って、懐にしまおうとする。その動作におどけた様子もない。本気で、空を掴もうとしているように見えた。
『人はいつだって夢を見て、現実にしてきた。無謀な夢の果てに現実が生まれて、たくさんの人を幸せにした。つまりね、夢を見るのも叶えるのも、人の権利で義務なんだよ』
『めちゃくちゃなことを言うね……夢を見たってどこかで諦めることを知るんだ、普通は。キミが子供過ぎるだけなんだよ』
『子供で上等。夢に目を瞑って見ない振りをするのが大人だっていうなら、あたしは子供のままでもいいよ』
青年を見て、不敵に笑う少女。どうしてだろう。どこかで見たことがある顔をしていた。
『でも、ずっと子供じゃいられない。それはわかってる。あたしは馬鹿だけど、賢いあんたの主張には絶対に賛同してやらない。これから生まれる子供たちがなんの臆面もなく夢を語れて、追える社会にする。それがこれから大人になるあたしたちの責任でしょ。あたし、変なこと言ってる?』
青年は押し黙る。言ってることは真っ当だからだろう。未来を生きるのはいつだって子供たち。だからこそ、その子供たちが絶望しない未来を作るのはいまを生きる自分たちの責任だと、少女は言う。
青年が言い返すよりも早く、少女は天高く宣言した。
『だからあたしは、あたしのなりたい自分になる! 空も飛べて、海も潜れて、百メートルを三秒で走れて、火も吹けて天気も操れるような最強無敵のカウンセラーになる! そうしたら子供たちだって、夢を見ることを諦めずに済む! ……はず!』
呆れ果てた青年は小声で『馬鹿だ』と呟いた。あたしもつい吹き出してしまう。夢の見過ぎもいいところだ。そこまでいけば、彼女の存在が夢そのものになってしまう。
いっそそれが目的なのかもしれない。誰もがなんでもやれるというなら、夢を諦める理由がなくなる。大それた計画だと思うが、頭ごなしに否定する気にもなれなかった。させない、という方が適切かもしれない。それだけの気概が感じられるから。
『そういうわけで、さ。あたしは決めたよ』
少女が歩き出す。彼女の視線の先にはあたしがいる。一歩、また一歩と近づき、触れ合えるところまで。
とん、と拳が胸に押し当てられる。少女の試すような眼差しから目を逸らせない。言葉を失うあたしに、彼女は問いかけた。
『“あんた”はどーすんの?』
「……あたし、は……」
その問いに、なんて答えよう。なんて、頭で考えるより早く、口が動いた。違う。あたしの心が声をあげた。
「……あたしはカウンセラーになる。ママよりもすごいカウンセラーになる。そうすればきっと、あたしが生きた証になる。生きた証を残したい、って思う」
『よく言った、それでこそ“あんた”だ!』
力強く肩を叩き、満足げに笑う少女。その顔が見たかった、と言うような清々しい笑顔。
心が震えた。初めて会うはずなのに、ずっと、心の奥が覚えていた顔のように感じる。少女は満点の笑顔で告げた。
『いってらっしゃい、“ ”!』
――どうしてだろう。心が、満たされていく。
ぽっかり空いた穴が埋まっていくような感覚がした。色褪せた世界は急速に遠ざかっていく。あたしの心は決意と使命を連れて、帰っていく――。
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